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アマリージュ

匂いというのは兎かく記憶に、心に訴えかけてくる。
ふと漂うその香りが、僕の胸を少しだけ苦しくする。 
ヒトは視覚的な動物であると思う。 
目に見えないモノは信じることが難しく、または畏れる。
視覚から得る情報は、他の感覚から得る情報よりも膨大であろう。
だから目に見えて初めて、それを「ある」のだと知る。 

そこにあって、しかし「ニオイ」という嗅覚から得る情報は、どうしてこんなにも僕の記憶を鮮明に思い出させるのだろう。 

「香水はブルガリあたりをつけとけば間違いない」
大学に入って少し経った頃、そんな風に友達に教えられた。
高校生の頃はそんなこと気にしていなかったし、むしろあの妙に甘ったるい匂いには鼻を抓んでさえいた。 そんなワケだから友達からの情報を一方向に聞き入れて、僕はそれまでずっとその「ブルガリ」の「プールナントカ」というヤツを使っていた。
空になれば同じ容器を探しに同じ店に足を運ぶ。
もちろんその店には他にも幾種類かの香水が置いてあって、しかしだからといって僕がそれらに手を伸ばすことはなかった。
だって僕は香水の匂いが嫌いだったのだから。 

文学部の彼女の部屋には、店が開けるんじゃないかってぐらい沢山の香水が置いてあった。 と言ってもそれは僕から見た時の感覚で、彼女からすれば「ちょっと多い」ぐらいのものだったのかもしれないけど。
「何でこんなにいっぱいあんの?」 
と訊くと彼女は「服と一緒」だと答えた。 
「毎日同じだったら面白くないじゃん。だからその日の気分で変えてるの。 
朝起きた時の気分とか、天気とか、学校行く日とか遊びに行く日とか」
どう見たって週に7種類使ったとしても有り余る数の香水があったが、しかしよく見ると空のビンも幾つかあった。
気に入ったモノだとか他人からもらったモノは捨てられないらしく、こうして飾って置くのだと言う。
「変なとこだけ貧乏くさい」
と言うと、彼女は「うるさいな」と笑った。 

「そのうち捨てるよ」 

半年経っても1年経ってもその「そのうち」は訪れずに、彼女と付き合い始めて2回目の11月がやってきた。
11月という月は果たして秋と呼ぶべきか冬と呼ぶべきか、未だ決めあぐねている。 だけど街の装飾はクリスマス(なんて気が早いんだろう)なんかへ向かっているし、古典の教科書にも冬だと載っていたからきっと冬でいいのだろう。

友達の誘いでフリマに店を出すことになった。
と言っても彼女とは対照的に服やら何やらは使えなくなったらすぐに処分してしまう性分だったので、売る物なんて特になかったのだが。
仕方無しに色紙に詩(相田みつを先生からインスパイアされたモノ)と簡単な挿絵を筆で描いて何枚か置いておいたが、これはどういうワケか奇跡的に売れてしまった。
1枚300円という安さが光ったのだろうか。ほんの僅かな時間、就活などせずにこの道で食べていこうかと考えたが、20年後の自分に思いを馳せてすぐに改めた。
売る物もなくなってしまったし、彼はと言うとすっかり閑古鳥だったので、他の店を見て回る事にした。
どの店にも服やら靴やら本やら手製のビーズアクセサリーやらが並べてあって、フリマだなんてカッコ良く言ってはみたものの、結局は町内会のバザーと同じだなと、少し可笑しくなった。

