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【公開】銀山町 妖精綺譚(第一稿)

 タイトルは「ぎんざんちょう フェアリーテイル」と読みます。約5万文字の物語です。
 印刷用のPDF原稿はこちらです(PDFは第一稿0209に差替えました。この後のnoteのテキストデータ(第一稿0206)とは異なります)。

 概要はこちらの記事をお読みいただけたらです。

 この概要から、変化・成長して、一応完結しました。
 まだ、この後、修正・校正をしますが、大まかな展開は確定しました。いずれkindle出版をする予定ですが、kindleだけではなく、より多くの方に読んでいただきたいので全文公開します。
 当初の「(仮題)妖精博物館 黎明奇譚」に考えていたこととの違いなども楽しんでいただけたらです。

以下、本文です。

プロローグ 目覚め

 奥会津の夕暮れは早い。夏の始まりの季節だとしても、小学校低学年の下校時間には、空はうす暗い夕闇の気配に覆われてしまう。
 カラスの物悲しい鳴き声を聞きながら、久美子はトボトボと歩いていた。今日も嫌な一日だったと思うと、小さな瞳に涙が浮かんできた。
 母が病気で入院してしまい、父一人での看病と子育てに限界を感じたため、久美子は母方の祖父母に預けられることになり、この小さな町に春から転校してきた。閉鎖的な町で子どもの頃から濃い人間関係を構築していたクラスメイトは、久美子を容易には受け入れなかった。
 都会への反発、言葉、容姿、町の人たちと祖父母の関係、相容れない要素がいくつにも絡み合い、久美子はクラスで独り、湖の底で沈んでいるような日々を過ごしていた。

 大きな通りから小さな脇道、預けられている祖父宅に向かう登り坂に入るところで、後ろから大声で囃し立てられた。
『父(てて)無し 母(かか)無し お化けの子 変な目 変な言葉の大蛇(おろち)の子 沼に帰れ 宮に帰れ』
(パパもママも宇都宮にいるもの。ママが病気で大変だからお爺ちゃんの家に来ただけなのに。言葉が変なのはアンタたちの方よ)
言い返したい言葉を飲み込む。小さな反撃はイジメを過激にすることを何度か体験してきた。
知らない素振りで坂道を登ろうとしたところ、何かが飛んできて、体の横を掠めゴツンと久美子の前に落ちた。こぶし程の大きさの石だった。
(石?何でこんな酷い目に合うの。私が何をしたの。もうイヤッ。みんな嫌い。パパもママも学校のみんなも嫌い)

胸が張り裂けそうなくらい気持ちが昂ったところで、久美子は目を覚ました。暗いベッドルームでは時計の音と夫の寝息が静かに響いていた。
(人の気も知らないで呑気なものね。それにしても、この夢を見たのは何年振りかしら)
小学二年生の頃、祖父母宅に寄宿していた時に、町の同級生たちから酷いイジメを受けた記憶。若い時には試験の前などで不安を感じている時に見ることもあったが、社会人になってからは思い出すことも、夢に見ることも無かった心の傷。
(二十五年も前の話なのに、完全には消えないものね。忘れることができず、心の奥に仕舞いこんでいたということね)
 びっしょりと搔いていた汗の不快感に気づき、寝ている夫を起さないように静かにベッドから降りた。時計を見ると午前四時、窓の外では初夏の朝の気配が動き出していた。
(シャワーを浴びちゃおう)
このまま起きて、少し仕事を進めるのもいいと思いながら、下着を取りに自室に移動する。机の上には、昨夜出しっぱなしにしていた手紙と写真が残っていた。
(この手紙のせいね、あの夢は)
悪夢とは裏腹に、美しい自然を映し出した写真を手にとる。湖や渓谷、四季折々の自然豊かな風景を見て、笑顔を浮かべながら、今日大学を訪れてくるという手紙の主に思いを寄せる。
(若い人みたいだけど、何の相談をされるのかしら。それにしても、よりによって六月二十二日に来るなんて)
久美子が石を投げつけられたのも六月二十二日だったことを久美子は覚えていた。久美子をイジメた子どもと、手紙の主は全く関係ないとは考えているものの、同じ町の住人ということは間違いない。
「借りは返さないとね」
一人、静かにつぶやいた。
(どんな話をされるとしても、揺るぎない自分でいよう。過去にちゃんと向き合い、清算して、未来へのステップを踏みだしたい)
 過去から繋がる想いを現実に切り替えるように、顔をブンブンと振った後に浴室に向かった。

第一章 新規採用職員 

 平成三年四月一日(月)、田中哲二は銀山町役場の二階にある町長室で町長から職員採用の辞令交付を受けた。
「田中哲二 銀山町職員として採用する。企画課勤務を命ずる。主事に補する」
一礼して町長が読み上げた辞令を厳かに受領した。
自分の前に新規採用職員は無く、自分の後に課長職の辞令交付が始まったことで、
(新規採用職員は俺だけか)
と田中は察した。小さい町なので新規採用職員が少ないことは予想していたものの、一人だけというのは想定外だった。縁も所縁も無い銀山町で、同期もいない職員として採用されることに、あらためて戸惑いを感じた。

 町長から辞令交付を受けるのは、新規採用職員と課長職だけであり八時半から始まった辞令交付式は五分もかからずに終了し、町長の訓示が始まった。
「平成三年度 辞令交付式にあたり訓示を行う。
 新規採用、また、新たな職責を任じられた皆さんに、祝意を申し上げる。それぞれの職場において持てる力を十分に発揮し、住民福祉の向上、銀山町発展のために活躍していただくことを心から期待する。
 本町においては、平成元年に念願の「老人福祉センター」が開所され、「シルバーユートピア構想」に基づく高齢者福祉の充実が図られたところである。今年度は昨年度から検討してきた新たな「ふるさと創生」に向けて、全所属・全職員一丸となり取組みを進めていただくようお願いする。以上」
 町長の締めに合わせて、全員が頭を深く下げ辞令交付式が終了した。部屋の外で待機していた飯田企画課長が入室し、田中に近づき声をかけた。
「田中君、採用おめでとう。それでは企画課に案内するので、ついて来てくれ」

 髪を染めポマードで固めているのか、頭が異様なくらい黒光りしていた。頭の横から生えている髪を伸ばして無理やり横に流して、禿を隠そうとしているのが痛々しいと田中は感じたが、髪の下には、いかにも人の良さそうな田舎の親爺という笑顔があった。身長が高くないせいか腰も低そうに見える。
飯田に連れられるまま、二階の総務課、三階の議会事務局で挨拶をし、さらに一階の各課で挨拶をした後、ようやく企画課へとたどり着いた。
「企画課の皆さん、そのままで聞いてください。新規採用職員の田中君が着任しました。田中君、一言挨拶をしてください」
 飯田が話をしている間、企画課の職員はチラリと二人を見ただけだった。
(あまり歓迎されてないのかな)
そんなことを考えながら、自己紹介した田中を飯田は席に誘導した。
「田中君の席は、ここになります。仕事は指導役の高橋君が教えてくれます。田中君には主に「若者定住会議」の担当をお願いすることになりますが、高橋君とよく相談しながら鋭意取り組んでください。では、高橋君、後はよろしくお願いします」
 飯田は大役を終えたように、フーッと大きく息を吐き出すと窓際の自席へと向かった。
「高橋健介だ。よろしく頼む」
「田中哲二です。採用されたばかりで、役場のことも、銀山町のことも、何もわかりません。御迷惑をおかけすると思いますが、よろしくご指導くださるようお願いします」
(今日、何度目かなぁ、この台詞。まぁ、謙虚に頭を下げておけばいいんでしょうね)
と考えていた田中に、高橋が冷水のような言葉を発した。
「初っ端から小言で何だが、『採用されたばかりで、わかりません』は庁外の人間には言うな。田中さんが「採用されたばかり」とか「十年目の職員」とかは、お客様には全く関係無い話だ。「町職員 田中さん」に住民の方は話をしてくるのだから、町職員として一定のリターンをしなきゃならない、わかるか」
 田中は素直に頭を下げた。
「申し訳ありません、気をつけます。けど、本当に解らないことばかりなんですが、住民の方たちにどう対応すれば」
「解らないことは、正直に、解らないと言っていい。そのために俺や他の職員がいるんだから、聞いてくれて構わない。俺が言いたいのは「採用されたばかり」を理由とするんじゃなく、「自分が勉強不足でわかりません」ということかな。
十年働こうが二十年働こうが、解らないことは山ほどある。だから「採用されたばかり」というのは理由にならない。だから「自分が勉強不足」と認めることから始めようということだ。変に知ったか振りをしないで済む」
 そういうと高橋はニッコリと笑いながら。
「立たせたままで、済まない。座ろうか」
田中を席に座るよう促し、自分も椅子に座った。
「で、緊張していると思うけど、今日の午前中は何もしてもらう仕事がないから、机の上の資料を整理しながら、適当に目を通して欲しい」
「はい、わかりました。ちなみに午後はどんな予定ですか」
「この企画課は、主たる業務が「広報ぎんやま」の発刊と町内会の支援、後は、机の上にある「要覧」とか町の総合計画の立案になる。俺としては早めに町の現場を知って欲しいから、午後は、俺と町内を回ってもらおうかと考えている。午後から外に出ても大丈夫か」
「もちろん、大丈夫です。午前中のうちに資料を読んで町のことを勉強しておきます」
「まぁ、そんなに気を張らなくていい。後で説明するけど、田中さんの主担当は「妖精の住むふるさと事業」という町おこしプロジェクトになる。これは、今まで前例が無い業務になるから、基本的には田中さんが考えて、田中さんらしく進めてくれればいい。もちろん俺もサポートというか一緒に担当するが、田中さんの若い力に期待している」
「何ですか、その「妖精の住むふるさと事業」って、この資料の中に説明がありますか」
「公式資料には、一行も記載されていない、ほぼ0から始まる事業だ」
高橋は周囲に目配りをすると、少し前かがみになり小さな声で田中に伝えた。
「今、ここでは言いにくい話もあるから、後で車の中で説明する」
(それで、午後から外に行くということですか)
田中は入ってはいけない世界に入ったような寒気を感じた。
 
 企画課の西側にある福祉課から騒めきが響いてきたことに続き、大きな声が響く。
「福祉課の皆さん、御苦労様です。地域福祉の要として奮闘していただきありがとう。新体制においても、福祉課長の元で一致団結して、地域を支えていただくよう、よろしくお願いします」
 町長の声だった、福祉課での激励を終えると企画課に近づいてきた
「企画課の皆さん、御苦労様です。町活性化の先駆けとして奮闘していただきありがとう。「妖精の住む ふるさと」実現に向けての取組みに大きく期待しています、よろしくお願いします」
 その後も、似たような激を飛ばし、ロビーにいた住民に愛想を振りまいてから、町長はお付きの痩せた職員をお伴に庁舎を出ていった。
「毎年、こんなことしているんですか」
「毎年だ。この後は、出先と町の有力者のところに挨拶回りだな」
うんざりした表情の高橋のところに、少し興奮し顔を赤らめた飯田が近づいていた。
「高橋君、田中君、町長の激励を聞いたな。個別の事業名が出たのは「妖精の住む ふるさと事業」だけだ。かなり期待しているようだ、何としても上手く頼む。
これからの町づくりは若い人の感性だ。責任は俺が取る。何でも好きにやっていい。高橋、田中ということは、二人ともイニシャルがTでT2だな。人類の未来とは言わないが、町の未来はT2の力によって変わるということだ」
夏に公開される映画「ターミネーター2(T2)」に掛けて、本人は上手いことを言ったと考えているようで鼻がヒクヒクしていた。その後、飯田が高橋にだけ聞こえるように
「俺の再就職先に影響するから、俺の未来のために、ほんと上手く頼むよ」
と話したことを、田中は聞こえないふりをした。


第二章 銀山町

 午後の始業を告げるチャイムが庁内に鳴り響いた。
「田中さん、行くか」
「はい、けど本当に何も持たなくていいんですか」
高橋は軽く頷くと、飯田課長に声をかけた。
「それでは、田中に町内を案内してから、郷田に挨拶をしてきます」
「若旦那だな。飯田がくれぐれもよろしくお願いしたいと申していたと、伝えてくれ」
「承知しました。じゃあ、田中さん、出るよ」
車のキーを持った手で田中を手招きした。

