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【縄文×茶の湯】Jomon tea ceremony:縄文ノ茶席

縄文と茶の湯

一昨年より、縄文茶会という実験を行っております。
竪穴式住居で茶会を設えるというものです。
このふたつの世界の底の方で、
地下水のように何か似たものが流れている気がします。
それは何なのか、そういうものを感覚的に探る取り組みです。
以下、初回(2018年)の茶席で感じたメモです。

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「もぐる」という感覚

竪穴式住居の前は、洞窟などに暮らしていたようです。
竪穴式住居の特徴として、半地下になっていることがひとつあるようです。
※無論、その他様々な形があり、様々な説があるようです・・・

何か機能的な理由なのか、
はたまた、土に「もぐる」ような感覚からなのか。
半地下の住居が多いようです。
掘った地面の立ち上がりが、壁のようにも感じられます。
穴は円形に掘られ、その上に傘のように屋根がかけられています。

入口が小さい、
それはまるで躙り口のように。
大地に潜るように住居に入ります。
体を小さくして首を垂れる。

ほんの一瞬。
意識が無意識になる。

外と中、世界がズレるような感覚。
これは、茶席に入る時と、同じ感覚。

入ると、暗い。
結構、暗い。

しかし、暗順応すると、むしろ明るいような気がしてくるのが不思議です。

※この辺の話は、藤森照信先生の著書にも同様の記述がございました。
(マエシマは藤森先生の大ファンです。東京五輪に向けて作られる茶室もとても楽しみです!!)

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「火」の在り処

円錐状に近い建物内部の中央付近に炉がある。
暮らしの真ん中に火がある。
明るい、暖かい、夜であれば心が少し安らぐと思う。
闇はやっぱり怖いと思うのです。
茶室にも炉(風炉)がある。
一服の9割以上は水分であります。
「茶の湯」というくらいですので、水分(湯)は大切なファクターであると思います。
縄文人も炉で湯を沸かし、煮炊きをしていたという。
へちかんも、釜ひとつで食事をし、茶もたてたといいます。

茶室のことを囲いといいますが、
縄文期の竪穴式住居は、「火の囲い」のような気がしてなりません。

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わび茶創成期に、風炉から炉を切るという変遷を辿るに至ったことと、
縄文の炉と何か似通うところがあるような気がします。

縄文期の外界は、野生の世界。
戦国期の外界は、戦いの世界。

二つの時代を安易に、情緒的に、結びつけることは本来できないと思います。
それでも、ふたつの時代に、
人が作った囲いであることは変わりないと思うのです。
そして、そこに何かしらの意味を見出したくなります・・・

「和」について

1万5千年近く続いたとされる縄文時代。
その暮らしぶりは、よくわかりません。
教科書では、「狩猟採集」の時代であると習いました。
最近では農耕もしていたのではといわれているそうです。
重ねて、人々の争いは弥生時代以降からであるとも、習いました。
では、縄文時代は人々は争うこともなく、暮らしていたのか。
これもわかりません。

もし、そうであるならば、
「和」の保たれたと思われる時代が1万5千年も続いていたとしたら、
それはものすごいことであると思うのです。

そして、その中心地が長野と山梨、中部高地であることは、山梨に住む人間として、なんだか嬉しいことであります。

「和を以て貴しとなす」

聖徳太子が引用した時代にはすでに「和」することが困難な世界になり果てていたように思います。

その約1000年後
乱世の真っただ中
堺周辺で「和」を求め、
「茶の湯」が発生しました。

その約400年後
今、私たちが「茶の湯」を学んでいます。

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おそらく大きく間違ったことを記していると思います。
ただ、そういう風に捉えたい、という希望的なメモです。
乱文失礼いたしました。

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