書き初め
新年も心新たに・・・ということで、noteを使って半定期的に文章を書くことを始めてみたいと思っている
30歳にもなって今更ブログ的な試みをしたいと思ったいきさつ・理由についてはざっと以下の感じだ
自分の思いをテキトーにやり過ごさず言語化したい
いきなりの身の上話で恐縮だが、僕の連れ合いはコロナ禍のある時期に、自分の思いをつらつらノートに書き綴るということをよくやっていた
このノートに書いたことがらが二人の話題になることがあった(あるときは直接的に「読め」といって直近の「成果」をよこしてきたこともあった)が、
そうしたノートトークはやけに核心的というか、彼女のパーソナリティをより深く知ったり二人の今後の暮らし方・生き方を考えたりする上で、とても実りあるものだったことが印象に残っている
人生の節目節目で生じた好感・嫌悪感・違和感といった心の声を、霧消してしまう前にきちんと向き合い言語化する。
可能であれば、その上で大切な誰かに共有して議論したり認め合ったり今後のことに思いをはせるためのよすがとする。
・・・これって人として心豊かに生きていく上でとっても大切で基本的な所作なのではなかろうか。そうも考えさせられたものである
原点回帰して今後の人生戦略を練り直したい
翻って我が身のことをかんがみると、大学を卒業してからはそうした基本をおざなりにしてきた感が強い
無為に過ごしてきたわけではない。2016年に入社してから2019年の半ばまで(特に2018年度)は、少なからず寿命をちぢめたろうと思うレベルでがむしゃらに働いた。結果、いわゆる「手に職がついた」状態にはなった
他方で「このままの調子でいくのはまずい」という危機感のようなものをもよおすことはたびたびあって
時短勤務を願い出たり、ソーシャルアパートメントというマンションとシェアハウスの中間のような場所に移り住んでみたり、友人に誘われたベンチャーの手伝いを本格的に開始してみたり
・・・といった具合に危機感に対して半ば本能的に連動した行動は都度取っていた
ただ、考えることには十分な時間を割けてこなかったように思う。
いつしか「なぜ大学生の頃にあんなに地方で暮らすこと・地方を盛り立てることにこだわっていたんだっけ」とか「本来ITを活かして何がしたかったんだっけ」
ということを自問したり 関連するような話題を友達と話そうとする時に、言葉を紡ぐのに少なからず苦労するようになってしまった。昔はのべつまくなし流暢に捲し立てて話せたようなことをだ。
頭が錆びたといおうか、技術ぼけしたといおうか。とにもかくにもよくない状態であると思う
来月には31歳になる。人生100年時代、仮に人生三毛作とするならば(二毛作の時代は昭和で終わりだろう)そろそろ1期目の刈り入れ時期がやってくる。
せっかく身に付けた技術とも絡めて、今後自分がどう過ごしたいか/生きたいか、またそうした理想像を考えた上で近々何をやるべきか/やりたいか
・・・そういったことをまたしっかり考えて言語化できるようになりたい。noteでの執筆をそのリハビリのきっかけにしたいと考えている
これから会う人・これからも会う人のために
言語化の習慣化と人生戦略の練り直しのみが目的なのであれば媒体は紙の日記でよいのだと思う。
ただ、せっかく文字に起こすのであれば誰かにシェアしてみたいという思いが今はある。
こうした一種の表現欲に駆り立てられているのは最近の生活体験によるところが少なくない気がしている。
ソーシャルアパートメントの暮らしでは、料理や仕事の合間で同世代の友達と会話する機会にあふれていて、時には人生上・キャリア上の真面目な話に発展することもあった。
1年通じてそうした場所で過ごしてみて、高校・大学の生活や和歌山で休学をして田舎生活をしていた時のことが懐かしく思いおこされるとともに、社会人になってからのコミュニケーションの淡白さに強く自覚的になった。
昔、社会学者のジンメルが言っていたように、企業社会(という名の近代社会)は秘密を一種の円滑油にしているようなところがあって、同僚のことを人間的に深く知る必要も時間もなくむしろ知らないからこそ目の前の仕事に没頭できる側面がある(注1, 注2)。これは大いに実感できるところではある
でも、それだけじゃあまりに寂しくなかろうか。
人は表面的なやりとりだけではなく、気心知れた友人との少し踏み込んだ次元でのコミュニケーションをどこか心の奥底で欲しているものだと思う。
僕はそうしたコミュニケーションが取れる環境をもう少し意識的に整えていきたい。そのための触媒の一つとしてnoteを書きたいと思う。
noteの書き物を読んで半ばからかいつつも関連した話題を向けてくれる奇特な人が表れることをほんの少し期待したいのである(年齢不相応なポエムnoteを少なからず産み落とすことが容易に想像できるので気恥ずかしさもあるんですけどね)
実はこの話題に関しては一種の成功体験のようなものがある。
大学の頃の書き物やインタビューを読んだと言ってくれる人が 面白いことにいまだに 1 人は毎年いるのだ。
そういう人との会話はだいたい楽しいものになる。 前提を共有していて、そこを土台に更に話を膨らませられるのだからある意味当然のことかもしれない
日常の雑談に常にこの種の刺激を求めているわけではないけれども、書いた記事が何かの会話の種になって花が開くことがあったらいいな、と。
そんな淡い期待を持ちつつ考えていることを文章にしていきたいとも思っている
その他
今まで技術発信というものには微塵も興味を感じなかったのだけれども複数組織のエンジニアリングチームに携わることになり気が変わりつつある
どこの組織でもいくらか繰り返し使うことが想定される技術・アーキテクチャで、多少の専門知がいるような事柄については書き残しておくことで効率化できる時間はバカにできないかもしれないと思い始めているのだ。
そういうことで技術ブログの類もひょっとするとnoteで書くかもしれない
おわりに
そんなわけでゆるゆる記事を書いていきたい
脚注
注1:ここで解説されているような話である。
端的には、例えばある人の私生活があまりにもだらしないことがふとした拍子で判明してしまった時に、全くそのことを等閑視して仕事場でその人と向き合えるだろうか(きっと知らずに済むならその方がいいよね)というような話。
思想信条に関しても同じような問題が起こりうるし、ジンメルの論考においても当然想定されている
注2:自分の所属組織にケチをつけたいわけではなく、どんな良い会社であってもある程度の規模の組織であれば構造的に必ず抱える問題だと思っている。
いつかフォローする機会があると思うのだが、本業の会社の組織文化・風土については誇りに感じている点も多いことは一言言っておきたい
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