 かなり年季物、あちこちに赤錆が出ている白い軽自動車の助手席に座り、シートベルトを手繰りながら、田中が尋ねた。
「郷田さん、若旦那って、どういう方なんですか」
「地元の名士、郷田源蔵さんが、通称 郷田父、その長男 勇さんが通称 若旦那。この町で一番大きな旅館のオーナーで、大農家で、スーパーも経営、商工会長、観光物産協会長、消防団長などの公職を務めていただいているのが郷田父、郷田源蔵さん。郷田父の方は公職での活動が忙しいから、旅館を始め、どの事業も郷田が実質的な経営者だな。
 で、郷田は、田中さんが担当する「若者定住会議」の座長、リーダー的存在なんだ。それで、町歩きと郷田への挨拶名目で、外に出たんだ。今の時間は郷田がどこにいるか解らないから、時間を潰して夕方、旅館に行こうかと考えている。田中さんは、銀山町はどのくらい知っている」
「申し訳ありません、何も勉強してないので、何も知りません」
高橋は声を出して笑った。
「田中さんは素直でいいなぁ。けど、知らないということを謝らくていい。知らないことは悪いことでも、恥ずかしいことでもない。それを隠すことは恥ずかしいことだ。ただ、仕事をする上では、知識は武器にも防具にもなる、邪魔にはならないからあると安心だから、ある方がいいな。持っていて知らない振りもできるし。
じゃぁ、何も知らない田中さんのために、北から町を一回りして、郷田のところに行こう」
「高橋主任は、俺のことを「さん付け」してくれるのに、郷田さんは呼び捨てなんですね」
「あー、呼び捨てにしていたか。郷田とは小学校からの同級生で、昔から呼び捨てだから、まぁ、公式的な場以外では呼び捨てなんだ。そうしないと郷田に叱られるんだ。
 小学校から高校まで同級生は減る一方、みんな転校していなくなる。転入してくる子どもはほとんどいない。偶に転校してきても、すぐに町を出てしまう。
俺と郷田は高校までずっと同じクラスだから、ある意味家族より長い時間を一緒に過ごしている」
「大学だけ、別ということですか」
「あぁ、郷田は早稲田に進学、俺は高卒で役場に勤めたから、一緒なのは高校まで。俺は母子家庭だったから大学に進学していない。母を早く楽にしてやりたかった。
で、俺も郷田もクラスの友達が転校とかで、いなくなるのを見送ってばかりだから、新しい人が町に来てくれることが嬉しいんだ」
高橋は前を向いたまま爽やかな笑顔を浮かべた。

二人の会話が止まり、古くて白い軽自動車は、銀山町のメインストリートとなる国道252号線を北に走った。
田中は車の外を観た。道路は綺麗に除雪されているが、周辺には深い積雪が残り輝く銀世界が目に眩しい。道路は只見川と会津鉄道と並行に敷かれていたり、時々交差したりしながら、小さな集落を縫うように造られている。

車窓から見える只見川の深緑の水面、そこに映る雪山や集落の姿が幻想的な空間を生み出していた。
(自分で運転している時はスリップが怖くて、ちゃんと見ている余裕が無かったけど、この、山と川と鉄道がクロスすることで生まれる美しい景色は、どこにも無いんじゃないかな)
豊富な水量で穏やかに流れる只見川に見惚れながら、田中は呟いた。
「幻想的で美しい景色ですねぇ」
「そうか、美しいと言われて悪い気はしないが、只見川は有難くもあり、悩ましくもあるから少し複雑だな。お待たせ、まず、ここが町の北限にある上田ダムだ。水力発電供給の町 銀山町、只見電源開発の最初のダムにして現役の発電所として、町の象徴的なダムだ。車から降りてくれるか」
車から降りた田中はコートの前ボタンを外し、スーツのポケットからメモ帳を取り出しそうとしたが、高橋は止めた。
「田中さん、仕事はいろんな流派があるから、俺が言うことが絶対じゃないけど、外で俺と一緒の時はメモをとるのは控えて欲しい。確認したいことは後で聞いてくれ。
役場の事務ならメモが必要だけど、俺は現場にしかない空気感があると考えているし、人前でメモを取るのは好きじゃない。これからは人と会うことも増えると思うが、メモを取るより現場や相手に向きあって欲しい。相手の目を見て話す方を優先して欲しい」
 田中はメモをポケットに戻した。
水分をたっぷりと含んだ、冷たい風が二人の周囲を吹き抜けた。

 眼下にある巨大なコンクリート建造物はどれだけの時を重ねてきたのだろうか。人が造ることができるとは思えないような大きさで川をせき止め、底が見えない暗い水を抱え込んでいる。どれだけの時間と労力がつぎ込まれて、このダムが建設されたのか。漂う水面の下には、多くの人間の暗い情念も沈んでいるのかもしれない。田中の体が震えた。
「この上田ダムの下には、昔の小さな集落が水没している。電源開発という光のために犠牲になった集落だ。光があれば影もある。少し悔しいが、銀山町を走る道路も鉄道も、町の人のために造られたものじゃなく、電源開発、水力発電所建設の資材搬入を目的として敷設された。
都会の電気のために、この町は犠牲になったとも、恩恵を受けているとも言える。歴史的なことも含め、その辺りの複雑な気持ちが町内には未だにある。
すまん、寒いだろう、車に戻ろう。後はなるべく車中から説明する。
ただ、この上田ダムを見るのは車中からでは駄目な気がしてな」
高橋の顔が暗くなる。
「ダムに沈んだ集落の方々の、その後は」
「銀山湖近くにある高台に集団移転した。高台の不便な場所だけど、当時の村人との軋轢から街道沿いには移転できず、不便な場所で不便な暮らしを余儀なくされたらしい」
「軋轢、ですか」
「軋轢というか、妬み、やっかみ、羨望かな。補償金としてかなり大きなお金を手にした人と、そうでない人が、今までどおり同じ村で仲良く暮らすというのは難しかったんだろうな。
 川内集落の人たちは、一生働かなくても暮らせるお金を手にしたうえ、投資などの資産運用でさらにお金を増やして村を去ったり、逆に投資に失敗して逃げ出したりしたらしい。
 それでも、俺が子どもの頃は数件残っていたけど、今は完全に空き家だけのゴーストタウンだ。この辺りがそうだ。これも歴史の影の部分だ」
 さらに少し車を走らせると、大きな湖の湖畔に着いた。
「町名の由来とも言われる銀山湖だ。夏にはイベントも開催されるし、ちょこちょこ来るようになる場所だ」
「凄く綺麗な湖ですね、銀色の雪山を映しだすから銀山湖ですか」
「あぁ、我が町を象徴する湖であり、大蛇伝説が残る場所でもある」
「大蛇って、あの八岐大蛇の大蛇ですか」
「あぁ、昔、湖の側に住む髪の長い女が旅人や村人を襲っていた。その女の正体が大蛇だったと伝えられている。大蛇は退治されたが、怒りを鎮めるために神社にお祀りしているから神様でもあるな」
「いろいろあるんですねぇ」
「福島県の西端、他の町に比べて何も無い場所のように言われるが、知られてないだけで、いろいろあるんだ。例えば、この銀山湖が福島県で唯一、ヒメマスの養殖に成功している湖だとか、日本でも珍しい天然炭酸水の井戸とか炭酸温泉があるとか。まぁ、その辺りはおいおい教える」
福島県大沼郡銀山町は不遇の町である。山形県にある銀山温泉と勘違いされて、相手にガッカリされることもある。
北にある柳津町には、園蔵寺という「赤べこ伝承発祥」のお寺がある。
南の只見町には、尾瀬という日本有数の自然景勝地がある。
東の下郷町には大内宿、塔のへつりという景勝地がある。
西は新潟県との県境となる高くて大きな山が連なっていて、人が入ることを拒んでいる。
 町全体の九割が山林で、残りの一割の土地で人が暮らしている状況であり、大きな産業が育たず、観光面でも周囲の町村のようなキラーコンテンツが無い。そんな不遇の町なのである。
 車は銀山湖の縁を回るように進んでいく。銀山を映し出しながら、光輝く湖の美しさを田中は言葉で表現できなかった。

「ところで「若者定住会議」って何ですか。俺が担当するんですよね」
「聞きたいか」
高橋がニヤリと、やらしい笑みを浮かべた。
「何か怖いですけど、聞きたいです」
「まぁ、それを話すために外に出たんだから嫌でも聞いてもらう。ちょっと役場では言いにくい話がある。まず、結論から言うと
「若者定住会議という、町の産業界を代表する35歳以下の若者五人による有識者会議を開催して、最終的には町長に対し
『若者定住に向け、町内の若者から提言を行う』
というのが、田中さんの主たる業務になる。重要なミッションを担う期待のホープだな」
「そんな重要な会議を新規採用職員の俺が担当で良いんですか。それに、俺は今年度だけで退職するつもりですから、来年度以降はいないですよ」
「今年度で退職?」
「駄目ですか」
「いや、田中さんの人生だから好きに生きることが大切だ。けど、まぁ、仮に今年度で退職するとしても、町長への提言は秋、遅くとも十月までに行う予定だから、それまでに提言をまとめてくれれば、退職した後は何とかするさ」
「ちょっと待ってください、十月までに提言って、それは無理じゃないですか。いくら何でもできないででしょう」
高橋の顔が険しくなる。口調も少しキツく変わる。
「挑戦していないのに「できない」は良くない。挑戦して失敗するのは構わない、問題ない。けど「やらない」は駄目だ。仕事として命を受けた以上、法律違反じゃない限り「やります、やらせていただきます」しか選択肢は無い。かなりの高い確率で今回の業務は失敗するだろう。けど、宝くじだって買えば当たる可能性は0じゃない」
田中は怪訝な表情を浮かべ、口を尖らせた。
「事業を失敗した責任を取ってクビにする。とかいう生贄ですか」
「事業が失敗しても、それは田中さんのせいじゃない。うちの課、うちの役場としての失敗だから、何も責任を感じる必要はないし、それで辞めることはないさ」
「まぁ、もともと辞めるつもりだから、辞めるのも有りですけど」
「これは職場の先輩ではなく、町の住人としてのお願いなんだが、田中さんが一年で転職したいという話は、郷田や他の人には内緒にして欲しい。田中さんは、田中さんが思う以上に、みんなから期待されていると思う」
「わかりました、気をつけます。それで、若者定住会議の方向性とかはあるんですか」
「それは、ある。町長が仰っていた『妖精が住む ふるさと』だ」
「ということは、銀山町には、何か妖精にまつわる伝承とかがあるんですか、妖精の泉とか」
「俺はこの町で三十年以上生きているが、妖精にまつわる話は聞いたことが無い。銀山湖の大蛇伝説の他にも、座敷童とか地蔵なんかの話は、町のあちこちにあるけどな」
「妖精のネタが何も無いのに、「妖精が住むふるさと」として町おこしに挑戦するということですか。ちょっと信じられない話ですね。高橋主任は何かアイディアはお持ちですか」
「残念ながら、ノープラン、ノーアイディアだ。だから、田中さんに期待している」
「やらないとは言いませんが、何で「妖精」なんですか。何で俺なんですか。ノーリーズンってことはないですよね」
「とばっちりで申し訳ない。けど、企画課としてもとばっちりなんだ。まずは「なぜ妖精」ということだが、去年の秋、県の教育委員会が実施している「ネイティブの生きた英語を子どもたちに」という英国人講師派遣制度で、南会津地方の小中学校を対象に英国出身の講師が派遣されてきて、町長が表敬訪問を受けたんだ。その時に英国人講師から
『銀山町は神秘的な雰囲気で妖精が住んでいそう。英国にもこんな素敵な場所は無い』
という話をされて町長が舞い上がり「妖精が住むふるさと」という町おこしを思いついてしまった。
それを最初は「総務課」に対応するよう指示したんだが、具体的な事業の企画立案が出来ないまま、「若者定住会議」による提言という目くらまし事業だけを立案して、今年度は「企画課」に丸投げしてきた。町長にこんな説明をしたらしい。
「国から財源措置される「ふるさと創生事業」につきましては、どこも所管しない事業でありましたので、やむなく総務課がその任を受けましたが、内部で検討を重ねた結果、「ふるさと創生事業」は「町おこし、地域活性化事業」として対処することが適切ではないかという結論に至りました。
また、著しい高齢化が進む当町におきましては「若者定住」が喫緊の課題と言えます。このような理由から、企画課に所管させることが適切という判断です。
なお、業務が増える企画課のために「若者 ヨソ者」を一名採用したいと考えておりますので、その者に事業を担当させるのがよいとの意見を付します。
 さらに「住民参加」という視点から「若者定住」に向けて町長に提言を行う「若者定住会議」を組織し、企画課に引継ぐことといたします」
という経緯があったと飯田課長から聞いた。そして、飯田課長がそれを受けたということだ」
「そんな話なら、最初から企画課に任せるか、最後まで総務課がやるべきじゃないですか」
「俺もそうは思う。しかし、先に町長の意向を総務課に抑えられたのと「総務課の失敗は企画課の好機」と捉えた課長のおかげで、俺と田中さんの仕事になったのさ。
こんな話、庁内ではするなよ。余計な敵を作るからな」

