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「読書日記」ではなく『読書の日記』

すみません、「今日はこれを書こう」と思っていたことがたしかにあったのですが、家に帰ってあれこれしているうちに、何を書こうと思っていたのかすこーんと忘れてしまいました…。昨日の門松に引き続いて、日中の街で目に入った風景から思いを膨らませていったことだけは、朧気ながら覚えているのですが…。

先ほどから30分間くらい思い出そうとしているのですが、どうにも思い出せません。どうしても思い出せないので、最近読んでいる本について書くことにします。阿久津隆さんによる『読書の日記』(2018年、NUMABOOKS)です。

阿久津さんは、東京・初台にある「fuzkue」さんという、「本の読める店」と謳ったカフェのような空間の店主の方。こちらのお店、Webサイトの「すごしかた」という項目を読めば分かるように、「最高の読書環境」のために定められた様々なルールがあるようです(会話禁止、など)。
「あるようです」と書いたのは、実は私自身はまだこちらのお店を訪れたことがないから。行きたい行きたいと思っているうちに、年末を迎えてしまいました。

で、そんな阿久津さんが綴った2016年10月1日からの1年間の日記を収めたのが『読書の日記』。いわゆる「読書日記」と違うのは、阿久津さんが生活し、お店に立ち、色々なことを考えている様子が綴られている中に、特に区別することなくその時々に読んでいる本の引用が現れること。この本の帯には「食べるように読んでいる」という表現が使われているのですが、まさに本を読むことが生活の一部になっている様子が伝わってきます。1,100ページもある分厚い本なのですが、持ってみると重々しくはなく、みっちりとした感じがします。

このところ毎日パラパラとめくってはいるのですが、ようやく11月11日にたどり着いたところ。まだまだ楽しめそうです。

昔から私の文体は、その時読んでいる本に影響されやすい傾向があります。文筆家・哲学者の池田晶子さんの著作に没頭していたときは、彼女の文体が色濃く反映されたものを書いたものでした。
そんなわけで、今はボーっとしていると、阿久津さんの文体そのままといった文章が表れてしまいます(先ほどのWebサイトをご覧になるとお分かりかと思いますが、独自のテイストをお持ちです)。読み返してみて書き直すこともしばしばなのです。

「本を読む」というのは人に大きな影響を与える、ということを身をもって実感している今日この頃です。

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