人生の絶頂は、『結婚』ではなく、『2歳になるまで』の期間だ。

 結婚=幸せ

 そう信じて止まない愚か者がまだいるようだ。

 既婚者の私から言わせてもらうと、『結婚=幸せ』ではない。

 結婚というのは、『何かのきっかけで、親しくなった他人と24時間シェアハウス』しなければならない、

何の面白みもないクソみたいな契約

 である。

 好きな人とずっと一緒にいたい。

 とてもよくわかる。

 ただあなたが愛した『好きな人』は、『赤の他人』であって、考え方や行動様式、信仰が全く違うのは当たり前で、違うからといって怒ってはいけない。

 結婚=職場

 気の合わない他人と折り合いをつけながら、イライラしながら、同じ屋根の下、毎日おんなじ生活を続けなければならない。

 私は、結婚したことは後悔していない。

 ただ、結婚する前は、主人のことを、『パパ』か『ママ』代わりにしようと思っていた。

 主人は、私と付き合う前は、『一人の自立した女性』と結婚したかったらしい。

 夫婦仲がこじれた時、主人にははっきりそう言われた。

 私は、主人と結婚する前は、『パパとママ代わりに甘やかして、何かあったときに全力で守ってくれる』人と結婚したかった。

 私は、パパとママに、大切にされたことや、全力で守ってもらったことがなかったから。

 つまり、

 お互い求めるものの種類が違っていた。


 そこに早く気づけば良かった。

 主人と付き合う前、傷の舐め合いがてきそうな友達はいたが、容姿が好みじゃないのと年上すぎるのと、なんとなく……暗い感じあったのでその人とは友達関係すら解消し、主人の方を選んだ。

辛くなるだろうという予想はできていたが、当時の私は、きっと乗り越えられる。自分の成長のためには、あえて自分とまったく違う人生を歩んできた人とくっつかなければ……両親と同じ間違いを起こしちゃいけない……その勢いで結婚したら、このザマです(笑)

同じ人生、価値観の奴と結婚すると、傷の舐め合いになり、成長はしない。お互いを甘やかし、強固なコミュニティの中で精神を保てるので、「赤の他人」の介入を一切許さない。時には、多少耳は痛いけれども、ためになる「厳しい言葉」をくれる他人を排他し続けた先には、「何も残らない」。あらゆる成長のチャンスを逃すことになり、実のならない生涯を終える。(ソースは私の両親だ)

価値観の違う、全く違う人生を送ってきた奴と結婚すると、考えが見事に噛み合わないので、夫婦生活維持のためには、どっちかが折れて迎合するしかないわけだが、『負の半生』を歩んでいた奴が、まず、泣きながらプライドを投げ捨てて『正の半生』を歩んでいた奴の『言うこと』をしっかりマトモに聴き、実践しないと、『正』の方は逃げていく。誰だって、上昇はしたいけど、下降したいとは思わない。誰も『負』の世界には行きたくないわけだ。

 よって『負』の側に、死ぬほどの辛抱を強いられる。(←ほとんどの人間は耐えられないから、不倫や浮気や離婚を繰り返す)

 死ぬほど辛抱した先に見える世界は、素晴らしいものである。

 私にはその世界が見えていない。たまに見えることもあるけど、やはり、常に全貌が見渡せるわけではない。

 結婚すれば幸せになれるというのは間違いである。

 結婚とは、自分のこれまでの生き様と向き合い、自己改革するかしないかの究極の選択を強いられる『試練』である。

 気の遠くなるほど長い試練。

 試練に『幸せ』や『楽しさ』、『充足感』なんてもんはないからね。

 タイトルにもあるように、人間の幸せの絶頂は、2歳になるまでの期間である。

 何も言わなくともみんなが手とり足取り世話をしてくれる、みんなニコニコしてくれる……絶頂期を、私たちは、残念ながら、忘れてしまっている。