その後も町を巡りながら、銀山町で金銀は産出しなかったが、かつては鉄や錫などの鉱山があったこと、炭酸天然水の井戸があること、泉質の違う温泉がいくつかあり、鉄分を多く含んだ赤湯と炭酸水の源泉があること、かぼちゃや柿が特産品であることなどを教えてくれたが、田中の頭にはほとんど残らなかった。

「よし、ちょうど良いタイミングだな」
そういうと、高橋は車を停めた。田中は古くて大きな木造二階建の建物に、くすんだ墨で書いた「大黒屋旅館」という看板を見上げた。看板も建物も古く由緒正しそうな姿を見せていた。
 車を降りた高橋は慣れた様子で入口に向かい、田中は慌てて後を追った。
「すいません、役場の高橋です。アポは無いんですが、社長がいらっしゃれば、御挨拶をさせていただきたく、お邪魔しました」
二人を出迎えた中居に説明しているうちに、洒脱な和服姿の男性が入口まで出てきた。若く見える洒脱な立ち居振る舞いに、(この人が若旦那か)と田中は直感した。
「どうした、高橋、新年度初日から来るなんて。そんなに役所は暇なのか」
笑いながら高橋に話かける。
「年度当初で、非常に忙しいところではありますが、何をさておいても、若者定住会議の担当者を郷田社長に御紹介したく参りました」
郷田社長は悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
高橋は田中に視線を送り、田中は自己紹介をした。
「田中さんか、よろしくお願いする。高橋は人が良さそうに見えて、結構厳しいところあるから、虐められたら俺に言えよ。ちゃんと叱ってやるから」
ニヤニヤした郷田の前で高橋と田中が苦笑いを浮かべていると、郷田社長は少し真面目な表情に変わり
「他のメンバーへの挨拶はしたのか。順番を間違えると、半沢さんが臍を曲げるぞ」
「半沢さんだけアポを入れてある。明後日の午後に挨拶に行く予定だ。後のメンバーには初回の会議まで挨拶には行かない」
「なるほどね。まぁ、いい線だろう。俺のところには、挨拶に来てないということで良いか」
「それで、頼む。後で田中にも説明しておく。じゃぁ、郷田、また来る」
「おう、気をつけてな」
郷田社長への挨拶を終えた二人は、暗くなった道を役場へ戻った。

第三章 妖精界入門

 採用されて四日目、田中が朝一番で高橋に話かけた。
「高橋さん、御相談したいことがあるんですが、よろしいでしょうか」
「どうした、改まって」
「ゼミでお世話になった教授に「妖精の住むふるさと」のことを相談したら、「まずは妖精のことを勉強しろ」と指導されて、「妖精界入門」という本を教えてもらい、その本を読んでみたんです。
そしたら、妖精ってのは、もともとは日本の妖怪みたいな存在だって書いてあり、時代を経て、様々な文学作品や絵画との関わりで、現代では今の「羽のある小さな女の子」というイメージになったようなんです。
ということはですね、大蛇とか座敷童とかの伝承の妖怪も大きな意味で妖精と考えたら、銀山町で「妖精の住むふるさと」というコピーを使うのも有りじゃないでしょうか。
 で、そういう妖怪などの伝承を踏まえつつ、現代では環境の変化に伴い、みんながイメージするような「羽のある小さな女の子」に進化しています、という展開です」
「お前、その話、自分で考えたのか」
「話の大きな流れは「妖精界入門」からの受け売りです。けど、調べてみると、水本しげる先生も同じような考えをされているようです」
「本当か、「墓場の魔太郎」の水本先生も同じ認識なのか。お前、良く調べたな」
「高橋さんが、おっしゃったことの実践です。『知識は武器にも防具にもなる、邪魔にはならない』で、俺は妖精の知識が「ひのきの棒と布の服」程度しかないので、付け焼刃ですが、勉強してみました」
「今の話、ちょっと整理する。鉛筆で、箇条書きでいいから、紙に書いてもらえるか。
 1 妖精とは
   元々は日本における大蛇や座敷童などの妖怪のように、人外の生き物のことである。
 2 銀山町の伝承
   銀山湖の大蛇伝説、太子地域の座敷童、ダイダラボッチ。
 3 現在の妖精
   時代や環境の変化とともに妖怪たちは妖精に進化し、今も銀山町で暮らしている。
 4 妖精の住むふるさと
 妖精の住む銀山町を町内外にPRすることで、交流人口の増加、観光産業の活性化を図るとともに、若者の定住につなげていく。
 備考:妖精の定義については「妖精界入門」(著者名)による。
 みたいな感じで、書き起こしてくれるか」
「わかりました。後、もう一個相談なんですが、自分のワープロを使っていいですか。実家から持ってきたんです。俺、字が汚いし、漢字とか間違えやすいので、なるべくワープロを使いたいんですが、役場で順番待ちしているのが、もどかしくて」
「お前、ワープロを持っているのか。うちの役場では総務課の一台しかないのに」
「大学の卒論用に買ってもらいました。もう使うことがないと思って、実家に置きっぱなしにしていたんですが、役場で書類とかを作るのに使ってもいいかなと思って、本を買いに行くついでに、実家から持ってきました」
「そうか。うん、ワープロを使って、すぐにメモを纏めてくれ」

 数分後の町長室に、飯田と高橋の姿があった。入口付近には総務課の宗像係長が待機している。総務管理係長は町長の秘書業務も行うため、来客時には基本的に同席する。
飯田が訪問の趣旨を説明する。
「町長から指示をいただいておりました、「妖精の住むふるさと事業」についてですが、今年度から企画課で所管するに当たり、町長のお考えを再確認してから「若者定住会議」に提案していきたいと考え、お時間をいただきました。詳しい内容については高橋から説明させます」
 高橋は、田中が作成した書類の内容を説明した。町長は満足そうに頷いた。
「まぁ、細かいことは企画課に任せるが、そういうことだよ。後、我が町には「妖精が住むに相応しい 水と森の自然があること、また、観光産業は地域経済に効果が大きい。ということは、頭の中だけで良いから抑えておいてくれ。
 例えば、カボチャを出荷しても1個あたりの売上は30円とか40円にしかならない。しかし、観光客に販売すれば、1個100円や200円になるし、調理すれば300円から400円の売上に繋がる。
 こういう細かいことは資料に入れる必要はないが、住民の皆さんに説明する際の材料として持っていて欲しい」
高橋は、目くばせをして飯田に発言を促した。
「承知しました。それではこのような考え方で、事業を進めさせていただきます」
「流石に企画課は動きが早いな。ちなみに、この資料は高橋君が作成したのか」
「いえ、新採の田中が作成しました。飯田課長の指示を受け、妖精について自分なりに調べたそうです」
「そうか、飯田課長ありがとう。やはり町の活性化には「ヨソモノ ワカモノ」の力が重要になるな。この事業については、これからもスピード感を持って取り組んで欲しい。よろしく頼む」
 二人は一礼して、町長室を出た。
「高橋君、俺は田中君に、妖精について調べろとか言ったか」
「課長が田中さんに「好きにやれ、責任は取る」と仰っていただいたから、田中が動いたのでしょう」
飯田課長はまんざらでも無い表情を浮かべた。執務室に戻ると田中に近づき
「田中君、良い資料だった、ありがとう。町長からはこの方向で進めるようご指示いただいた。なお、「町の自然」や「観光産業」について助言があったので、詳細は高橋君と調整してくれ。
 細かいところは任せるから、このままスピード感を持って励んで欲しい。何かあれば、責任は俺が取るからな」
 総務課が持て余していた事業が動き出したことで、飯田は誇らし気な口調だった。田中は少し誇らしいものの、(こんな浅い考えで良いのか)と不安を感じていた。
「田中さん、当面の課題は「若者定住会議」だ。とりあえず、会議開催の起案をして通知を送ってくれるか。もちろんワープロを使っていい。
 俺は、町長の考えを踏まえ、会議用の資料作成をする。ちなみに、その「妖精界入門」、後で俺にも読ませてくれないか。ただ、次に本を購入したい時は、ちゃんと役場の予算を使ってくれ。自腹切るような格好いいことは今回だけだぞ。お前、まだ初任給も貰ってないんだからな」
 高橋は申し訳無いという顔で田中を見た。
「わかりました。これが、その本です。ところで、会議の開催日程とか会場はどのようにしますか」
「ちょっとタイトだが、日程は四月十二日(金)十八時半、会場は大黒屋旅館にしてくれ。
 別な会議だが、この通知を参考に通知を作成してくれ」
「役場ではなく、旅館で十八時半からですか」
「あぁ、この手の会議は、会議のメンバーの仕事を休ませる訳にはいかないから、基本的に夜に開催するんだ。田中さんは何か予定があったか」
「いや、特に予定は無いから大丈夫です」
「ありがとう、助かるよ。後、近くなったらもう一回言うけど、その日はそのまま旅館に宿泊する準備もお願いしたいんだが、大丈夫か」
(はぁ、宿泊?)
という言葉を飲み込み、
「基本的に宿泊なんですか」
「当町の基本的なやり方ということで、何とか付き合いを頼む」
(宿泊費は自腹ですか、もちろん残業代は出ないですよね)
と聞いてはいけないような気もしたので、流れに身を任せることにして
「わかりました」
とだけ応えた。
   

第4章 大黒屋旅館 大波乱

(第一回若者定住会議)
 大黒屋旅館で二番目に広い十八畳の部屋には、全部で六台の平机が並べられていた。上座になる入口正面奥に一台、その左側に斜めに事務局用が一台、その手前には左右に二台ずつ。二人で掛けているのは斜めを向いた一台だけであり、空間を広く贅沢に使用していた。
正面の席には座長である郷田、上座には半沢と武藤、下座には渡部と桜井が座っていた。部屋では備え付けのエアコンに加え、石油ストーブが二台持ち込まれ、外の寒さに比べたら格段の居心地の良さだった。
会議の参加者は、田中以外の者は全員面識があるはずだが、第一回の会議ということもあってか、ピリピリとした緊張感に包まれていた。

