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「藤森照信先生とオンライン茶会」

先日、初めてのオンライン茶会に挑戦し、大いなる失敗を味わった訳ですが・・・
懲りもせず、再びオンライン茶会を開催しました。
もちろん、失敗を経ているのでアプローチを大きく変えて挑みました。

今回の挑戦では、現実の、オフラインのような茶会の再現はしないことを決めました。

そして、逆にこれまでのようなオフラインの茶会で失われていたものは何か?を考え続けました。その結果、「コミュニケーション」に行き着きました。

茶事では、ある程度「コミュニケーション」が深められますが、現代の大寄せ茶会では、席数や時間が分単位でスケジューリングされており、亭主と客が「コミュニケーション」できる時間はほとんどありません。。。

そこで、オフラインではこの「コミュニケーション」部分に重点を置き、一服を楽しみながら、「和」を深めるという設計にして挑戦しました。

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「フジモリ夫妻の温かい笑顔」

本日のゲストは世界的な建築家、建築史家の藤森照信さまと奥様の美知子さまです。
とにかく、明るく笑顔の絶えぬおふたりの雰囲気がなんとも印象的でございました。(控えめにいって、素敵すぎます!!)

ご縁が繋がり、今回は特別にオンライン茶会に参加していただけることに・・!
フジモリ建築が大好きな私には、、とても得難い夢うつつのひと時となりました。

この度、オンライン茶会を文章でもお届けする許しをいただきましたので、ご連客さまになった気分で読んでいただけると、とても嬉しいです。
(以下、敬称を略させていただきます。)

「オンライン茶会、スタート」

前嶋康太郎(以下、マエシマ) こんにちは。先生お忙しいところ、お時間をつくってくださり、本当にありがとうございます!

藤森照信(以下、フジモリ) 今日はお招きいただき、ありがとうございます。この時期、外には出られませんので(笑)。

藤森美知子(以下、美知子) よろしくお願いいたします。外でできなくてちょっと残念でしたけれども・・・

フジモリ 最初、庭にね。オリンピック用の(立礼の)茶室をちょっといろいろつくってまして。それが延期になったので、そのテーブルが家に来ていて、それを庭にだしてやろうかと思ったんだけど、重くて重くて・・それで今、室内から参加しています(笑)。

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マエシマ なるほどですね!テーブルは結構大きいものですか?

フジモリ (茶室は)四畳半で、テーブルは畳2枚分くらいの大きさ。亭主入れれば8人くらいの席。海外の方用だから、いろいろでかくしてあるんですよ。日本の女性なんか2/3くらいですから(笑)。

マエシマ 確かに。(笑)
私は本当に先生の建築が大好きで。大ファンなんです。
さて、今日はオンラインでのお茶会なんですけど、、、
最近のお茶会に思うところがありまして・・・
最近は大寄せの茶会が主で大人数が忙しなく動く。
本当はゆっくり話しながらやるほうが良いんじゃないのかと思ったり。

(コロナ自粛により)こんな時なので集まれないので、
逆に(茶会中での)コミュニケーションっていう部分を、取り出してきた、という風なイメージで、今日のお茶会では、先生にいろいろお話を伺いたいと思っております。よろしくお願いいたします。

フジモリ、美知子 よろしくお願いいたします。

マエシマ また、本日は着物でご参加くださりありがとうございます!

フジモリ 妻はいつもお茶やるときは和服で、私はおばあさんのものを。

美知子 これは祖母のもので、夫の母(今年96歳)が父のために仕立てたものを、夫に譲ったもの。私が見てもとても素晴らしいと思える大島なんです。袖を通す機会が少ないので、今日はとても喜んでおります。

マエシマ 画面越しにも、とても素敵です!
さて、今日は1時間くらいで考えておりまして、4つのテーマでお話を伺いたいと思います。

①現代の茶の湯について
②縄文の話
③五庵について
④若き者へのエール

をお伺いしたいと思います。
途中で、お茶を飲みながらやりたいと思います。

①現代の茶の湯について

マエシマ まず「現代の茶の湯」について想うことをお聞きしたいと思います。
まず、奥さまに「お茶に出会ったきっかけ」からお聞きしたいです。

美知子 私はお茶を始めたのは40代の後半で、公私ともに一息というときに、何か始めたいなあ、と思っていたところ、身近にやっている人もいたものでお茶をはじめました。

これまで、全く接したことがない世界で、とても新鮮でした。
特に私の年代の人は、お茶っていうと「なにそれ、花嫁修業じゃないの?」と少し揶揄される雰囲気があったのですが・・・

でも始めてみると、まず、お菓子とお茶にとても癒やされましたし、型にはまる快適さというか、そういうものを感じました。

本当に仕事、家事の傍らに続けてきただけでして・・・しかし、お茶をすることで関心が広がり、夫とはある種共通の関心事になり良かったなあ、と感じております。

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マエシマ 初めてお茶室を作られた時期と同じくらいの時期にお茶を始めたのでしょうか?

