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没個性からの脱却

これは、長崎ランタンまつりで撮影した1枚。

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撮ったそのときは“きれいに撮れた”と思っていた。

ところが、数日経って見てみると、自分の写真ながら「フリー素材」のような気がしてならない。それもそのはず、私が世界で初めて生み出した構図ではなく、割とありがちな構図だからだろう。

ただ、はじめに断っておきたいのは「没個性」であって「無個性」ではないということ。両方とも似たり寄ったりの表現ではあるが、その人が“創った”ということだけで、ひとつの“個性”だと思うからだ。

それでは個性が少しでも前に出るためには。
…スマホを持つ手は夫の手だった。いつも写真を撮らない夫が、らしくなくスマホを掲げたことを面白がってシャッターを切ったはずだった。ならば、少しでも夫と分かるなにか(手なり横顔なり)を入れたほうがよかったかもしれないし、なんならスマホを掲げた夫ごと撮るのも良かったかもしれない。それから、このスポットでは皆いっせいにスマホを掲げて写真を撮っていた。スマホの向こう側に映す景色をランタンメインではなく、思い思いに写真を撮ろうとする観光客にしたほうが、現地のにぎわいはより伝えられたのではないか。いろんな思いが駆け巡る。

ストレートにランタンだけを撮ればいいじゃないか、現地でそんなことも考えた。

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しかし、人がひしめき合ってランタンを見上げているあの“お祭り感”は消えてしまった。やはり、スマホ越しでそれが伝えられるように“勝負”するべきだっただろうか。

そんな中、なにげなくシャッターを切った1枚が、今となっては自分のベストショットになっていたりする。

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写っているのは通りすがりの誰か。赤々と灯るランタンをじっと見ていた。初めてこの祭りに足を運んだ私が、最初にこの通りを見たときに感じた想いとリンクしてくれる背中だった。撮りたかったのはこういう1枚だった、と帰宅してから気がつくからカメラは奥ゆかしい、いや、もどかしい。

ちなみに、「没個性」というのは写真に限った話ではなく、イラストやハンドメイド作品でも同じことが言えると思う。それでも、よくある構図で描いていようと、似たような形状の作品を作り出そうと、その人が作ったことがまずひとつの「個性」だ。そこからどうやって個性を“魅せる”かが腕の見せどころになると思う。作品そのものに上乗せするのではなく、ひょっとしたら、作品にちょっとした物語を添えたり、あるいは作成者本人が全面に出て作品を後押しすることも、個性に含んでいいかもしれない。「すべて100円です!」という「価格設定」で個性を出した店だってあるくらいなのだから、その方法は未知数だ。

もっと言うと、上乗せだけでなく、すべてをそぎ落とすことも個性を主張する手腕のひとつかもしれない。究極は「無印良品」。模様どころか企業ロゴさえもなく、“シンプル”を追求した「個性」である。単調な中に個性を描くというのは本当に難しく勇気がいるところだと思うが、企業が掲げる『本当に必要なものを、本当に必要なかたちでつくる』という想いがそれぞれの商品ににじみだした結果だろう。人が手に持つ商品単体を見て「無印っぽい」と思わせられた地点で無印良品はブランドとして確立している。

何枚もシャッターを切っていくうちに、偶然の産物も含めて私らしさが少しずつ画面に表れてくると信じて今日もカメラを構える。うんちくよりも、まずは経験と枚数だ、いつだってそう。

…なんだかんだ自分で批評しつつも結局好きだと思った写真をまとめたweb個展をご紹介して終わろうと思う。明日の夜までの開催だが、クリック一つで飛べるのでぜひ覗いてみてもらえたらと。


2020/03/26 こさいたろ 


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