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「プラチナエンド」感想ー死と生と、神と幸せと、それらへの疑問

 一応ざっと、漫画のほうの最終巻(全14巻)の試し読みとかもしてみたのですが、ストーリーは原作に沿ってるみたいだと確認しました。
 というのも、割と衝撃的なラストだったので、漫画原作を改変して打ち切りとかしてないか気になったもので。
 さて、まネタバレになりますが、こういう「みんなが終わってしまう」系のエンドのアニメを見たのは久しぶりです。
 「ベターマン」ぶり、って言うと分かる人は分かるでしょうか。
 一応ベターマンは、最後に命のカケラという希望があったようですが。
 そうすると、「イデオン」までさかのぼらないといけないのかな。
 あ、でもイデオンは「完全に死ぬ」というより、「肉体は滅びるけど、魂は新天地を目指して旅をして、新しい生命が宿ることのできる惑星で生まれ変わる」というラストだったから、「完全なる死」ではない。
 そうすると、厳密に言うと、「全員死ぬ」ラストのアニメを、本当に最初に見たという事になる。

 現在の科学では、「永久に意思を持って生きる人」というのはいない。
 大体、かなり高齢の人でも、130歳までは経たないうちに生涯を閉じる。
 そういう意味では、個人レベルで言うならば、「死ぬ時期がいつになるか、それが違うだけ」であるし、「どれだけ長く生きるかよりも、どのように充実して幸せに生きるか」が重要、という言葉もよく言われている。
 個人レベルでは。

 この物語は、「メトロポリマン」という、妄執に囚われた悪役が物語中盤で死に、その後は厳密に言うと「完全なる悪役」は存在しない。
 「DEATH NOTE」も「バクマン」も見てきた。
 ウィキによると、この作品は大場つぐみ(原作)、小畑健(漫画)のタッグの3作目だそうだ。
 「バクマン」は漫画家になろうとする若者の葛藤の物語であり、別ジャンルなのでちょっと脇に置く。
 このタッグとしては、「超越的存在と出会い、超越的な能力を手にした人間が、どのような行動を取るか」という意味で、「DEATH NOTE」とまあ大体似たカテゴリーに入れることができるだろう。
 「DEATH NOTE」では、人をノートに名前を書くことで殺すことができる青年が、やがてそのカラクリを見抜かれて破滅に追い込まれていく話だった。
 今回の「プラチナエンド」は、この「DEATH NOTE」の進化型として興味深く視聴していた。

 「神はいるのか、いないのか」「神は人間の想いが創ったものなのか、それとも神が人間を創ったのか」「神の役割は何なのか」
 果たして、神になった中海 修滋(なかうみ しゅうじ)の思考は正しかったのか、間違っていたのか。
 ノッセは何者だったのか。
 神がいなくなれば、神が作り出した生き物も消えると、中海修滋は知っていたのか、知らなかったのか。
 知っていてやったのだとすれば、自分と地球の全ての生き物を巻き込んだ無理心中ということになるし、気付かずにやったのだとすれば、実験ミスということになる。
 そして、「死ねてうらやましい」という、世界の全ての生き物が消えた後につぶやれる、どこの誰ともつかないつぶやきたち。
 あれは一体、誰なのか。
 非常に簡単な類推をするならば、この作品中の「神」は、管轄が「地球」だけであり、他の地球に似た、生命のいる惑星と、その惑星の生命を創った、その星の「神」たちのつぶやき、のように私には思えた。

 こういう作品、苦手な人は苦手だろう。
 私の相方は、第1話を見た時から、「悪いけど無理。これは今後は君ひとりで見てくれ」と言われた。
(我が家は茶の間と私の自室のテレビがどちらもSONY製で、自室でも録画作品を観ることができる)

 SF小説の中では、「世界が終わっていく」というENDには、たまに遭遇する。そういう考え方もあるね、という印象だ。

 ノッセは、神をも超える超越的存在だったようだ。
 そして、「明日(みらい)クンを幸せにできたらいい」という事に、行動原理の全てが直結していた。
 明日と咲の結婚式で、ふたりが「もう死んでもいいくらい幸せ」と言ったのを聞いて、ノッセは何かを成し遂げたように頷く。
「明日クンは完全に幸せになった。私の存在役割は終わった」と思ったのだろう。消えていくノッセには苦痛という感覚も、自分が存在することへの執着も無いようにも見えた。
 このあたりの超合理性は、ロボットやAIのようでもある。
 今回の作品は「幸せとは何か」「幸せを感じたら本当に死んでも良いのか」「神はいるのか、いないのか」「神を信じる人のために、神は存在しなくてはいけないのか」といった、様々な古来からある疑問に、このタッグでひとつの答えを出したカタチとなった。
 多分答えは、無数にあると思う。
 私が今回この作品を視聴して良かったと思ったのは、これら形而上的命題に対して、手を抜くことなく、作者陣が誠実に一つの解をつきつめていった姿勢が見られたことだ。
 単なる勧善懲悪主事や感情論にならず、また、スリルとサスペンスとアクションだけで終わるということもなく、明日、咲、米田などの、最後まで残った神候補は神選びの試練の中で人として成長を遂げた。
 決して軽いENDでは無いが、とても見ごたえのある、ちゃんとした「プラチナエンド」になったと思う。



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