「説明は以上です」
 田中が資料の説明を終え、一息ついたところで座長の郷田が皆に問いかけた。
「ということで事務局からは、我々が議論を進めていく前提として、「妖精が住むふるさと」という「テーマ(案)」が示されましたが、皆さんの意見をお伺いしたいと思います。
 発言を希望される方は、挙手をお願いします」
 勢いよく半沢が手を上げる。大柄で筋肉質の体をしているため、川で鮭を狙う熊の姿が重なった。
「事務局にまず御礼申し上げる。テーマ案の提案と説明をありがとう。けど、こんな内容でで、素晴らしい考えです、これでいきましょう。なんて俺たちが納得できるとは考えていないよな。
一生懸命、妖精とか妖怪とかの説明をしてくれたけど、こんな薄い資料をペラっと渡されて、こんな与太話を説明されて受け入れろってのは、ムシが良すぎやぁしないか。
案と言いながら一案しかないのも変じゃないか。複数の(案)を示して、それをたたき台に議論をするなら解るけど、一案しかないってことは、これで行きたいってことだな。
これしかないということなら、俺たちのこの会議はただの役所のアリバイ作り、茶番みたいなもんだ。
 そもそも「妖精の住むふるさと」とかいう話そのものが、どこかの金髪美人がリップサービスで話をしただけの話を、どこぞのジジィが真に受けたって話じゃないか。おいおいおいおい、おいおいおいおいだ。
そんな思いつきで町おこしができると、若者定住に繋がると、事務局では本気で考えているのか。俺は妖精というより狐に騙されそうな気分だ。
間髪を入れずに渡部が反応した。
「半沢さん、的を射てますねぇ、流石です。あ、今のは独り言です、意見ではありません。失礼しました」
惚けた顔で郷田に謝罪したものの、会議全体が半沢に迎合するような空気に包まれる。子どもの頃から半沢の腰巾着のような渡部は、半沢の意に沿うような空気作りが上手い。もっとも半沢の意見は乱暴にも感じる物言いだが、ある程度の筋は通っているので反論しにくい。
軽く首を傾けた郷田は(英語講師のジェニファーと町長のやり取りを半沢は聞いているみたいだな)ということに気づいていたが、顔には出さないように注意しながら事務局に話を振った。
「事務局、今の意見について説明はありますか」
「事務局 高橋です。半沢さんのおっしゃるとおり、妖精についての説明不足、勉強不足であると感じております。申し訳ございません」
高橋が頭を下げ、釣られて田中も頭を下げた。
「この若者定住会議につきましては、役所の悪しき慣習である「スピード感がない」をしないように取組みたいと考えており、拙速な部分があることを改めてお詫びいたします。
今回提案した内容については「これで行きたい」ということではなく、お恥ずかしながら、現時点ではこれしか浮かばなかったということです。
是非、二案、三案に繋がる委員皆さまの知見や意見をいただきながら議論を深めていきたいと考えていますので、ご指導いただきますようお願いします。
 なお半沢委員の発言にありました「ジジイの思い付き」という点につきましては、「解かりかねます」を公式の説明とさせてください。はい、公式では「解りかねます」です。

さて委員の皆さまもご存じと思いますが、二本松市の岳温泉が「ニコニコ協和国」として、日本で最初のミニ独立国となり、ブームを巻き起こし知名度や交流人口を増やした実績がございます。
実はあれも、思いつきも思いつき、ローカルテレビの取材を受けた観光協会会長が
「何の準備もしてないのに、唐突にニコニコ共和国を名乗り、後付けで事業を展開した」
という話がございます。
思いつきでも「やったもの勝ち」「早いもの勝ち」みたいなのが、日本のスタイルでもあると考えております。事務局からは以上です」
高橋はもう一度、深々と頭を下げた。郷田が続ける。
「つまり、事務局としては、「妖精案」はあくまでも一案で、我々の意見を受け入れる用意はあるということ。また、アイディアが思い付きでも挑戦する意味はあるということで良いですか」
高橋が頷く。
「半沢さんいかがですか」
「いや、別に事務局に駄目出ししているつもりはないぞ。ただ、事務局の意見を諾とするだけなら、我々が集まり議論する意味なんかないから、疑問に感じたことは確かめたい。
後、これは記録には残さないで欲しい。いいか。
役場というか、町長は役所の金を自分の金だと勘違いしているんじゃないか。自分が好き勝手使える金だと思ってないか。長谷川建設に金を落とそうとする気持ちはわからなくもないが、役場は「株式会社」みたいなものだから、会社の運営がおかしいと感じることには、株主として問い質したい。うちの北東電力は最大の納税者である以上、町予算三十億のうち七億もの納税をしている会社である以上、是々非々で意見を言わせてもらう。
まぁ、妖精について拙速、説明不足という点については、事務局から素直に謝罪を受けたので、それを受け入れて「妖精案」も議論するのはやぶさかじゃない。ただ、やはり唐突感を感じるのは否定できない。他の委員はどう思う」
間髪入れず渡部が続く。
「私は、「妖精」と言われても正直、ピンと来ませんでした。何か頓珍漢な感じです。また、妖精というと「子ども向け」ですよね。若者定住という課題と合うのかどうか。まして、超高齢化が進む我が町では、高齢者の生きがい作りが喫緊の課題とも感じています。そういう面からも疑問を感じます」
「渡部さん、ありがとうございます。時間の関係もありますので、桜井委員、武藤委員からも意見をお伺いした後、事務局の説明を求めたいと思いますが、皆様よろしいでしょうか」
頷く者と「異議無し」との声が交差する。
「では、桜井委員はどのようにお考えですか」
「先ほど、渡部さんから「高齢者」というお話がありましたが、私は小学校教諭という立場で参加していますので、端的に申し上げれば「子どもたちの笑顔」に繋がるのであれば、妖精でも妖怪でも、雪男でも何でも良いです。銀山町の将来を担う子どもたちの健全育成に繋がる視点を入れていただきたい、以上です」
「武藤委員、お願いします」
「正直、私も「妖精」には、面喰らっています。「はぁ?」という感じです。とは言え町に逆らえる身分でもないですし、逆に言えば、我々が戸惑うということは、誰も持ってない視点で面白いかもとも感じています。まぁ、わが社、長谷川建設の活性化に繋がれば、テーマは何でもいいです」
郷田の表情が穏やかに変わる
「ありがとうございました。渡部委員からは、「頓珍漢」、また武藤委員も「はぁ」という疑問が提示されました。この辺りは半沢委員の「唐突感」とも通じる印象です。事務局には反省を促したいと思います。またこの会議は「若者定住」ではありますが、「高齢者」や「子ども」という視点が必要との意見もありました。これらについて、事務局から説明できることはありますか」
郷田は、悪戯っ子のような表情に変わっていた。高橋の「お手並み拝見」と言いたそうだった。
「事務局 高橋です。先ほどと重なりますが、妖精についての説明不足をお詫びいたします。
 また、高齢者や子ども世代への効果ですが、岩手県遠野町におきましては「民話伝承」という取組みで、高齢者を語り部として育成するとともに、子どもたちの情操教育、道徳観の育成に繋げ、観光にも活かしたという実績がございます。銀山町におきましても「民話・伝承・妖精」を核に、高齢者や子どもたちにアプローチする事業を展開できると考えております。もちろん、皆様の御賛同がいただければ、です」
半沢が挙手をする。
「全く、いつもながら高橋君の金ベロは良く回るなぁ。田中君みたいに困った顔した方が可愛げがあんだが。あ、田中君、今のは記録するな、ただの独り言だ。座長、会の意見をまとめてもらえるか。いい加減、腹が減ったよ」
郷田は地蔵のような、ほっこりとした笑みを浮かべた。
「事務局からは、若者定住会議のテーマとして「妖精の住むふるさと」という案の提示がありましたが、委員としては「唐突感」「違和感」を抱くというのが、総意かと思います。
ただ全否定するまでの意見も無い。ということで、座長として委員、事務局双方への提案です。
妖精案を議論するためには、我々はもっと妖精について学ぶ必要があると思うのです。
桜井先生、正しい議論、正しい民主主義には、正しい知識が必要ですよね」
桜井が頷き、郷田が続ける。
「なので、事務局の説明にあった「妖精入門」を我々にも配っていただき、委員各自、妖精について正しい知見を得るのはいかがでしょうか。で、銀山町と妖精は馴染まないと考えた場合は、次回、事務局案を否定する。なお、否定される場合、できれば対案をお願いしたいところです。
 また、本だけでは「生きた知識」にはなりませんし、世代を越えた町づくりにならない気がしますので、生きた知識を得るために、次回の会議にAETのジェニファー先生を講師としてお招きするよう事務局に骨折りいただくのはいかがでしょうか。
 事務局には、その準備をお願いしたい。
さらに「町おこし」は、俺たちのような中核に置かれた者が楽しめなければ、世代を越えて他の人に楽しさが広がらないと考えています。
先刻の話とも重なるけど、俺らが妖精を知らなきゃ駄目だと思うんだ。だから、事務局には「妖精の勉強」をする機会を作って欲しい。例えば、あくまで例えばだけど、この会議の五人で妖精の本場である「英国視察」を検討していただきたい。百聞は一見にしかずだ。
事務局が「思い付きではなく、本気の提案」というなら、口先だけじゃなく、見える形にしてもらいたい。
長くなりましたが、「本」、「人」、「現場」での勉強の機会を提供していただくことを事務局には提案し、委員各位には次回までに勉強と対案の提案をお願いしたい。
その結果を持ち寄り、次回の会議で議論を深めることにしてはいかがでしょうか」
高橋と田中は、ぼやーんと呆けた顔を浮かべ、委員はお互いに顔を見合わせた。郷田のあまりにもぶっ飛んだ話は、何となく「まぁ、妖精案も仕方ねぇか」という雰囲気を思いっきりブチ壊して、事務局に刃物を突き付けるような提案だった。
郷田と高橋が親友とも言えるくらい仲が良いことを、田中と桜井以外は知っていたので、郷田の裏切りにも似た対応に驚いたとも言える。毒気を抜かれた半沢が呟いた。
「郷田座長、本はともかく、本気でジェニファーを呼んだり、英国に行こうと考えちょるんか」
「本気かは、事務局次第です。俺たちに本気で取り組んで欲しいなら、この程度の無茶振りは対応して欲しいと考えている。俺はこの会をジジイ同士の仲良しサークルみたいなものじゃなく、本気で町おこしをするための会議にしたい。前例とか慣習とか常識を越えたいと願っている。だから、事務局の本気度を知りたい」
郷田は高橋に挑発的な視線を送った。全員が息を飲んだ。
「事務局、高橋です。座長から委員皆様の意見を集約して「本」「人」「現地」という提案をいただきました。ありがとうございます。この場で「OK」と確約はできませんが、本気度を問われましたので。実現に向けて「やります。やらせていただきます」とお応えさせてください。次回の会議に、その経過報告をさせていただきますとともに、皆様と町おこしの議論をさせていただければと存じます。
 なお、公式記録としましては、
「異論や条件もいただきましたが、妖精案を含め検討していく」
ということでよろしいか、お伺いいたします」
高橋が深く頭を下げ、田中も同じように頭を下げた。郷田が笑みを浮かべながら委員に声を掛けた。
「それぞれ、異論もあると思いますし、言い足りないこともあると思いますが、今回は事務局案を一旦受け入れつつ、今後、議論を深めていく。これでよろしいですか」
「異議無し」
最初に半沢が発言し、木霊のように「異議無し」の声が響いいた。
「では、皆様の賛意をいただきましたところで、第一回若者定住会議を閉じたいと存じます。円滑な進行、活発な議論をありがとうございました。私は座長を降ろさせていただきます」
郷田は深々と下げた頭を起して、笑顔でバトンを渡した。
「では、半沢さん、後はお願いします」
ニコニコとした笑顔で半沢が応える。
「高橋、話が長いわ。早く風呂に入りたいのに。渡部、桜井先生、風呂行こうぜ風呂。郷田、その間に準備を頼むわ」
言うや否や立ち上がり、のっしのっしと歩き出した。その後をヒョコヒョコと小柄な渡部、スマートな桜井がついていく。武藤はその後姿を目で追いながら、少し離れたのを確認してから立ち上がった。高橋が田中を慰労する。
「田中さんお疲れ、仕事は終わりだ。さっさと机を片付けて、俺たちも風呂に行こう、それから飯だ」
豆鉄砲を喰らった鳩のような表情で田中が尋ねた。
「皆さん、風呂に行くんですか」
「あぁ、そして宴会だ」
「強制ですか」
「強制はできないが、まぁ、何ていうか。田中さんの歓迎会も兼ねている、そういうことだ」
高橋の切なそうな顔を見て、田中は笑った。
「高橋さん、俺がいないと困るんでしょう。正直に言ってくださいよ。きびだんが無くてもお供しますから」
「助かるよ。この辺りの慣習で、まぁ、会議の後に風呂と食事が定番なんだ。この後はオフだから、お互いに先輩も後輩も無い。裸の人間がいるだけだ。無礼講ってことで気を使わないでくれ」
「わかりました。しかし、郷田さんから無茶振りされましたけど、大丈夫なんですか」
「まぁ、やるしかないだろう。しかし、ああいう混乱というか混沌とした場で、主導権を握ったり相手を立てつつ落としどころを見つけるのが、郷田は昔から上手いんだ。天性のリーダシップというか親分肌を感じるよ。
俺は理屈で相手に説明するけど、郷田は利を使い揺さぶり、人を動かすんだよな。
 それでいて清濁合わせ飲む胆力もあるし凄い男だよ。「英国視察」なんて話を、あの場で唐突に提案してくるなんて、とんでもない男だけどな」
「事前に打ち合わせしていたんじゃないんですか」
「全くしてない。打合せしたら郷田の良さが消えちまうからな。よし、風呂に行くか。宴に遅れると半沢さんの機嫌が悪くなるからな」

