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13年前に買ったノートパソコンの電源を入れた話・前編

2007年、上京したときに両親に買ってもらったパソコン。今のパソコンに買い替えたのが2012年、つまりかれこれ8年ほど家の倉庫で眠り続けていた。

ホコリを払い、そっと電源を入れる。

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Windows VISTAが立ち上がった!…と、感動する間もなく催促されるパスワード。覚えているはずもない。心当たりのあるパスワードを3つほど入力するが、どれも違う。思い出の写真たちを前に門前払いで試合終了か、と肩を落としたその時。

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パスワードのヒント:勝運2ndシングル

そう、今も昔も夢中になっているジャニーズアイドルの2ndシングルタイトル。ありがとう、13年前の私。6人グループだったKAT-TUNは13年後には思いがけず3人になっているけど、私自身はまだ亀梨和也氏のことが好きだから、安心して。

ほどなくして、13年前のパソコンは立ち上がった。

ことの発端は弟の結婚式。披露宴で流れるスライドショー用に、2020年の年明けに家族のアルバムを取り出したことがきっかけだった。母がきれいにアルバムを整理してくれていたおかげで、私の写真も高校に入学する頃までは時系列に並んでいる。

ぴたりとアルバムが止まるのは大学入学から。それもそのはず、その頃からデジタルカメラが安価になって誰もが手にするようになり、1枚を丁寧に撮るフイルムカメラと打って変わって、写真は大量に撮っては消す「データ」と化した。さらにスマートフォンが登場してからは機種を変えるとそのまま置き去りになった思い出も少なくない。

私も例外ではなく、撮った写真…いや、「データ」をパソコンに移したら、そのまま長いこと倉庫にしまっていたのだ。

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大容量の外付けハードディスクをつなぐ。2007年のおじいちゃんパソコンは2020年のハードディスクをたった2分ほどで受け入れた。

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張り切って2TBのハードディスクをつないだ割には、当時の写真はたった4GB弱しかなかった。ゆっくりゆっくりと学生時代の思い出がよみがえってくる。忘れていた愛着がじわじわとこみあげた。

すると。

パソコン、突然の暗転。画面は真っ暗。とっさに日に焼けたキーボードをたたくが、起動する気配がない。触るとバッテリーが発火しそうな熱さだった。オーバーヒートかもしれない。慌てて電源を抜いて1時間ほど置く。長い1時間だった。これまで放置した時間を悔いるには十分すぎる時間だった。

こんなことなら、いっそパスワードの地点で開かずの扉だったらどんなによかったか。フォルダの「学園祭」や「卒業旅行」の文字が見えてしまっただけに、頭の中ではモノクロの思い出が色づき始めてしまった。

結局、そのあと電源を入れ直すと、黒い画面の上に白い文字が羅列され、F1キーやF12キーを押して操作してみたが、結局それっきり立ち上がることはなかった。

やはりハードディスクとの互換性がうまくいかずにパンクしたのだろうか。丁寧に1つ1つデータを移さないといけなかったのか。いや、データを移す前に、せめてじっくりと写真を見返せばよかった等々、そのときの感情を文字にするときりがない。

私が落ち込んでいることを知る由もない0才の娘に笑顔で授乳しながらも、頭の中はつい最近まで存在そのものを忘れていた写真たちに追悼の思いでいっぱいだった。

「実はね、」と夫に事の一連を話した。私はただ話を聞いてもらって無念の想いを消化しようと思っていたまでだったのだが、肝心なことを忘れていたのである。

夫が自作パソコンマニアだということを。

「マザーボードがふっとんだだけでHDDは無事じゃないの?」

マザーボードが心臓で、HDDが脳みそということは分かっているが、心臓が止まってしまった以上どうやって脳みそを救出したらいいのか分からない。そのままを話すと、夫は許可もなく突如私のパソコンを分解しはじめた。

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私としては、そっとしておいてほしい気持ち半分、助けられるものなら助けてほしい気持ち半分。女性が悩みを話すときに「共感」のみを求めていることに対し、悩みを打ち明けられた男性は「解決策」を提案してしまうというのは昔から知っていたはずだった。

…長くなってしまった。こんなエピソードだが、後編に続く。

次回、パソコンのその後。

2020/04/04 こさいたろ


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