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空白と思考と憂鬱の輪
生活の隙間に空白があり、それを埋めるように思考し、深く沈み込むように憂鬱になる。
起きた時、いつの間にか昇ってる太陽、人混みに揉まれながらのる準急列車、いつもの席に座る瞬間、うるさいチャイムの音、つまらない授業、長い休み時間、帰宅中の朝と変わらない景色、いつも通りの我が家、交代している月、長い夜。
今まで日常に溢れいた、勝手に五感を通って入ってきていたすべてが不愉快に感じる。
ひどい眠気を常に感じる。物事を全て悲観的に感じる。ため息も出る。
全てのコンディションが最悪である。
それもこれも全てのはじめを辿ると退屈から始まっている。
退屈という空白の時間があるから憂鬱が生まれるのだ。
なにかをしていてもしていなくても退屈な時間というのは存在する。
その退屈な時間、自分はずっと思考する。
変に考え込んでしまう。
思考はどんどん深く長くなっていく。
思考に縛られていく。
失敗経験、将来への漠然とした不安、焦燥感、そもそも今この瞬間すでになにかに引っかかっている。
一つ一つは小さな魚の小骨が喉に刺さったくらいのものでも、それが何個も、何回もつっかえたら、生活に支障をきたすだろう。
なにか幸福を感じても常に喉が痛かったら地獄だ。
退屈から生まれる思考から生まれる憂鬱。
憂鬱の状態では何もやる気が起きないから、退屈な時間が発生する。思考する。憂鬱。
地獄の繰り返しだ。
多分鬱病に悩む人が増えているのはそのせいだろう。蓄積が体を壊すのだ。
大きい不幸が一気にバゴっと来るより小さな不幸がジャブ打ってきて後からジワジワくる方がよっぽど痛みがある。
時々。なんで生きているのか分からなくなる時が来ると思う。
生きていて得る幸福よりも、幸福に辿り着くまでの過程の中で受ける苦痛の方が多いからだ。
でも、みんなどれだけジャブを打たれても、アッパー打たれても、チャンピオンベルトを巻くために、歓声を浴びるために戦い続けている。
その一瞬の一つの喜びのために生きてるんです。
僕は今日も、なだらかな憂鬱と、退屈と共に生きていきます。
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