風呂で、高橋が湯舟に入ると桜井が側に来て
「高橋さん、こんなところで何ですけど、実はジェニファーからも「子どもたちだけじゃなく、地域の大人の方々とも交流したい」ってお話を言われているんです。
この間、公民館に相談に相談したんですが実現できませんでした。
だから、日程さえ合えば来てくれるんじゃないないかと思います」
という話を教えてくれたのは心強かった。教育委員会と相談する際に、本人の意向が前向きだという話があるのは追い風になる。
 会話を聞いた渡部が混ざってきた。
「桜井先生、ジェニファーって呼び捨てにしてるけど、もう、そんなに仲良くなっているんですか。まさかお付き合いしているとか」
 渡部は体は小さいが、もと柔道部で今も筋トレを続けてので筋肉質の引き締まった体をしていた。桜井は手をブンブンと横に振り、跳ねたお湯が高橋と田中の顔にかかった。
「まさか、僕は彼女一筋ですから、そんなこと考えたことないです。それにジェニファーとトラブったりしたら県教委に叱られます」
いつの間にか近くに来ていた半沢も加わる。
「ジェニファーとトラブったら、国際問題になるかな」
風呂に笑い声が響いた。
(若者定住会議、成功するかもしれない)
田中は、風呂の湯で顔をジャブジャブと洗った。
  

第五章 妖精の住むふるさと事業

 週明けの月曜日、始業時間の前だったが、高橋と田中は出勤してきた飯田に、第一回若者定住会議の概要を報告した。
「ということで、いくつかの宿題はありますが、若者定住会議においては「妖精の住むふるさと」というテーマにについて概ね了承を得ることができました」
飯田が高橋の宿題を引き取る。
「まず、本の購入はすぐ進めてくれ。せっかくだから、佐藤本屋に相談して「妖精界入門」だけじゃなくて、学校と公民館、それに老人福祉センターに、何冊か妖精関係の本を購入してはどうだ。妖精の住むふるさと事業の雰囲気作りに繋がるんじゃないか。
 ジェニファーの件は、教育委員会を通じて県に打診してもらうことにしよう。県教委のOKが出たら日程を詰めてくれ。まぁ、そこまではいい。
 で、その、何だ、イギリス視察については、今日のうちに町長の耳に入れておくか。来年度予算編成時に揉めないように、まず一報を入れて方向性だけでも確認しておくか」
飯田は高橋の顔を見上げた。
「そうですね。細かい話はともかく、若者定住会議の結果を口頭で報告しておきましょう」
高橋はすぐに受話器を取り、総務課の宗像総務係長に電話をし、二言三言交わして町長の日程を確認した。
「課長、すぐに町長に説明に入って良いそうです、お願いします」
飯田課長は慌てて、ペンとメモ用紙を手に町長室に向かうために立ち上がった。

 町長室のドアを開くと、正面に座っていた長谷川町長は顔を上げて、飯田と高橋の姿を確認し、人懐っこい笑顔を見せた。
「良い話だろうな、良い話以外は聞きたくない。あれだな、金曜日の若者定住会議だな」
二人は頷きながら町長の机の前に進む。その後方では宗像総務係長がドア付近で待機していた。飯田が口火を切る。
「はい、若者定住会議の件で、取り急ぎご報告したくお時間をいただきました。後ほど報告書も提出いたしますが、高橋より口頭で御報告させていただきよろしいでしょうか」
「構わん」
高橋が一礼してから報告を始めた。
「まず、若者定住会議においては「妖精の住むふるさと」をテーマに、今後の具体的施策を検討していく方向となりました」
長谷川町長が満足そうに頷く。
「なお、次回会議の席上で英語講師のジェニファーさんに英国の妖精について話を聞きたい、また、次年度に会議のメンバーで英国視察を行いたいとの要望がありましたことを、御報告させていただきます」
町長の顔が険しくなる。
「来年度、英国視察だと。それについて企画課ではどう考えている」
飯田の顔がみるみる曇り、声を失っていた。すかさず高橋が応えた。
「企画課としては、妖精の住むふるさと事業のために英国視察が必要だと考えておりますので、次年度に予算を計上できればと考えております」
(出過ぎたか)と思いながらもはっきりと答えた。
「馬鹿もー-ん」
長谷川町長の怒声が飛んだ。
「会議のメンバーに言われたまんま、考えも無しに俺に持ってきてどうする」
飯田が頭を下げたまま答える。
「申し訳ありません、先ずは町長に御報告と思い、課内の検討が浅いままで来てしまいました。持ち帰り、来年度における視察の必要性について検討してまいります」
長谷川町長の顔が更に赤くなる。
「飯田課長、それが駄目だと言っている。課内で来年度に視察の検討なんて、悠長に構えていたら機を逃す。それでは駄目だ。顔を上げなさい。後、宗像係長もこっちへ来なさい」
宗像係長が高橋の横に並ぶ。
「妖精の住むふるさとづくりを進めることが前提、今後の会議次第ではあるが、9月補正に予算を計上し、今年度中に「英国視察」を提案できるよう準備を進めて欲しい。会議は今年度限りとし、次年度には具体的な事業に着手しないと駄目だ。
 こういうのはスピード感が重要だ。As soon as possibleだ。若者定住会議のメンバーに「英国視察」を約束して、一気に事業に対する期待感、高揚感を高め、事業を推進して欲しい。わかったか」
飯田がブンブンと顔を上下にして、高橋と宗像は静かに頷いた。
「飯田課長、これからも若者定住会議の動きについては、最優先で報告してくれ。前回、今回と、迅速に報告を受けて良かった、頼むぞ」
三人は一礼して町長室を後にした。
町長室を出たところで、宗像係長が飯田課長に話かけた。
「私からも木村課長に報告しますが、飯田課長からも早めに木村課長にお話してくださいね。細かいことはともかく
「九月補正予算で英国視察を計上する。迷惑をかけるがよろしくお願いしたい。町長の方針だ」
程度の仁義は切っておいてください。細かいところは、私と高橋主任で調整しますから」
「わかった。宗像係長にも世話をかけて申し訳ない」
「いいですよ。元はと言えば、昨年度のうちに「ふるさと創生事業」を纏められなかった総務課のせいでもありますし。しかし、高橋主任、よく、「妖精ネタ」を会議のメンバーに飲ませましたね」
「田中が「妖精界入門」という本を根拠に、「大蛇も座敷童も、妖怪も全部妖精」と見えを切ったのが効いたよ。今年度に田中を採用した総務課の手柄です。俺と課長だけでは、そんな発想にはならなかったです。大蛇は大蛇だからなぁ」
高橋の総務課フォローを受け、宗像は相好を崩した。
「それはそうと、高橋主任。田中君がワープロを持ちこんでいるらしいですが「電気機器持込」の申請が出ていませんよ。駄目とは言いませんから、急ぎ申請させてください。
 規則違反ですし、防火管理、盗難防止責任者の立場からも看過できない状況です。田中さんは、まだ規則等を承知してないでしょうから、その辺りの指導もお願いしますよ」
言い方は少しきつめだが、三人の間には不思議な連帯感、穏やかな空気が流れていた。
「申し訳ないです、すぐに申請させます。後、ワープロを使うのに感熱紙という紙が欲しいようなので、後で購入依頼を回します。よろしくお願いします」
「高橋主任は、転んでも、只では転がらないですねぇ。わかりましたよ」
宗像は笑いながら、総務課の執務室に戻った。

 企画課に戻ったところで、課長が改めて田中に指示を出した。
「田中君、英国視察について町長の内諾を得ました。ただし、来年度当初予算ではなく、9月補正予算での対応です。「妖精の住むふるさと事業」を本格的に進めるために、町としても本気を見せます。スピード感を持って頑張りましょう」
 田中は思わず立ち上がり、高橋の顔を見た。高橋はゆっくりと頷いた。
「次の会議に向けて、忙しくなるな」

(この事業は上手くいくかもしれない)
二人は手応えを感じていた。
ニコニコとした笑顔の課長が自席に戻るのを見ながら、田中が質問した。
「高橋主任、「妖精界入門」の著者に御礼の手紙を書きたいんですが、業務内容を書くのは駄目ですよね。守秘義務に抵触しますよね」
「確かに公務員には守秘義務があるが、「妖精の住むふるさと事業」は秘密には当たらないから手紙に書いて問題ない。感謝の気持ちをちゃんと伝えておくのは、いいと思う。あれの時は、商工観光課から観光用のパンフを貰って、町の観光PRもしといてくれるか。相手にとっては迷惑かもしれんが」
「わかりました」
田中は直ぐに商工観光課に向かった。 

第6章 大盛会(第二回若者定住会議)

 五月二日(木)に開催された第二回若者定住会議は、第一回とほぼ同じような机とストーブの配置だったが、座長席の右側に「講師席」が設けられており、桜井がジェニファーを案内してきた時、全員が度肝を抜かれたた。
黒いスーツを着て、ブロンドの髪を後ろで束ねたジェニファーは、さながら外国映画に登場する「ビジネスウーマン」のような雰囲気で、予想以上の美しさに参加者全員が見惚れた表情を見せた。
変な空気が流れた後、桜井に促された郷田がジェニファーを皆に紹介し、
「それではジェニファー先生に、「英国と妖精」について御講義をいただきます。先生、よろしくお願いします」
と話すと、郷田は桜井の隣に異動した。

 ジェニファーは日本語が片言しか話せず、講義の内容は多くは英語で、桜井が通訳をしてくれたが、多少心もとない印象だった。
それでも、懸命に英国の文化を伝えようとする姿勢に引き込まれるように全員が聞き入り、あっという間に予定の一時間が過ぎ、大きな拍手で講義は閉じられた。
半沢がすかさず挙手をした。
「座長、今日はジェニファー先生の講義のみとして、後は宴会場で自由討議ということは理解しているが、皆が酔っぱらう前に一つだけ確認したい。発言していいか、ありがとう。
妖精界入門にも書いてあったが、ジェニファー先生の話も同じで、妖精も妖怪も、もともとは権力や圧政に虐げられた存在ということなんだな」
渡部が続いた。
「そして、時に反対勢力に助力したり、同じように苦しむ人を助けたりして、進化してきたんですね」
半沢の意を酌む時の渡部の反応は早い。
「銀山町と一緒じゃないか。戦国時代から中央の支配に翻弄され、殿様がコロコロ変わり、会津藩預りとか幕府直轄とか弄くり回され、過酷な年貢に苦しみ、官軍という偽りの旗を掲げた西軍に蹂躙され、戦前戦後はエネルギー政策に振り回されて村を分断されたり、電源開発のために故郷を奪われ、過酷な労働をさせられてきた。
南山御蔵入騒動のような戦いもあった。ちゅうことは、妖怪も妖精も、弱き存在である俺たち銀山町と一緒じゃないか。ジェニファー先生、いい話をありがとう。いいじゃないか妖精の住むふるさと。
俺たちの村は、俺たちの先祖は苦しんできたけれど、俺たちは、銀山町はまだ生きている。これからも住み続けるために、妖精で町おこしはいい考えだ」
半沢の発言が長くなることを止めようとした郷田だったが、勢いに押され止めることができなかった。半沢が一息ついたところで発言した。
「半沢さん、貴重な意見をありがとうございました。他の皆さんも、いろいろと感じたところあると思いますが、あらためて講師のジェニファー先生と半沢さんに感謝の拍手をお願いします」
 七人の聴衆による盛大な拍手が贈られ、ジェニファーは立ち上がり深々とお辞儀をした。
「なお、若者定住会議のテーマとして、前回事務局から提案がありました「妖精の住むふるさと」について各委員からの対案がありませんでした。また、冒頭に事務局から「英国視察を前向きに検討中」という報告もありましたので、「妖精の住むふるさと」事務局案を支持し、今後、具体的な事業を検討し提言に向けて協議していくことで、御異議ございませんでしょうか」
「意義無し」
全員の声が響き、高橋と田中が頭を下げた。
「それでは、時間の関係もありますので、具体的な事業につきましては、入浴後に食事をしながら、各々で事務局に提案し、次回議論を深めたいと思いますが、よろしいでしょうか」
「異議なし」
全員の声が響き郷田が頭を下げた。桜井がジェニファーに状況を説明した。
「なお、ジェニファー先生も食事会にも参加していただけるとのことです。積極的なアドバイスをいただければと思います。引き続きよろしくお願いします。また、事務局は、この後の議論について、次回の会議でフィードバックをお願いします。事務局よろしいですか。それでは、座長を降りて宴会係に移ります。円滑な進行に御協力いただき、ありがとうございました」
郷田は一礼すると、半沢に視線を送った。
「桜井先生、ジェニファーに風呂に入る時間、どのくらい見ればいいかを聞いてくれるか。よし、じゃぁ20時から夕食でいいな」
半沢が立ち上がり、他のメンバーも資料を整えてから立ち上がり風呂に向かう。桜井に促されてジェニファーも部屋から出ていった。

