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涙で泳ぐ夜に考えること


電気を消してベッドに入った。さあ寝ようと思ったとき、ぬるい液体が頬をつたって耳まで流れてきた。紛れもなく涙だった。こういうことが稀にある。そのときは、なんで涙が流れてきたのか全くわからない、というよりも思考が整理できていない状態になっているんだと思う。意図せず涙を流す夜がしばしばある。泣きたくて泣いているわけじゃない、感傷に浸ってるわけでもない。理性ではない私の中にある何かが、SOSを出す手段が涙しかないのかもしれない。



その夜は、とりあえず泣きたいだけ泣いたら眠くなってきて、少し落ち着いたら眠りにつくことができた。次の日起きたら、昨日の感情は忘れてた。”寝たら忘れる”は私にぴったりな言葉ではあるけれど、今回ばかりは、何に悩まされて苦しんでいたのか知っておかないといけない気がした。ノートからページを引きちぎって、今抱えてる不安、苦しさ、辛さを殴り書きしていった。少しだけスッキリした感覚になって、でもまだ整理はしきれてない。noteの中で綺麗に整理してまとめるとかじゃなくて、思いの丈をありのまま書いてみたい。







心|苦しい、寂しい、辛い、悲しい


感情っていろんな種類があると思う。その中でも、涙が流れる起因になる感情は”苦しい”、”寂しい”、”辛い”、”悲しい”が主なものなのかな。これらの感情を抱いたとき、私は誰かにこの現状を伝えたくなる。伝えたくなるだけで、実際に伝えはしない。



例えば、「バイト先で失敗して、店長に怒られて辛かったんだ」、「〇〇と話してたんだけど、あんまり楽しそうじゃなくて悲しかったんだよね」みたいに思っても、これを伝えたとき相手にされるであろう返事まで考えてしまう。伝えたところで、相手にとっては私の辛い、悲しいと思うような出来事は、”そんなこと”で済むようなものかもしれない。それに、私よりもっと過酷な環境の中で辛いことが多い人や、悲しい思いをしている人がいるかもしれない。だから、私は甘えたことなんて言ってられない。



こういう思考回路に陥って、本音の感情を無理矢理押し込めてしまうのが癖になってる気がした。でも、よく考えてみると、たとえ私と私以外の人に同じ出来事が起きたり、同じ境遇に立たされたりしたとしても、ダメージや感じ方は人の数だけある。
相対的に悩みを見てしまうこと。これが続いてしまうと、誰が自分に、「少しは休んでもいいんだよ」と声をかけてくれるのだろう。自分のことがよくわからないのに、自分のことを自分で知っておかないと、守っていかないといけない。素直な感情をそのまま受け止められる強さが欲しい。




悩みの種


私情になってしまうけれど、“バイト”、“ゼミ研究”、“就活”という3つの悩みの種を蒔いてから、これらがすくすく育ちつつある。バイトは今に限らず、ずっと前から少しずつ悩んでいることでもある。大学一年のときから合計で4つのバイトを経験していて、どれも続かず長くて8ヶ月しか一つのバイト先で働くことができていない。人に怒られることが幼い頃から嫌いで、大人を怒らせないように生きてきた結果、真面目な優等生として見なされ育ってきた。バイトを始めて気づいた仕事の出来の悪さと、バイト先の人と関係性を持つのが苦手で、バイトで怒られる夢を見るほどストレスがたまった。自分の精神的にキツかったし、単にバイト先が合っていないところばかりで辞め続けた。



けれど、お金は必要。辛くて辞めたのにお金がないと何もできない上に、社会との繋がりを失った不安感が、また私の心をむしばんでいく。私はわがままで、一人で生きていくことができるのかさえわからないダメな人間だと自己嫌悪に陥ってしまう。
生きていく、働くためには就活が必要で、大して何も実践できていない自分に嫌気がさす。インターンを調べるだけ調べて応募はしてないし、周りを見ると意外とインターンに行っている人が多い。行動してもないのに、就活に嫌悪感だけ抱き続ける一方の自分が嫌い。本格的に就活してもないのに、就活への印象を勝手に決めつけている自分も許せない。勝手に物事を判断して決めつけるようなことはしない人間になりたいのに。