美知子 自宅(タンポポハウス)を建て替える前年にお茶を習い始めました。建て替えとお茶は直接関係なかったのですが、せっかく建て替えるのだから、と思い新しい家の主室に炉を切りました。

夫が茶室を作りはじめたころ、お茶は趣味として始めてすでに10年くらい経っていました。家ができていろいろな人が訪れてくれて、その時に特に海外の方にお茶でおもてなしをすると非常に和むんですね。いいなあ、と思いました。

フジモリ あのねえ、それはビックリしました。
海外からの来られる方は、日本にお茶という何やら不思議なことがあるということは知ってるわけです(笑)。

狭いなかでみんな、なんか飲んでるみたいなイメージはある。観光地でも飲めるところはあるけど、ちゃんと、座ってお茶を出されると喜ぶ。

知ってはいるけど初めての人がほとんどで、学生もものすごく喜ぶ。すごく興味持つ。「点てる」とう行為をやってもらうとすごく喜ぶ。

おそらく、喫茶文化がおもしろいという理由と、何か「儀礼」というか「作法」への関心があると思う。

建築やデザインを志す学生だからかもしれないけれど、狭い中で行われる身振り、パフォーマンス、身体性への関心が高い。一方で、日本の学生はなんかみんな引っ込み思案、照れくさいって感じ(笑)。

マエシマ 世界中から見ても日本の喫茶文化は異様なものですか?

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フジモリ (日本の場合)少なくとも独自の空間がある、それから美術や工芸の鑑賞の場でもある。それは全く他の国では体験しません。
どの国でも「特別にお茶を飲む」ということはあるんです。

一番有名なのはイギリスのアフタヌーンティー。
私もやってみたんですが、基本的には貴族の館でちゃんとやるというのが本式なんです。まあ、今は貴族の館で飲むってことができないので、基本的には有名なデパートやレストランの一角を使ってやってる。

で、そのときに驚いたのが「約4時間」かけて行っていること。日本の茶事もやはり4時間やりますよね。

4時間かけて何やってるかというとケーキを大量に食べる。
まず、あの4段くらいのタワー状のものが目の前に置かれる。

「ああ、これをみんなで食べるんだな」と思ったら、それぞれの前に置かれて前が見えなくなりました。
これを4時間かけながら食べる。紅茶はいくらでも持って来てくれるんですね。

おもしろいのが、確かに話しながら食べてると4時間くらい経つんです。

やっぱり4時間、親しい者同志がなんかちょっとつまみながら話すっていうのは、人間の性、脳の整理かもしれませんね。「4時間」っていうのがいいんだと思いました。

美知子 3年くらい前にロンドンのバービカン(ヨーロッパ最大の文化施設)に茶室を作ったんですね。
茶室披き、ということで私も参ったのですが、参加者はみな、茶の湯に対する関心が非常に高くて知識も豊富なことにとても驚きました。

英国のアフタヌーンティーと違って日本の茶は様々な素材(マテリアル)を使っていますよね。
それがなぜなのかとか、竹であったり、漆であったり、あと帛紗さばきがミサに似ているのではないか、とか鋭い質問が次から次へ出ててきて、非常に楽しかった。

いろいろと学んでいくことがたくさんあるなぁと思って、ますますお茶に対する興味が深まりつつあります。

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マエシマ そう考えると海外の方はある程度をわかる人は、かなり興味を持って核心的な質問をしてくる。その一方で日本人の若者たちに、お茶の話をした瞬間に「めんどくさいなあ・・はいはい。日本文化の話ねって。」っていうのが見受けられます。(笑)
お茶人口も減っているなかで、このような現状はあまり良くないなぁと思うのですが、、、日本のお茶のあり方に対する想いについてお聞きしたいです。

フジモリ マエシマさんには当てはまりませんが、、、おそらく、普通の若い人たちには、やっぱりすぐに「お茶」という話は難しいんじゃないかな。
他に面白い事がたくさんありますし(笑)。