「高橋主任、半沢さんが凄かったですね」
「うん、半沢さんも町を愛しているからな。これまで、いろいろな柵で変えられない閉塞感を打破する、チャンスだと思ったんだろう」
「あの、それもありますけど、ジェニファーを見つめる目が、凄く熱っぽく見えたんですが」
「そうだったのか、気づかなかった。宴会場でどんな顔するか確かめてみるわ。とりあえず、俺たちも風呂に行こうか。今日はこの前以上に長くなるかもしれないから。無理して飲まないようにしろよ」
「わかりました」

半沢台風、半沢春の乱。
この夜のことは、後にこの言葉で伝えられた。少し控えめに表現するとしたら、半沢が主役の舞台劇と言えるかもしれない。
 主賓のジェニファーの横に陣取り、飲み、喰らい、話をした。最初のうちは、桜井が反対側に座り通訳をしていたが、酔いが進んでからは、身振り手振りと日本語、片言の英語で、ジェニファーと直接コミュニケーションをとっていた。
 浴衣に着替えたジェニファーは、とても艶やかでいながら、愛らしい笑顔で会話をしているため、独身の半沢が夢中になるのも仕方ないと皆が思いつつ、二人が並んだ姿から「美女と野獣」という映画を誰もが思い出していた。
(あの映画の野獣は「妖精」じゃないよな)
そんなことを考えながら、田中が半沢に挨拶にいくと、酒を注がれながら
「田中君、妖精の住むふるさと事業のメインつうか、シンボルとなる事業は、どんなことを考えとる」
と問い質された。
(まだ、何も考えてないですよ。だって、ようやく先刻、皆さんからテーマの承認を得たとこじゃないですか)
とは言えず、盃を干しながら考えた。
(何か、何か言え、俺。ハッタリでも何でもいい。妖精でも英国でもいい、何かないか。あ、ある)
「美術館とか博物館のような、妖精が住む館、妖精がいる場所を創れたらと考えています」
「妖精美術館、フェアリーミュージアムってことか」
「フェアリーミュージアム?」
ジェニファーが弾んだ声で続いた。目も輝いている。
「武藤君、ちょっといいかぁ」
半沢が武藤を手招きし、何故か渡部も近づいてきた。田中が座る場所少し横にずらして、半沢、ジェニファー、桜井、武藤、渡部、田中が円形に座る。
「武藤君、田中君が妖精美術館を造りたいそうだ。長谷川建設的にも良いアイディアだと思わないか」
「いいですねぇ。うちの会社は土木がメインですけど、僕の本職は設計、建築屋ですから、美術館の設計とかしてみたいです。個人住宅とか役所の建築物は、セオリーどおりで正直ツマラナイです。いいですぇ、いいですねぇ妖精美術館。是非実現して欲しいです」
渡部が続く、
「核となる施設があれば、その周辺開発なんかも面白そうですね。妖精の小路とか妖精展望台とか、ちょっとしたテーマパークみたいにして、子どもも高齢者も楽しめるんじゃないですか。しかも、妖精美術館っていうは、斬新ですね。もしかしたら、日本で初めての施設になるかもですよ。事務局で似たような施設があるか、次回の会議までに調べておいてくださいよ」
武藤も田中に要求する。
「あ、それなら、僕もお願いしたいことがあります。妖精美術館をイメージできる資料、設計の基本資料を準備して欲しいですね。まぁ、妖精美術館というのは無いでしょうから、こう英国風の瀟洒な建物、美術館的な仕様の概要が掴める資料が欲しいです。
 何も無いところから、設計するのは正直難しいので、いくつか材料を集めて欲しいです」
 顔を赤らめた半沢が上機嫌で武藤を褒めた。
「いいね、いいね、武藤君。やる気満々じゃないか。将来、長谷川建設を背負う人材は仕事が早いねぇ」
少し眉を顰めた渡部が提案する。
「あと、あれですね、美術品の展示だけじゃなく、妖精のことを学べる集会室とかも欲しいんじゃないですかね」
「渡辺君、いいねぇ。ということで、後で郷田君にも話をするが、若者定住会議としての妖精の住むふるさと事業は、妖精美術館を核として、ハードソフト両面の事業を進めて行きたいと思うが、どうだ」
渡部は盃をヒョイと持ち上げ、賛意を示す。他の者も同じように盃を掲げた。
「いいねぇ、剣を捧げた円卓の騎士みたいじゃないか。最初に妖精というテーマを授けてくれたジェニファーに、皆で乾杯しよう」
半沢は全員の盃に酌をしてから、自分の盃にも酒を注ぎ、ジェニファーに向かって杯を掲げた。ジェニファーに意味は通じてなさそうに見えたが、嬉しそうにコップを持ち上げた。
「かんぱーい」
桜井がジェニファーに説明すると、ジェニファーが
「Chevaliers de la Table ronde」
と声を上げてから、歌い出した。

Chevaliers de la table ronde,
Goûtons voir si le vin est bon ;
Goûtons voir, oui, oui, oui,
Goûtons voir, non, non, non,
Goûtons voir si le vin est bon
.
 歌い終えると、皆を見回してから「oui, oui, oui,&non, non, non」と身振り手振りで伝えてきた。桜井が半沢に説明する。
「俺たちにも歌って欲しいとのことです。ウィウィとノンノンのところですね。円卓の騎士の歌だそうです」
「英語の歌にしては、何だか難しい発音の歌だな」
「フランス語のようです」
「まぁ、何でもいいわ」
半沢が手拍子を始めると、再びジェニファーの歌声が響いた。

Chevaliers de la table ronde,
Goûtons voir si le vin est bon ;
Goûtons voir, oui, oui, oui,
Goûtons voir, non, non, non,
Goûtons voir si le vin est bon

車座から歌声が響くのを、郷田と高橋は少し離れたところから見ていた。
「随分と盛り上がっているなぁ」
郷田が感心したような声を出した。
「座長のおかげだ、ありがとう。事務局の段取りの悪さを助けてもらい感謝している」
「みんな、町のために何かしたいと思いながら、何もできずに燻っていたところに、田中君が火を付けてくれた。いい若者に来て貰えたよ」
「定住してくれれば、なお有難いんだけどな」
「まぁ、頑張ろうぜ。まずは、「妖精の住むふるさと事業」を成功させよう」
 何度か歌を繰り返し、皆が杯を重ねた。

ジェニファーが桜井に耳打ちする。
「半沢さん、ジェニファーがあらためて御礼を言いたいそうです」
「アリガトウ ハンザワサン」
「何だ、御礼を言われるようなことはしとらんぞ」
桜井がジェニファーに通訳し、ジェニファーが桜井に答える。
「イギリスから来て、国際交流協会のイベントとかで、在日外国人同士の交流とか子ども向けのイベントは何度かありましたが、会津の大人と交流する機会が無くて寂しい想いをしていたそうです。今回、半沢さんがきっかけを作り、皆と温泉と宴を楽しむことができて、とても嬉しいとのことです」
ジェニファーは半沢を真っすぐに見つめて頷いた。
「教育委員会の連中は、イギリスから呼んでおいて寂しい想いをさせるとは、何しとんだ」
教育委員会に対して憤った後、半沢は体と声を小さくして、ジェニファーに話かけた。
「あぁ、あの、何だ、無理しなくていいし、嫌なら断っていいが、もし、どこかの週末に時間があれば、一緒に桜を見にいかん。この辺りは、まだ桜を見ることができる名所がある。あー、あの、何だ、Sakura sightseeing with me」
半沢の顔が真っ赤なのは、酒のせいじゃないと誰もが感じていた。
桜井が通訳する前に、ジェニファーは笑顔で「OK」と答えた。
車座で座っていた男たちは、そろりそろりと自分の席に戻っていった。

大黒屋の外では春の足音が静かに響いていた。

第7章 ライトスタッフ

 ゴールデンウィーク明けの月曜日、出勤してきた田中に高橋が感嘆の声をあげた。
「田中さん、よく、妖精美術館なんて発想が出たねぇ。うちの妻も感心してた。早く観たいそうだ」
「いや、そんな褒められるような話ではなくて、半沢さんに「メイン事業は」って詰められた時に、郡山市が「英国美術を中心とした美術館を建設する」という話を偶々思い出して、「妖精美術館」って言葉が浮かんだだけなんです」
 高橋は目を丸くしながら考えた(確かにそんな新聞記事を読んだ気がする。しかし、そこから妖精美術館という発想は、俺には出せない)。
「偶々でも良いじゃないか。普段からアンテナを高くしている成果だろうな、で、その他に話題になったのが、「妖精の小路」、「展望台」などを絡めていくということだな。
 課長にも確認するが、今回は町長に報告する時に、田中さんも同席してもらいたいな。
 もし、妖精美術館の建設の理由を聞かれたら「妖精が住むふるさと」なので「妖精の館」が必要、誘客施設であり交流施設として建設したい」ぐらいで説明するのが良いかもしれないな」

 町長の前に、飯田、高橋、田中が並び後方の入口では宗像が待機していた。
「妖精美術館、いいアイディアじゃないか。しかも、それについて、半沢君も賛成しているそうじゃないか。後、武藤君は何か言っていたか」
町長は少し興奮し、顔が紅潮していた。飯田が高橋に視線を送り、高橋は田中を軽く肘でついて、説明するように促した。
「半沢さんは大賛成という雰囲気でした。また、武藤さんは設計士として、非常に興味を示されていました」
「そうか、それは実にいい傾向だな。何よりもスピード感がいい。宗像係長には悪いが、総務課が担当していた時には、全く動きが見えなかった。まさか五月上旬のうちに、ここまで話が進展するとは思っていなかった。しかも「町長には何でも反対の半沢」を取り込めたのは大きい。
細かいところは飯田課長に任せるので、細々した報告は不要だ。
 当面は九月補正予算での英国視察、来年度当初予算での妖精美術館建設に向けて、鋭意準備を進めてくれ。大型プロジェクトになるから、議員への事前調整も怠りなく頼むぞ。
 まぁ、既に半沢君や渡部君からも野党議員には情報が流れているだろうが、町当局としても与党、野党に対して早めの丁寧な対応をお願いしたい。6月議会の議案説明の後あたりに、飯田課長から打診して伝えるのがいいかな」
「承知いたしました。この事業が順調に進展していますのも、町長が英国視察の方針を果断されたこと、そもそも「妖精の住むふるさと」という、我が町に相応しいコンセプトを示していただいたからと考えております。町の発展のために、全力で取り組んでまいります」
 飯田は誇らしげに応えた。満足そうに頷く町長に一礼し、企画課の三人と宗像は町長室を出た。
先頭を歩いていた飯田に宗像が声をかけた。
「あれほどご機嫌な町長は珍しいですね、いいものを見せていただきました」
「ずっと御機嫌で居てくれればいいけどな。反動が怖いよ」
「何を仰います、反町長派急先鋒の半沢君がこっちに付いたのなら、大きな障害は無いでしょう。粛々と予算要求をして、着実に事業を展開するだけですね。若くて活きのいい職員もいて企画課は安泰ですね」
飯田は満更でもない表情を浮かべた。宗像は高橋の方に向き直り
「ところで、高橋君。半沢君を取り込むのに、どんな魔法を使ったんですか。今後のために教えていただけませんか」
急に話を振られ、高橋は一瞬言葉に詰まったが
「魔法みたいな手があれば、俺の方が教えて欲しいです。今回は、田中の熱意と誠意が伝わったんだろうと思います」
宗像係長は少し納得がいかない表情をしていたが、何も言わず執務室に戻った。
 