共感してもらいたいわけじゃない


私は家族の中でも、母には本音を言うことができる。けれど、弱っている自分をあまり見せたくないと思ってしまう。一番に心配してくれるし、味方でいてくれる存在なのはわかっているのに、ネットで調べた情報で一般論を突きつけられると、現状と本人のこと何も知らないくせに、とも思ってしまう。最初に話したように、親にさえ「わかってもらえるはずがない」という考えが根本にある。今は特に、就活の悩みを伝えることが多くて、いろいろ情報提供してくれてるのに、その優しさを素直に受け止められない。自分から悩みを伝えといて、助言をもらったら「そんなこととっくにわかってるし、調べたし」と反抗心を隠せなくなってしまう。



ここでも、私はこんなにも恵まれた環境で、親に優しくされているのにダメな人間だと思わずにはいられなくなってしまう。




普通になれない


私は繊細で敏感な方で、俗に言う、INFJであり、HSS型HSPなんだと思う。だからなんだと思いたい。それを理由に、「優しくしてください」と言って特別扱いされたいわけでもない。ただ、普通や平気を装っていくと、心がどんどんすり減っていってしまう。だから、逃げることが多かった。自分の心が死ぬ前になんとかしないといけない、逃げることしか選択肢になかった。そうすると、心が死ぬのを阻止できたとしても、逃げた自分が嫌いになる。部活にバイト、思い出したらもっといろんなことから逃げてきたと思う。



「逃げた」という表現は、傍から見たときの意見かもしれない。ノートに殴り書きしながら思った。逃げたのはただの手段であって、逃げることが目的ではなかった。自分を守ることが本来の目的だった。ただ、これを他の人に理解してもらうのは難しいことで、大抵は、逃げないことが成功であり正解で、忍耐強いと見なされる。けれど、やっぱりダメージや感じ方は人の数だけあって、繊細で敏感な人たちにとって、逃げるまで行かなくとも、休むという選択肢すら持てなくなると、どうなってしまうのだろう。
私だって、社会や人から期待され、求められることに応えたい。でも、心と体が世間の普通に追いついていけないことがある。




理想の自分になれない


誰だって、ありたい姿や理想像、目標があると思う。それ自体とても素敵なこと。けれど、努力ではどうにもならないことだって平気であることに気づいてしまうと、どれだけ熱量があったとしても敵わない。
私の場合、人より何十倍の努力が必要で必死こいて頑張っているのに、そつなくこなしてしまう人を見ると、不平等さを感じてしまう。加えて、ストレスとプレッシャーを感じやすい。私もほかの誰かからは”いいな”の対象かもしれないし、そつなくこなす人にもそれなりの悩みがあるのかもしれない。そうだとしても、私の中には「なりたいのに、なれない。だからうまくいかない」が増え続けていく。



努力して叶えたいのに、ストレスがたまりやすい。こういう矛盾を理由にして、何かを諦めたくもない。矛盾を自分の中から消し去りたい。”やりたい”ばかり言うだけで、そのために行動しようとしない人は矛盾の中に生きているなと私は思ってしまう。だから、私はそうはなりたくない。
そう思ったとき、自分の中にある矛盾ってそもそもなんだろうと疑問を持った。良い子と悪い子、怠け者と真面目、一人好きと寂しがり屋。すぐ思いつくのはこれくらいだった。よく考えてみると、矛盾をなくすことって人間らしさがなくなるなと。完璧に人格を分断できるわけでもないし、二極論で考えられるほど単純なものではなかったんだ。




殴り書きメモから


涙で泳いだ夜に考えたことをノートに殴り書きした。何かが解決したかと言えばそういうわけでもないし、これからも涙で泳ぐ夜がやって来るんだと思う。自分の気持ちの吐き出し方さえわかっておけば、気を紛らわす程度にはなるし、もしかしたら何かが見えてくるかもしれない。
悩んだとき、毎回思うようにしていることがある。それは、『美味しいものは美味しいままで、綺麗なものは綺麗なままなのだから、せめて、これだけは守って生きていこう』と。

結構殴り書いた






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