#4 脚本を書く3
再び塔の上にいる私の肩には、極彩色の小鳥が乗っている。猿は、もう、私を無視するように、1人でガラス張りの窓から、渋谷の街を眺めていた。私は、桃の果汁が贅沢に搾られた、細長い紅茶のペットボトルを飲みながら、N氏を待っている。ようやく、社員証でドアの開く音がすると、N氏が入ってきた。
「お待たせしました」
N氏がなぜか、細長い、物干し竿のようなものを片手にしている。珍しく、今日は汗ひとつかいていない。私は、ひとまず挨拶をする。そしてN氏は、いつものように、猿を存分に可愛がる。私は、今日、N氏が新しい脚本家と共にやってくるのかと思っていたのだが、どうもそういうことではないらしい。
「で、今日は、沖田さんに、ちょっとお付き合いしてほしい所がありまして」
どうやら、どこかへ移動するらしい。
「どこか、お店ですか?」
「いえ、違います」
「?」
「ちょっといいですか?」
それだけ言うと、N氏は私を連れ、外へ出た。どこへ連れていかれるのだろうか?社員証でいくつものドアを開き、同じような部屋がならぶ、この塔の廊下を、私はN氏とともに、歩いていく。まるで迷路だ。
しばらくいった先のドアを社員証で開くと、非常階段のある外へ出た。T氏とN氏が、いつも上り下りしている螺旋階段である。かなりの高さだ。下を見下ろすと、目がくらみそうになる。その踊り場に、喫煙所があり、そこで社員たちがタバコを吸っている。通り過ぎようとする私たちに、声をかけてきた。
「行くの?」と社員の一人が呟く。
「まあ、うん」とN氏が答える。おそらく同期なのだろうか。
「いってらっしゃい」と社員が小さく手を振った。
私は、このまま、螺旋階段を登ることになるのだろうか。
「あの、どこへ?」
私の問いに、N氏は「まあ、大丈夫です」とだけ答え、そのまま階段を上り続ける。私もN氏も息切れをして、先の見えない階段をしばらく上っていく。そして、とうとう、頂上につくと、小さくひらけた場所にでた。私は思わず、その場に、倒れこんだ。日頃の運動不足が祟った。にしてもN氏の体力である。さすがに若い。こんな階段を上り下りしてるのだから、いつも汗だくの理由がわかる。
「すいません、エレベーターだと、来れなくて」
と、見下ろしたその視線の先、地面に小さな穴が空いている。なんだろうと思って見ていると、N氏がそこに、持参していた、物干し竿を、差し込んだ。
「さあ、つかまってください」
「え?」
「早く」
言われるがままに、私はN氏の身体を掴んだ。
その地面に埋め込まれている、カードリーダーに、首から紐で下げた、社員証をタッチする。すると、どうだろう、棒は瞬く間に、私とN氏を連れて、空へと、ぐんぐん、伸びていったのである。私は、恐怖のあまり、声も出ず、ただただ、落ちないことを祈って、N氏にしがみつくしかなった。数分後、私の頭上には、まるで大きなブロッコリーのような、空に浮かぶ、小さな島が見えたのだ。
やがて、入り口につくと、棒はそのまま動きを止めた。N氏と私は、ちょこんとダイブして、島の入り口に降り立った。緑に溢れ、そこに、無数のヤギが、放牧されていて、たくさんの人が、ノートパソコンを小脇に抱えて歩いている。私は目を疑った。
「ここは・・・」
「ここは、脚本家の国です」
「脚本家の国?」
「はい、ここには、およそ、200人の脚本家と、199匹のヤギが暮らしています」
私は言葉を失った。
「沖田さん、1年に作られる日本映画の数は、どのくらいだと思いますか?」
「さあ、たくさんとは聞いてますが」
「ここ最近は、千本を超えています」
「そんなに」
「どうしてそんなに、作れるか知っていますか?」
「え?」
「ここがあるからです」
「・・・まさか」
「日本映画の脚本のほとんどが、ここで書かれたものです」
私は、ついに、日本映画の秘密を知ってしまったのだ。
日本は脚本を、輸入していたのだ。
言葉もない、私に一匹のヤギが、近づいてくる。
「その人は、脚本家じゃないよ、監督だよ」
N氏がそう言うと、ヤギが、冷たい目をして、どこかへ行ってしまった。
「脚本家にしかなつきません」
「どうして?」
「原稿を食べて生きているんです」
「まさか」
「脚本ヤギです」
「そんなバカな!」
「はい、世の中には、信じられない生き物がいるんです」
私の背中をじっとりとした汗が流れた。
「たった一匹、この国から、逃げて、亡命したヤギがいます」
「まさか」
「はい、喫茶店のヤギです」
まさか、あれが、脚本ヤギだったなんて。あのヤギは、この国で育ち、脚本家の、ボツになったであろう、原稿を食べて育ち、そして、それに嫌気がさし、死ぬ思いで、この国から逃げ出し、そして、地上に落ちていき、そして、自由を得た所で、気づいてしまった。地上には、それほど脚本家がいないことに。だから、あの喫茶店で、遥か頭上に浮かぶ祖国を思い出しながら、あの場所でひっそりと生きていたのだろう。私は、涙を浮かべ、脚本ヤギのことを想った。
「さあ、沖田さん、脚本家を探しましょう、200人います!」
N氏が、喜び勇んでそう言った。
「・・・・」
私はN氏とともに、散策することにした。
しかし、200人もいたら、誰が誰だか、わからない。
私は、あたりを見回した。
有名な、あの人もこの人も、至るところで、脚本を書いていた。
「だいたい、みんな、ここに修行に来るんです」
「なるほど」
ぼやっとしていると、ランニングしている脚本家に当たりそうになる。気をつけなくてはいけない。脚本家は、だいたいランニングしているものである。
綺麗な蓮が浮かんだ小さな池がある。その蓮に脚本を書く者もいる。
森の中で、木に脚本を彫る者もいる。
ヤギの毛に直接書く者もいる。
脚本は自由だということを、思い知らされるのである。
私は気がつけば、涙を流していた。
同志たちよ。
脚本を書くのは、誠に辛いことぞ。
体力のいることぞ。
私は、こんな楽園のような場所があるなんて、思いもしなかった。一生ここにいてもいい。私は、ここでヤギと暮らしながら、脚本を書いけいければ、それでいい。
そんなことを思いながら、私は歩き、そして、原稿用紙の形をしたアパートを見ていると、その入り口から、ふと、見覚えのある男が出てくるのが見えた。
まさしく、あの渋谷の路上で、汚い脚本を売っていた、あの男であった。
つづく。
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