そんな中、自分達と同じ歳ぐらいの女の子の店に行き当たった。
その頃は「彼女以外の女の子とは喋れません」なんて馬鹿みたいなことを考えていたから呼び込みの声も無視したのだけれど、一緒にいた友達が女の子の一人に目がいってしまったらしく、引き止められる形となった。
ペラペラとよく舌の回る友達をいっそ置いて去ろうかとも思ったが、女の子達のシートの上の一角に、香水のビンが幾つかあるのに気付いて、つい口を開いた。
「香水」
「あっ、男の人が使うんだったらこっちですよー」
女の子が勧めてきたのはやっぱり「ブルガリ」の「プールナントカ」で、「ああ、アイツの言う事は正しかったんだ」と安心した。
他にも「サムライ」だとか、あとはこれは流石に知っていたが「ラルフローレン」なんて置いてあって、この子達はこんなにいっぱい、どこから集めて来たのだろうと少し驚いた。
「女の子が使うヤツが欲しいんですけど」
「え?」
女の子は一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐにからかう様に笑った。
「彼女サンにプレゼントですか?」
「ん、うん。まぁ……そんな感じ」
「いいなぁー」
「いいなぁ」と言いつつもその子の薬指にはしっかりと指輪が光っているのを僕は見逃さなかった。
少なくとも指輪も買ってやっていない僕の彼女より、よっぽどいいだろう。
ところでどうして女の子は「彼女サン」とか「彼氏サン」みたいな言い方をする人が多いんだろうと、それは11月の秋と冬の曖昧さぐらい、未だに疑問に思っている。

「私だったらコレかなぁ」
そう言って女の子が指したのは、GUCCIの香水だった。
他にもHERMESやらCHANELやらを勧められたが、生憎そんなにお金を持ち合わせてはいなかった。
そこで目についたのが「GIVENCHY」というロゴの振られた琥珀色のビンだった。その時の僕には馴染みのないブランドだったが、ロゴと頭の「GIVE」という文字列が、何となく僕の心に刺さったのだ。
 「それはちょっと……彼女サン引くんじゃないかなぁ……」
友達と喋っていたもう1人の女の子が、苦笑いを浮かべて横合いから言う。 「何で?」
「その香水『アマリージュ』って言うんですけど、『結婚』って意味みたいですよ」
「それ『マリアージュ』じゃなくて?」
「何て言葉かと合わせた造語らしいですけど」
「ふーん……」
「ちなみに」と値段を訊くと、それは3,000円だと返って来た。
彼女もまさか「アマリージュ」を「結婚」とは読まないだろうと、何かの縁だと思ってそれを買うことにした。
フリマでプレゼントを買うなんて安っぽいなと思いながらも、それは当時カゼを引いて家にこもっていた彼女を置いてきぼりにした事に対する、言って見れば詫び賃みたいなモノだった。

「お土産」と言ってGIVENCHYの香水を渡すと、喜んでくれるだろうと期待していた彼女は、少し驚いたような表情をした。
 「それ……」
彼女は棚から1本の香水ビンを取ると、それを僕に差し出した。 見覚えがあると思ったら、どうやら今僕が手にしているモノと同じらしい。ああ、だから妙な親近感があったのか。
「『AMARIGE』って『AMOUR』と『MARIAGE』を掛け合わせた言葉なんだって!」
「AMOUR」の「R」の発音が妙に上手かったのが憎かった。
その頃の彼女はと言うと、外見も中身も結婚に憧れるギャルみたいな感じだったので、香水の意味を深読みされ過ぎて大変だったが「そういう意味があるとは知らなかった」と、その場を誤魔化すのに苦労したのを覚えている。

「じゃあ違うの買えば良かったね」と僕がガッカリしていると、彼女は「すぐなくなるから」と言ってくれた。
それでもまだ面白くなさそうにしている僕を不憫に思ったのか厄介に思ったのかは知らないが、彼女はそれまで自分が使っていた方の「アマリージュ」を、僕の「アマリージュ」と交換しよう、と言ってくれた。
「ちびまる子ちゃん」の母の日の話みたいだと言うと、彼女も「知ってる」と笑った。
それからは、ほとんど日替わりで違う香水を使っていた彼女は「アマリージュ」ばかりを使うようになった。
だからその花のように甘い香りは彼女の香りで、甘い匂いを嫌がった僕はその香りが好きになった。

今年もまた11月がやってきた。
冬の服をクローゼットから引っ張り出すと、ふわっと、あの時の甘い香りが僕の鼻をかすめた。
とっくに消えちゃってると思ってたのに。
遠くで暮らす彼女はまだ、あのビンを持っているだろうか。
それとももう「そのうち」になって捨ててしまっただろうか。

そんな僕が使っている香水は、やっぱり「ブルガリ」の「プール」ナントカだった。



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引っ越しに際して見つけた古いUSBから出てきた、大学の頃に書いた小説です。10年以上前……

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