 企画課に戻ると、ホクホクした表情の飯田に高橋が詰め寄った。
「課長、今後の取組みに方針について確認させてください。田中さん、メモをお願いする。俺も自分の中で、整理ができていないから、思いつくまま話をさせてください。
 まず総本山となる「妖精美術館」の建設についてですが
1 事業用地の選定・確保
2 武藤さんから宿題を出された、参考資料の収集
3 類似施設の有無の調査。これは文部省に照会します。
4 妖精美術館と合わせて整備する「妖精の小路」「展望台」などの付属施設を含めた全体像の検討
5 予算編成を含めた全体スケジュールの策定
 このあたりかなぁと思いますが、田中さん、これまでの課題は何個あった。5個か。課長、その他に対応すべきことはありますか」
「そうだな、町長から指示をいただいた「議会対策」の方は、俺が対応しよう。場合によっては、その資料作成をお願いするかもしれない。もっとも、町長にも何の資料も渡してないのに、先に議員に資料を渡す訳にはいかないからな。まずは口頭で説明しよう。
 その他の課題については、田中君と高橋君で手分けして迅速に進めてくれ。
 まずは事業用地の選定だな。一昨年のデータにはなるが、福祉課が「高齢者福祉センター」を建設する際に、いくつかの候補地を調査していたはずだ。その資料をたたき台にしてはどうだ。福祉課長には俺からも一声かけておく。
 しかし、あれだな、文部省の回答次第ではあるが、もしかしたら日本で初めての「妖精美術館」になるのか。「ふるさと創生事業」としても、とんでもなく特色ある事業になるんじゃないか。銀山町発展のため、何としてもやり抜こうじゃないか」
 飯田は満面の笑みを浮かべたまま福祉課長の席に向かい、高橋と田中は自席に戻った。飯田の頭の中では事業成功を花道に退職し、社会福祉協議会 会長として任用される青写真が完成しているのかもしれない、と高橋は考えた。改めて真剣な顔で田中に向き直り、
「真面目に考えると、候補地は難航するな」
「え、高齢者福祉センターのリストを活用すれば、そこから選ぶだけですよね」
「課長はそんな感じで認識しているみたいだが、そのリストは各地域で開催した懇談会で住民から提案があった土地だ。「空地だからいいんじゃないか」くらいの考えで地域から提案されたが、元墓場とか相続で揉めているとかで、使い物になる土地は無かったらしい。
一応、福祉課に再確認するが、一から探したとしても、空地には空地になる理由がある」
高橋は顔を顰めた。
「民有地が駄目なら、公有地はどうですか」
「福祉センターの時、公有地も洗い出したはずだが、適地は無かったと聞いている」
「一応、聞いてみますか。公有地は総務課が所管でいいんですよね」
「じゃぁ、俺は福祉課からリストを貰ってくる」
二人はそれぞれ立ち上がり、田中は総務課に高橋は福祉課に向かい、ほどなく二人とも戻ってきた。高橋が紙をピラピラしながら話した。
「一応、リストは入手したが、点で話にならなかった。総務課も空振りだろう」
「それが、宗像係長から、一山分の公有地の資料をいただいてきました」
「一山分?」
「はい、不便な場所なので、高齢者福祉センターの際は候補リストに入らなかったようですが、銀山湖の北にある山は、ほとんど町の所有地だそうです」
「そんな土地、何で町が持ってるんだ」
「上田ダムの開発に伴う川内集落集団移転の際に、移転先の土地と抱き合わせで購入させられ、何にも使えなくて三十年以上塩漬けだったそうです。宗像係長が、企画課で使うならナンボでも持っていけっておっしゃっていました」
「確かに不便な場所で高齢者福祉施設としては駄目だが、「妖精美術館」として考えたら、森と湖に面した適地かもしれないな。しかも、山一つということは、妖精の小路や展望台、キャンプ場とか、いくらでも拡張できる可能性がある。道路は通っているし、すごく良い場所じゃないか」
「俺もそう思います。大蛇伝説ともピッタリ合います」
「だな、それに、どの集落にも属してないから、高齢者福祉センターの時みたいに、集落同士の諍いになる可能性もない。最高の場所かもしれないな」
「これで、土地の目当てがつけば、後は、武藤さんから言われた「建物関係の資料収集」ですね」
「うん、それについては、俺の方で手配してみる」
「誰か、設計関係の知り合いとかいるんですか」
「設計関係では無いが、天栄村役場の知り合いに手配をお願いする。田中さんが言っていた「郡山市の英国美術館」と同じ発想だ。
今、天栄村では「英国をテーマとした大規模施設の開発」を始めている。なので開発関係者の紹介をお願いしてみる。その開発関係者に英国風の建物や美術館に関する基礎資料を頼んでみようと思う。

 課長に状況を報告し、銀山湖の湖畔を中心に妖精美術館を中心とした「妖精の住むふるさと」構築で進めるという方向性が内定した。
「いいねぇ、後で町長にも確認するが、塩漬け土地の活用、集落のしがらみ無し、大蛇伝説との親和性、これ以上ない土地と言えるな。俺も内々ではそこがいいなと考えていたが、意見が一致して良かったよ」

 それから二日後の午後、町では見たことが無い男が高橋を訪ねてきた。
「こんにちわー、株式会社ライトスタッフの鈴木と申します。企画課の高橋主任様はいらっしゃいますでしょうか」
声の主は明るいネイビーの洒落たスーツを着た茶髪の男性だった。二十代後半から三十代前半のように見えるが、ニコニコとした愛想笑いが、どこか信用おけない感じを醸し出していた。
 高橋が立ち上がり、戸惑いの表情を浮かべながら鈴木に近づいていく。
「企画課の高橋です、はじめまして、ですよね」
「天栄村の菊池さんから昨日、高橋様のお話をお聞きしまして、先ずは御挨拶をと思い駆けつけました。英国風の建築物を検討されているとか。本日はお名刺を交換させていただき、あらためて参りたいと考えております」
「鈴木さん、時間があるなら、少し話ができないか。田中、会議室が開いているか確認して貰えるか」
「突然の訪問にも関わらず、打ち合わせをさせていただけるとは、大変恐縮です」
高橋は鈴木の慇懃無礼な態度に少し不快感を抱いたが、田中を伴い三人で二階の会議室へと向かった。

 会議室で名刺を交換し、事業概要を説明する。
「ということで、妖精美術館を中心とした「妖精の住むふるさと事業」という町おこしを展開していきたいと考えている。で、妖精美術館に相応しい建物や周辺開発に関する資料や情報提供について、鈴木さんに協力していただけないかと考え、天栄村の菊池さんに紹介をお願いした」
 鈴木は満面の笑みを浮かべた。
「お声がけいただきありがとうございます。当社は天栄村での開発事業「ブリティッシュヒルズ」について現地コーディネイトをしていますので、英国風建築などの情報や町づくりの企画のノウハウがございますので、高橋様のお役に立てると思います」
 高橋は少し顔を曇らせながら応えた。
「ただ、申し訳ないが、今年度は役場としては調査・企画の予算を組んで無い。当面は協力ということで…」
 高橋が言葉を濁すと、鈴木が直ぐに口を挟んだ。
「只働きということですね、承知しました。結構です、我社の基本はフットワークとネットワークです。銀山町さんとのネットワーク構築のため、今年度は無償で協力させていただきます。
その上で、我社の仕事の実績を踏まえ、来年度の予算で「企画・調査委託事業」として対応していただければ、なお有難いところです。それに向けて鋭意努力いたします」
「もちろん、それは対応させていただく。ただ、そのためには、今年度、なるべく早い時期に事業の道筋を付ける必要がある。その辺りを酌んで対応をお願いしたい。なお、この後、地元の建設会社を紹介するので、その辺りも配慮してもらえるか」
「もちろんです。地元企業を通さないと事業は円滑にいかないでしょうから、私どもは黒子に徹します」
高橋と鈴木が、時代劇の悪代官と悪徳商人のような「ニヤリ」とした笑みを浮かべた。
「話が早くて助かるよ」
「妖精博物館というハコ物は、少しの時間と予算をいただければ準備できますし、建設に掛かる準備、見積書や設計書も必要に応じて準備させていただきますのでお任せください。
なお、建設場所の確保は、高橋主任の方でお願いします。え、もう準備できているのですか、なら話が早いです。
ただ、高橋主任、一点だけ確認させてください。
問題は中身、展示物です。これは予算があれば準備できるというものじゃありません。美術品というものは総じてマニアの方々が所有していますから、滅多に市場に出ませんし、値段もあってないようなものになります。
 一般的に美術館とか博物館という施設は、金のある実業家が何年もの時間と金をかけて蒐集した収蔵品が先にあって、建設の話が始まります。
例えば、国立西洋美術館は、実業家である松方幸次郎氏が二十世紀初めにヨーロッパで収集した印象派などの絵画・彫刻を中心とする松方コレクションが基礎にあります。
 ブリヂストン美術館は、その名のとおりブリヂストン創業者 石橋正二郎の収集した美術品を展示するためブリヂストン本社ビルに開館しました。第二次大戦後にまとまった形で入手したとされていますが、数年以上の期間を必要としました。出光美術館も然りです。
三菱グループに至っては、岩崎一族が数十年かけて蒐集しても、まだ美術館を設置できていません。
また、展示品に纏わる物語もある方が望ましいです。「誰が、何故、どのように」という点です。「ふるさと創生事業」で一億円の使い道に困り美術品を買いあさった。なんてのは愚策です。美術品収集に掛かる経緯、心を揺さぶるような物語があるのが望ましいです。
そこまではなかなか難しいとしても、展示品、一年とか二年で集めるというのは、どんな業者、誰に相談しても無理な話だと考えております。その辺り、展示品の準備はどのようにお考えですか」
 高橋と田中の顔から血の気が引いた。それでも田中は
(高橋主任なら、何か秘策のようなアイディアがあるのかもしれない)
と考えたが、すぐに打ち消された。
「今のところ、全く白紙状態だ。その辺りも、何か伝手があればお借りしたいと考えている」
「承知しました。期待に応えられるか自信はありませんが、当たるだけは当たってみます」
「頼む、では細かいところは、長谷川建設で打ち合わせをしよう。車で先導するのでついてきて欲しい」
鈴木が頷き、三人は立ち上がった。


第8章 大暴走(第三回若者定住会議)