しかし、ある程度歳をとってくる時にそういうものに目覚めてくるんじゃないかな、と思っています。
だから、目覚めてきたときにそういうものがなくなってたんじゃしょうがないのです。そこはちゃんと続けている人がいるというのはすごく大事。

いわゆる日本の千家をはじめとする流派のお茶がありますよね。私自身はそういう茶道というものはやらないけれど、お茶の空間でお茶を飲みながらいろいろ話をするのは大好き。
私に茶室を頼む人たちもみんなそうです。
茶道はやらないけどお茶の空間とお茶を飲みながら、みんなで話すのは好きなんです。

おそらく、私はフリースタイルでの茶室を作ってるんですけど、流派をはじめとするところに対して絶対批判はしないです。

なぜかっていうと、ああいう方々がちゃんと守ってくれることが、本当にすごく大事なことだからです。やっぱりあの形式が確立してそれを守るということは文化とか伝統を考えるうえでは本当に大切なことだと思います。

マエシマ 確かに。
先生のように日々の暮らしのなかで本当に楽しんでいるお茶とどうしても形式が最優先するお茶、どっちも大切なんですけど本質にあるのは、どうやら日常に楽しんでる方が本質的じゃないかと思っていまして。

たぶん利休さんの頃もお点前が細かく確立していることはなく、今のように習うっていうこともあまりなくて、一緒に茶事にいくとかだったと思うのです。

やっぱりこの両方をお茶人としてもやっていかないとならないのかなっていうのをすごく感じますね。

フジモリ 私の茶室も利休無しにはなかったことですので、あれがベースに自分はどう変えるかということでやっています。

私が利休から学んだことは、ひとつは「狭い空間」であること。それから、「小さな穴(にじり口)から入る」こと。「炉(火)」があることです。

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結局、利休や先人たちのやったことで自分はやらないことがありました。
それは「障子」は使わないこと。「床の間」も使わない。それから、「外は戸を開ければ広々と見える」ようにする。

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私は、待庵とかに結構長い時間かけて中にいた経験があるんですけど、、、やっぱり結構鬱陶しいんですよ。外が見れないと。

最初は見えなくていいんですよ、、、しかしある時期にはサァーと外が見えた方がいいなーっていう感じがします。

それでね、茶室の大先生の中村昌生先生っていうね、もうずーっと戦後の茶室の研究をリードされた、中村先生にね、一応建築史の歴史の専門家の先輩ですから聞いたことがあるんです。

「先生、茶室って鬱陶しくないですか。」
ってそしたら、
「そりゃあ俺だって鬱陶しいよ。」って言ってました(笑)。

やっぱり、あの中に4時間いると相当鬱陶しいって。
だから利休から、「あの狭い空間に入ってそこに火がある」っていうこと、これは外さない方がいいなあと思いました。

そして、広い空間に行っても「水があって火がある」ということは絶対やめちゃいけない。
これは人間が生きていく基本ですから。人間は水のあるところにみんな集まってきて、その周りで火を焚いて。

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そこで人間らしい生活始まるんですけど、なんかその水と火っていう人類の生存の基本になるもの、それを失ってはいけないっていう風に感じます。

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マエシマ お茶においても、しばしば水とかお湯っていうもの、そして火に対してある種本当に神様が宿っているような部分が点前の中にも大きく見受けられます。水なんか本当に生命の誕生する源であるという。

つくばい

フジモリ かなり昔、今もそうかもしれないけど、茶人は水に凝りましたよね、
水の当てっこをしたとか(笑)。

マエシマ まさに(笑)。私はいま、山梨の湧き水が82カ所ぐらいあって、それを1箇所ずつ汲みに行ってお茶を飲んで実験をしています。

フジモリ 山梨は富士山や南アルプスがあるからもう汲みきれない程湧水があるんじゃないですか?

マエシマ 相当あると思います。
お世話になっている地質学のプロフェッショナルの先生は、水も岩石によると言っておりました。そして、山梨県はどうやら地球上の岩石のほとんどのもの(黒い岩から白い岩まで)が揃っている稀有な土地であるとおっしゃっていました。

フジモリ 昇仙峡とか乾徳山とか御影石の良いのがあるので、相当良い水が出るんじゃないかな。

②縄文について

マエシマ 今、ちょうど火と水とという話が出ましたので、このまま縄文のお話をお伺いしたいと思います。
実は私も縄文が大好きで、毎年、山梨県立考古博物館で縄文茶会っていうのをやってるんです。

