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生きやすくて生きにくい


いつもと違って少し刺々しく時に荒々しい言葉づかいですが、これも私なのだと寛容に読んで貰えれば本望です。





SNSや技術の発達によって何でも手に入れることができる世の中になった。ここ数年で目に見えて手に取るようにわかるし、自分の肌感覚としても痛いほど実感する。特にスマホとインターネット空間に滞在するSNSには世話になっているというか世話を焼いているというか。今までは聞こえることがなかったマイノリティーの声が拡声器の如くインターネットを通じて広がっていくということがありふれていった。時には人命を救うことにもなり、時には人命を崖から突き落とすことにもなった。後者で言うと、いわゆるアンチというものだ。インターネットの世界には私の理解に及ばないことがたくさんある。なぜ知りもしない会ったこともない人にそこまで干渉できるのか。一言アンチを投げつけるぐらいならまだしも、毎日アンチを送ったり粗探ししたりと徹底的に付き纏えるのか。もはやその行為は告白と見なすことができる域まで達しているよと誰も言ってやらない、本人も気づいていないことに私は面白みさえ感じてしまう。そんな俯瞰的になったつもりで私はあんたらとは違うんだぜと嘲笑する身分はただの勘違い思い違いでしたというホラー展開が始まることを私は恐れている。



インターネットに人生を捧げることはしたくないと思ってる。数十秒のものから数十分のものまでの動画や写真となったあらゆるコンテンツがごろごろ転がっている。スマホという檻の中に。時間が溶けるように過ぎていくという言葉をよく耳にするけどあんためちゃくちゃ怖いこと言ってるよ?と言いたくなる。実際言うことに至っていないのは自分も一日のうちに檻の中で楽しんでいる時間が少なくともあるからだった。いつの間にか溶けていたじゃなくてあたためていたから溶けるのは当たり前でしょというスタンスのおかげで私は自我を保てている。



見栄っ張りもほどほどにして欲しい私にもSNSが散りばめた情報に転がされていた時期があった。何かに縋っていたくて頼っていたくて信じていたくて仕方がなかった。それを担保してくれたのは画面上に映る情報で、私の心の内を見透かしているのかと思うほど的確な情報を提供してくれる。恐怖など露もない。自分の中で生まれ続ける不安や心配の根源を解消してくれる情報を求めて檻の中に籠もり永遠と泳ぎ続ける。そのとき、ふと「これは一体誰から見ての正解なのだろう」と思った。「モテまくった私の垢抜けるための〇選」「就活で無双した人の長所短所一覧」「みんなに聞いてみた○○な人の特徴」。うるさいうるさいうるさいうるさい。きもいきもいきもいきもい。反吐が出るからやめてくれ。



SNSが撒き散らす情報はどうしても見る側からしたらそれが正解だと思い込んでしまう。作る側もいろんな人たちの炎上や失態の過去を参考にインターネットにおける倫理観を備える人が増えてきたからか、この情報や意見は絶対とは限らないしあくまで個人の意見ですと保険をかけるようになった。そんな保険なんて見る側の耳に入っているわけもなくそれなりに影響力がある人が拡声器を通して拡散してしまえば伝言ゲームのように間違った伝わり方をしても無理はないと思う。誰から見ての正解なのだろうと言ったけど、きっと誰のものでもない。誰のものでもない正解を私たちは必死に追い求めている。容姿体型に敏感になりすぎていたとき自分の何もかもを否定してしまった。摂食過食には至らないものの食べることに楽しみを見いだせなくなった瞬間生きる意味を失った感覚に陥った。別にSNSが悪いと言っているわけじゃないし今でも全然檻の中を楽しく過ごしているときもある。
変わったことは”慎重に”選ぶようになったということだけだった。



「生きやすくなった」と言うのは今まで理解されなかった知られていなかった人たちの存在が世に広がっていったことを喜ぶ人たちの声だ。
「生きにくくなった」と言うのは今まで何も気にせず発言したり行動したりしていたのに思考し抑制することを強制されていった人たちの声だ。
は?と思った。生きやすいとか生きにくいとかわざわざ口に出さないで欲しい。この世界は生きやすくて生きにくい。ずっと昔からそうなのでは?一般的な教養の範囲でしか歴史を学んでいないけど、そのときどきの暮らしをしていた人たちの生活を知っていく度にどの時代に生まれても死んでも生きやすくて生きにくそうだと思った。だから私は、今の世の中を生きやすいと思える人がもっと増えて欲しいとも思わないし生きにくいと言う人を助けたいとも思えない。誰かを助ける余裕なんか私にはない。自分のことで精一杯で自分のことさえもままならないのだから。



友達が言葉づかいに気をつけたいと言っていた。”うまい”ではなく”美味しい”。”おもろ”ではなく”面白い”。”やばい”ではなく”すごい”。どうして言葉づかいを気をつけたいのか聞いてみると、言葉づかいが丁寧だとイイ女とか育ち良さそうに見えるじゃんと言った。本当に、生きやすくて生きにくい。




この世界がクレーンゲームだとしたら
私の価値はいくらだろうと思った瞬間




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