布施太朗oton+to

神奈川県は藤沢市の鵠沼というところに妻、大学3年の息子、高3の息子、高2の娘、ナルとい…

布施太朗oton+to

神奈川県は藤沢市の鵠沼というところに妻、大学3年の息子、高3の息子、高2の娘、ナルという名の黒い犬と暮らす。家は18年前にハーフビルドで建てたが、現在も未完成。サーフィン、SUP、キャンプ、カヌー、ウクレレ、DIY、染色、落語、寅さん好き。我が家の家訓は「おもろく」。

最近の記事

インド人の同僚のひと言

インド人の同僚のひと言

    その笑は、笑っているか。

    その笑は、笑っているか。

    人違い4

    雨です。 雨といえば水溜りです。 アスファルトの道では少ないですが 私の歩く土の道では、少しまとまった雨が降るだけで 大きな水溜りになるところがあります。 いつぞやの大雨の数日後、 うちの黒い犬と歩くいつものその土の散歩道 には大きな水溜りがありました。 細い道です。道を塞ぐ大きな水溜りを避けて通るには、 水溜りを右からなぞるように歩くか 左からなぞるように歩くかのどちらかです。 私は右からなぞる道を犬と選びました。 前方からは女性が歩いてきます。 その方も同じ方をなぞっ

    人違い1~3

    自分が誰かと勘違いされて、まあまあな至近距離で 挨拶されたりしたことが何度かあります。 青山一丁目あたりでは2〜3度ほどありました。 1つ目は、 ツインタワービルの地下のお店でご飯を食べていた時 隣の席の男性から 「ああ、〇〇さんこんにちは。すみません、気付きませんで」 と挨拶をされました。 隣の席なので離れていても2mほどでしょうか。 至近距離です。 ◯◯さん、聞き取れなかったが、 ”ふせ”でも”たろう”でもないことは明らか。 お互い無言で見つめ合う時間があり、その方

    犬違いか人違いか

    我が家の黒い犬、ナルとの散歩ばなし。 前方から女性が歩いてきて、 犬に、ナルに呼びかけます。 「あら、ゲンちゃん!」 近くに寄ってきてくれて、しゃがんで ナルに話かけてくれてます。 「ゲンちゃんっ!今日は暖かいねー」。 たぶん私にも話しかけてくれていると思います。 しかしそもそも、この方はナルの名前だけを間違えているのか? それとも、 ゲンちゃんと飼い主セットで間違えているのか。 つまり、私のことを、ゲンちゃんを連れている別の人だと思っているのか。 少しだけ思い当た

    犬違いか人違いか

    知らないことだらけ

    これだけ情報が溢れていても入ってくる情報と入ってこない情報があって、 世の中は私たちの知らないことだらけである。 同僚のGが、地元でめちゃくちゃ美味しいラーメン屋を教えてくれた。 ヘェ〜、知らなかった。近いうちに行ってみよう。 これだけ情報が溢れていても入ってくる情報と入ってこない情報があって、 地元でも私たちの知らないことが多く存在する。 そのラーメン屋のことを家族に言った。 いい店教えてもらったぞ。 と。 しかし、家族はみんな知っていた。 次男は彼女と行く

    知らないことだらけ

    そりゃあ天気も雨降れないもんね

    年末、娘が言っていました。 「1月1日が雨だったってことほとんどなくない? まあ、そりゃそうか。 元旦は、そりゃあ天気も雨降れないもんね」。 言いたい雰囲気はわかります。が、 この雰囲気そのままに、正しい日本語にするとどうなるのか。

    そりゃあ天気も雨降れないもんね

    この池の教訓

    世の中には騙す側と騙される側がいる。 サギとカモだ。 サギは多くの人をカモにする。 多くのカモは1人のサギの手にかかる。 具体的にはこうだ。 サギ1に対し、カモ6。 この小さな池が、僕にそれを教えてくれた。

    カラス〜誰かの私小説風〜

    「あなた、カラスには気をつけて」 妻は言った。 ナルの散歩(我が家の黒い犬)の時のことだ。 周囲を警戒しながらこの街を歩く妻の様は、 まるでジャンレノがかつて演じたレオンである。 「なにを藪から棒に」 そう私が言うと、 「カラスよ。電線にとまっているカラスのことよ」 間髪入れずにレオンは、いや、彼女は言った。 「ヤツら、私たちを狙って糞を落とすのよ」 「そんなことあるもんか。この街のカラスに限って」 「この街もあの街も関係ないわ。私は頭上にカラスを見つけると、電線の下を

    カラス〜誰かの私小説風〜

    師走のでえく

    近頃は腕のいい“でえく”ってのをすっかり 耳にしなくなった、なんてね。 “でえく”が世の人様の前に初めて出たのが 文政7年。時の将軍は11代家斉。 勝海舟が数えでいうところの二つ。 まだヨチヨチの頃ですな。 その頃からどんどんどんどん“でえく”っての が広まったんですと。 なんだか思いのほか新しい気がしねえでもねえですがね。 この“でえく”ってのは、 どいつもこいつも分け隔てることなく いっちょ抱き合おうじゃねえかってなことを 声高らかに叫んでるんでございますな。 で

    茶碗の手触り

    「子どもたちのお茶碗を買ってきた」と、家人。 3人分、色違い。 娘がはじめに茶碗に対面した。 「かわいい。へえ、これザラザラするんだね」。 手に取りながら言う。 娘は少し、その手触りが苦手そうに見えた。 個人的な感覚かもしれないが、 嗅覚とかと異なり、手触りについては、“慣れ”で解決することは なかなか無いような気がしている。 母(家人)と娘(高2)は、共通の話題で盛り上がったり 楽しくお喋りしていることもよくあるのだが、 いつの間にか、言い合いになって

    茶碗の手触り

    草かよ

    ひとり住めばあをあをとして草 これは、明治、大正、昭和初期の俳人、 種田山頭火が詠んだ句である。 時代は過ぎたが、ここに詠まれた自由律俳句は 私たちの液晶画面上に数多映し出される文体のやうである。 ※今回はあへてこのやうな文体で書かせていただひております。 尤も、文末の意味が異なる限り、それを文体と纏めることは出来ぬと、 谷崎潤一郎先生あたりから嗜められそうでもあるが、 尺を含めたその佇まいは、まさに今、私たちが目にするもののそれである。 ww。 優れた文体(あへ