ゲリラ茶会@縄文

フジモリ 縄文時代はゴザなどの敷物は古くからあったと思います。
ゴザは技術的には縄さえあれば作れる。縄は草系のものを綴ればいいですから。

低過庵は縄文の竪穴式住居を意識してつくったんです。

縄文住居の湿気が不安だったんですが、八ヶ岳で縄文住居をつくって管理しているところがあって、そこに入れてもらったら、まったく爽快なんです。

火をいつも焚いてるので空気が乾いていて、夏でも地面があるから涼しい。ただ火を絶やすともう一気にダメ。日に何度も火を焚かないと。
毎日火を焚いていたら湿気の問題はまずないです。

あと、蚊がくるので不可欠で火を焚いていたことも考えられる。蚊がマラリヤなんかを運びますから。
私も昔子どもと竪穴式住居をつくりましたが、火が途絶えた瞬間に蚊がぶわーと襲撃してくる、ということを経験しました。

そして、利休の頃は漁村とか山村に行くと縄文住居って現役でしたから、土間の上に直接座って暮らす習慣っていうのは戦後まで何万件ってあったんですよ。

戦後だって何万か何10万人かいたはずだと調査で分かっている。

もしかしたら、利休の時期は国民の半分くらいがそのように暮らしていたかもしれません。
利休にとっても縄文住居は割と身近にあったもの。
そこまで不思議なものを作った訳ではないんです。しかし、そういうものをみて、それをああいう美的なところまで洗練していったというのが、利休の力です。

僕らが子どもの頃は、山の仕事の人たちは木の皮などで寝泊まりするところを作ってましたから、仮設的に有り合わせのもので作るっていうのは日常的なことでした。それは利休が茶室作ったことの美学と精神の大きな背景になったと思います。

マエシマ やはり仮設性というか「ひととき、その瞬間」であるってことが、けっこう重要だったんでしょうか?

フジモリ 利休が登場する前から「囲い」といって、戦場で仮の茶室を作るっていうのはありましたから、利休はいっぱい見ていたはずです。

仮設的に高度な技術を使わずに自分たちの技術でやりながらそこに美しさをちゃんと出すっていう、そういう路線だったんじゃないかと思います。

利休の茶室って、使われているものが、ちゃんとした建築物では絶対に使っちゃいけないものばかりなんですよ。ちゃんとした建築っていうのはお寺とか書院造とか寝殿造ですけども。

例えば、竹や仕上げの藁の土壁、下地窓などもそう。ちゃんとした建築物では絶対使っちゃいけないものです。利休はむしろそういうのを使って新しく打ち出すということやったわけです。

マエシマ 私も仮設性に惹かれていて、自分でも茶室を作ってみたいなあと思っていまして、このような文脈で考えたいと思っているのですが・・・例の船頭小屋です(笑)。

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フジモリ ああ、例の(笑)。これは非常におもしろい。利休がつくったと言われれば、そうかなあと思えてしまいそうな感じ。運んでいくカゴみたいで、床がなくてとても面白い。炉の上に置くだけですから。大地を床としている。とても面白い、ぜひ、作っていただきたい。

21_sendougoya_idouのコピー

*一服タイム*

掛け物:定 中国泰山 金剛経の拓本
花入れ:ヤシの実
花 :ドクダミ
板 :インドネシアの古材
茶碗:細川護煕 唐津 富士山
なつめ:ミャンマー製
茶杓:鹿角 銘「かくかくしかじか」
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茶碗:大嶺實清
   伊藤慶二「gold hand」
   (*フジモリ先生が最も尊敬している現代の陶芸家)

金剛

オンライン茶会

マエシマ 縄文について質問がありまして、これは妄想の話なんですけど・・・縄文の人々はお茶を飲んでいたかどうかっていうお話です。お酒は何か飲んでいたっていうことがいわれておりますが・・・

フジモリ お酒は飲んでいた可能性はあるんですけど、香辛料的なものを飲んだかどうかっていう、あるいは、飲み物を愉しむていう文化があったかどうかっていうのは今のところわからないんです。
ただ、自然界の中にあるものを愉しむっていうのは、そんなに不思議なことではないので、私としてはそういう楽しみを持ってたらいいなって思います。

③五庵について

フジモリ オリンピックはその国の文化の展示もするという側面もあるということで東京都が大きなプロジェクトを立ち上げていて、その一環として私も「五庵」という茶室をつくるということで参加しています。 

四畳半の茶室を競技場の真ん前に作って、見てもらおうというプロジェクトです。大体出来たのですが、延期になったので今は畳んであります。
パネルで組み立てて、3メートルくらいの芝生の土台の上に置く、芝生は滋賀県で順調に育っています(笑)。
テーブルだけが今、家にあります。

美知子 炉のついたテーブルを見てみたら逆勝手で(笑)。

フジモリ 私はあまりこだわらないので(笑)。 

④若き建築家や茶人へのメッセージ

マエシマ 茶人や建築を志す学生や若者、ファンに向けてお二方からメッセージをお願いします。

フジモリ 私はいろんな表現行為の一つとして建築をやっています。
茶碗でも建築でも、まず見て良いとか悪いとか、いろいろ感じるわけですけれども、感じるだけではなくて「なぜそれが良いのか」「どこがいいのか」必ず理由があるはずなんです。

あるいは、
だめだと思ったものも「どこがだめなのか」必ず言葉にする。見るだけじゃなく言葉と一緒に頭に入れておいてもらうってことはすごく大事。

見るだけだとすぐ忘れていく、言葉っていうのは抽象的なものなので、非常に保存性がいい。言葉と一緒に考えながら、見て感じた後、考えて欲しい。

最初から考えようと思って見るとろくなことはないので、見るときは楽しんで見て、一呼吸した後、なぜそれがいいのか悪いのかを考えてもらいたい。

マエシマ なるほど・・・。見て単純に見た気になり、次に移ってしまえば、もう瞬間で忘れてしまいます。僕たちの世代は望めば情報はいくらでも手に入っちゃうのでなんだか分かったような気になってしまうことが結構あってそれが非常に怖いなと思いました。
ちゃんと止まって、ものと向き合う、そして、それを考えるということが重要ということですね。

フジモリ でも、これは結構疲れます。頭を使うっていうのは。だから数は限られますけどね。

おそらく、昔の茶人たちも絶対そういうことを言うはずなんですよ、ものを見てね、字を見て、これはどうだこうだっていう、で、しゃべりながらお互いに気付いて教えたりしながら理解を深めていったと思う。
それをやるためには、まず自分ひとりでやらなきゃいけないんです。

マエシマ 先生の活動は、自分が本当に良いと思うものだけを作り続けているという印象があり、これは結構大変なことだと思うんですけど、何か大切にしている考え方とかありますでしょうか。

フジモリ 自分に向いてないことはやらない。っていうことでしょうね(笑)。

マエシマ なるほど(笑)。ありがとうございます。奥さまいかがでしょうか。

美知子 私が前嶋さんの年齢の頃は全く茶の湯というものに関心がなかったんです。いま私がこんなにお茶が好きっていうのは想像もつかなかったと思います。
茶の湯の世界って包容力があっていろんなところに入口出口があるんですよね。

例えば着物を着るっていう事も一つの入り口だと思うんですけど、いろんな入口から世界が広がってとても楽しいことなんです。残念ながら、私たちの子どもまだお茶に興味を持ってくれてないんですけど、たぶん年をとってきたら、分かってくれるんじゃないかなと思うんです。
その頃にお茶をやっている人がいないと、とても困ります・・・

今、三密を避ける時代で、この後お茶の世界一体どうなるんだろう、茶事やお茶会ができるんだろうか、そもそも普段のお稽古も止まっているわけですよね。
どうなるのかなと思ってるんですけども、若い前嶋さんがこういうふうにいろんなチャレンジをしてくださって、とても頼もしく思っています。

おかげさまで茶室を回ったりする共通の趣味、老後の共通の楽しみもできましたのでよかったなぁと思っています。

国宝 夕顔棚

マエシマ ありがとうございます。
今おっしゃってもらったことが本当に全てだなぁと思いました。
私は、母親が田舎で始めた小さなお茶教室から習いはじめて、寄り道をしつつ現在にいたります。
今は、目標がひとつだけあって、「利休さんに挑戦したい」と思っています。
僕が生きる命を使って、岡倉天心が書いた「茶の本」の人体実験をしたいと思ってるんです。
"A cup of humanity"
あの本で結局言ったのは世界の人類が皆でお茶を飲むことが出来れば、みんな平和になれるよねっていうふうなことを100年前に書いてくださって。
理論は出来上がっていて、ただ実戦はたぶん誰もできてなくて、とりあえず全ての国に行ってお茶会をやってみたいなと思っていて、それを目標にいろいろ走っているというところです。

本日は、本当に貴重なお時間をありがとうございました。
今度、また現実の世界で会えることを心待ちにしております。

フジモリ、美知子 こちらこそ、新鮮な体験となりました。ありがとうございました。

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