 第一回の会議と同じような机の配置、同じメンバーだが、第三回会議は終始穏やかな雰囲気で進んでいた。
「ということ、妖精美術館を中心とした、展望台、小路の整備などのハード事業。
 さらに、ソフト事業として町内向けには
 ・民話・伝承語り部の育成
・シンボルイラストの公募
・子どもたちが描いた妖精のイラスト展
・子どもたちによる創作フェアリーダンス
また、交流人口から定住人口の増加を目的とした町外向けには
・フェアリーファンクラブとして会員を募集し
 妖精の里住民票の発行、フェアリーレター(観光パンフ)の送付
 フェアリーギフト(町で使える割引券・カタログ販売)の贈呈
・フェアリーツアー(モニターツアー)
などの提言を検討してまいりたいと考えております。
なお、妖精美術館の建設に向けましては、現在、武藤さんとも連携し情報収集をしておりますが、「展示物の蒐集」をどのように行うか。非常に困難ではないか、ということが懸念されております。具体的な事業提案に合わせ、展示物の蒐集につきましても、皆様から御意見、御提案をいただければと考えております。事務局からは以上です」
田中が説明を終えて一礼した。それを受け郷田が意見を求めようとしたところ、顔を真っ赤にした渡部が挙手をした。
「渡部さん、どうぞ」
「渡部です、事務局に質問です。先刻、さらっと「展示物の蒐集が困難」と説明したけど、俺たちに意見をと言っていたけど、それは、もの凄く重要な問題じゃないか。
 困難というより、ほぼ不可能じゃないのか。もし、それならそう説明しないと、てんで話にならない。空っぽの美術館を建設したら、笑い話にもならない。仏作って、魂入れずになるんじゃないですか」
立ち上がらんばかりの勢いで渡部が質問してきた。郷田が事務局の方に目を向けると、二人の顔色が見る見る悪くなっていった。
「事務局、説明をお願いします」
「事務局 高橋です。渡部委員から御指摘のとおり、非常に重要な問題と認識しております。が、現状では解決策が見つけられないというのが正直なところです。少し、お時間をいただきますようお願いします」
郷田の進行を待ちきれず、渡部が挙手して発言した。
「重要な問題なのに解決策が見当たらない。そもそも結果を求め過ぎて、拙速、考えが浅すぎだったんじゃないですか。田中君を責めたくはないけど、町に来て1~2ケ月の身で、町おこしを企画するのは、力不足だったんじゃないの。妖精美術館が無理なら、妖精の住むふるさと事業も諦めた方がいいんじゃないか。根本的に駄目な話のために、皆の時間を無駄にすることはないと、俺は考えるけど、皆さんはどう思いますか」
渡部が周囲を見渡そうとしたところ、武藤と視線が合い、武藤が申し訳なさそうに挙手した。
「武藤です、僕は妖精美術館の建設を推進したいと考え、ライトスタッフの鈴木さんと情報交換をしていますが、やはり展示品が非常に重要であると考えています。まだ、その段階ではありませんが、どのような物をどのように展示するかにより内部のレイアウトや内装も変わりますので、その辺りが見えないと、建設スケジュールもどんどん遅れることが懸念されます。少なくとも二年後の秋までに完成は厳しいかと」
続いて、渡部に促され桜井が挙手する。
「日本で初めての妖精美術館ということで、非常にワクワクした企画と胸を躍らせていました。子どもたちも喜ぶだろうと楽しみにしています。しかし、少し冷静に考えてみますと、日本で誰も出来ていないということは、それだけ難しい企画なのだろうとも思うのです。
 そんな大それたことは、銀山町では最初から無理な話だったかなぁとも感じています」
 三度、渡部が挙手して発言する。
「ということですよ、田中さんのアイディアは、所詮、絵に描いた餅。腹が膨れるような、皆の身になるような話じゃない。ただのおとぎ話ということじゃぁないですか。高橋さん、いつもの金ベロで、何か反論できますか」
「いや、反論できる材料はありません。皆様の御意見を真摯に受け止めます。申し訳ありません」
高橋と田中は深々と頭を下げた。
「半沢さんも意見があるんじゃないですか、お怒りではないですか」
黙していた半沢に、渡部が発言を促した。全員が固唾をのんだ。
「座長」
半沢が挙手し、郷田が指名する。半沢の顔は真っ赤に染まっていた。
「俺は怒っている、言葉に出来ないくらいの怒りを感じている。ハラワタが煮えくり返る思いということを人生で初めて実感している。少し、長くなるかもしれないが話してもいいか」
間髪を入れず渡部が反応する。
「時間なんか気にせず、存分に話してください」
「半沢さん、どうぞ」
郷田も発言を促したが、少し声が震えていた。
「俺が怒っているのは、自分に対してだ。企画に行き詰り、困っている田中君を助けることができない自分自身、これまで町のために何もしてこなかった自分に対しての怒りが抑えられない。俺は、田中君を責める気にはなれん。
去年、総務課の宗像係長から「妖精の住むふるさと事業」や「若者定住会議」の話を聞かされた時は、
『俺に町長の太鼓持ちをやらせるつもりか。アリバイ作りに利用するつもりか』と反発した。
 けど、今年度に田中君が来て、役場や俺たちの無茶振りを正面から受け止めて、汗を掻いて、頭を下げて、掴まえようも無い雲みたいな話を企画にして見せてくれたことに感謝しとる。その田中君を助けることができず、ほんと口惜しい。
 そんで、これは、俺の個人的な想いで申し訳ないが、ジェニー、いやあの、ジェニファーが「妖精美術館」の完成をもの凄く楽しみにしている。
『自分の任期中、日本滞在中に完成して欲しい、妖精美術館を見てから帰国できたらいい』
『子どもたちが成長して町を出ても、妖精美術館がこの町に残る、私がこの町で生きた証が残る』
とも言っていた。ジェニーには
「役所の仕事は時間がかるから、任期中の平成五年八月までに妖精美術館が完成するのは無理だろう」
と説明したが、俺はジェニーの笑顔を曇らせたくない。日本にいる間、いい夢を見せてやりたい。何とか、どうにかして、平成五年八月までに妖精美術館を、妖精の住むふるさと事業を形にして欲しいと思っている。
 これは俺の我儘だから、みんなにお願いできるようなもんじゃないが、皆の知恵とか力を田中君に貸してやって欲しい。俺たちには何もできることは無いかもしれんが、せめて応援して欲しい。
 もともと無理筋のプロジェクトが、さらに困難な状況だと思う。だけど、まだ諦める時間じゃないと、希望は残っていると思いたい。
色々な意見はあると思う、だがそこを曲げて、どうかお願いしたい。郷田さん、武藤さん、渡部さん、桜井さん、どうか、皆の力を貸して欲しい。高橋さん、田中さん、事業を諦めないで欲しい」
 半沢は正座に座り直し、畳に頭を擦りつけた。

「半沢さん、止めてください。半沢さんが頭を下げる必要はないですよ」
「そうです、半沢さん、顔を上げてください」
皆が半沢の周囲に集まり、半沢を揺さぶり、顔を上げさせようとした。半沢の大きな体が揺れ、小刻みに震えていたが、半沢は顔を上げようとしなかった。

「半沢さん、飲みましょうか」
いつの間にか、郷田と高橋が、手に一升瓶とコップを抱えていた。郷田が
「半沢さん、皆に想いは伝わったから。気持ちは一つだ、一旦話は終わりにして、とりあえず、皆で飲もうじゃないか」
桜井が続いた。
「この前の円卓の騎士の歌、今度は日本語で歌いませんか。私、日本語訳をコピーしてきました」
一旦自席に戻ると、日本語の歌詞が書かれたコピー用紙を皆に配った。

【円卓の騎士たちよ】
円卓の騎士たちよ、
酒がうまいか、飲んでみよう。
飲んでみよう、ウィ、ウィ、ウィ、
飲んでみよう、ノン、ノン、ノン、
酒がうまいか、飲んでみよう。

「この歌、円卓の騎士っていうより、ただの酒飲み音頭じゃないか」
郷田の言葉に、皆が笑った。
「皆さん、丸くなって座りましょう」
渡部が皆に声を掛けると、七人は車座となり杯を掲げた後、手拍子を始めた。
「半沢さん、歌いましょう」
田中の声に半沢が応える。

円卓の騎士たちよ、
酒がうまいか、飲んでみよう。
飲んでみよう、ウィ、ウィ、ウィ、
飲んでみよう、ノン、ノン、ノン、
酒がうまいか、飲んでみよう。

七人の歌声と心が一つとなり、夜は更けていった。

第九章 田中の宝くじ

 出勤前に妻に言われた言葉が、高橋の心を重くしていた。
「顔色悪いわよ。体調悪いんじゃないの」
体調は悪く無いと思う。ただ、妖精美術館の展示品について、何の打開策も浮かばないことが気持ちを重くしていた。若者定住会議は半沢のおかげで乗り切れたが、事態は全く好転していない。破綻へのレールは引かれたままだった。
 出勤してきた田中は、ケロっとしていた。こういうところが若者の特権ということなのかと、羨ましく感じた。
「高橋主任、朝から何ですが、妖精美術館の展示品の件で相談して良いですか。先週の会議では言えませんでしたが、相談させていただきたいことがあります」
田中が小声で高橋に話しかける。
「何か、良いアイディアが浮かんだのか」
「浮かんだというか、前からぼんやり考えていたんです。稲村久美子先生からコレクションをお譲りいただけないかと」
「妖精界入門の稲村先生か。まさか、コネがあるのか」
「特にコネは無いんですが、妖精界入門を読んでから、何通かファンレターを出しています」
「それだけのお付き合い?」
「それだけのお付き合いです」
「かなり無理筋だな」
「かなり無理筋です」
「しかし」
「買わない宝くじは当選しない」
「だな」
「詳細は伝えていませんが、既に先生宛てに「相談したいことがあるので、一度訪問したい」旨のお手紙を出していまして、大学を訪問することについて内諾をいただきました。
六月十日以降で、日程調整をしたいとのことです。高橋主任一緒に行っていただけないですか」
「行かない、行きたくないなんて言える訳がないだろう。とは言え、二十一日(金)までは六月議会があるから動けないな。最短で行くとしたら、六月二十二日(土)だな」
「休日ですけど、よろしいんですか」
「この業務が最優先で、最重要課題だからな。失敗するにしても、早めに失敗して切り替えていく方がいいだろう。休日の方が他の業務との調整も無いし、往復の時間も気にしなくていいから、行きやすい」
「じゃぁ、電話してみます」
 田中の行動は早い。
「六月二十二日(土)の午後一時半で、満開を約束していただけました」
「しかし、こんな簡単に会って貰えるなんて、田中さんは、どんなファンレターを送ったんだ。こっちに都合が良い展開過ぎて不安になるな」
「何も特別なことは書いてないと思うんですが、確かにちょっと不思議ですね」
「キメ顔した田中さんの写真でも送ったとか」
「そんなのは送ってないですけど、銀山町の風景写真は何枚か送りました。「妖精が住んでいそうな自然豊かな町です」って」
「しかし、稲村先生に面会申し込みするなんて、俺は聞いていなかった気がするが、課長には相談していたのか」
「いえ、誰にも相談せず、一ファンと申しますか、一個人として行動していました。個人で行動する分には、トラブったとしても、高橋主任や課長に迷惑をかけずに済みますからね」
「田中さん、あまり格好つけるなよ(お前が居てくれて良かった)」
笑いながら田中の頭をくしゃくしゃと撫でた。

第十章 宇都宮大学

 入口のすぐのところにある事務室で、受付に出た女性に来訪の旨を告げると、受付票に所属や名前の記入を求められ、案内が来るまでそのまま待つように指示された。
「いい大人なんだから、場所を教えてもらえれば行けると思うんですけどね」
田中が小声で呟いたが、高橋は何も答えなかった。程なくして、細身で紙が腰まである女性が二人に近づいてきた。学生にしては落ち着いて見えた。
「銀山町役場の高橋さんでよろしいでしょうか。須藤です、先生の研究のお手伝いをしています。ご案内いたしますので、ついてきていただけますか」
愛想は良くないらしく、無表情のまま高橋に告げ返事を聞かずに踵を返した。田中のことは眼中にないように見えた。二人は自分たちが「招かざる客」であることを意識させられた。
 スタスタと進む須藤を追うようにして校舎内を進むと、立派な扉の前で須藤は足を止めた。扉の上には「第一応接室」との文字が掲げられていた。扉が開かれると、正面の大きな窓から明るい陽が室内を照らしていた。来客用のソファはもちろん、絨毯が敷かれた床も周囲の調度品も落ち着きがあり品質が高いもので整えられているように見えた。
高橋は落ち着いた様子を見せていたが、田中は驚いた表情を隠せなかった。須藤は二人をソファに座るよう誘導し
「少しお待ちください。なお、遠くから来ていただいたのに申し訳ないですが、もし、先生が蒐集した資料等の譲渡を希望されるのでしたら、期待しないでお待ちください。先生はこれまで、宇都宮市長をはじめ、そのようなお話を全てお断りされています。ご期待に添えなくても先生を非難されないようにお願いします」
と声をかけて姿を消した。田中は小声で話しかけた。
「てっきり、ロビーか研究室とかで話をするのかと思っていたんですが、賓客待遇ですね」
「どんな意図があるのか、さっぱり解らないな。あの秘書みたいな女性は冷たいな」
二人とも狐につままれたような心境で、会話を止めた。
程なくして須藤がカップを四個準備して戻ってきたため、間もなく稲村が来るということが予想できた。須藤は紅茶を飲みながら待つよう告げて部屋を出たが、二人ともカップに口をつける気持ちにもなれず、重苦しい空気が二人を包んでいた。

入口から軽やかなノックの音が響き、
「大変、お待たせいたしました。稲村です」
と明るい声が続いた。二人は慌てて立ち上がり、声の主が正面に来るのを待った。小柄で短い髪をした稲村は、笑顔で語りかけた。
「遠いところをご足労いただき、ありがとうございます。あらためまして、宇都宮大学 文学部助教授の稲村です。高橋さん、お会いできて嬉しいです。田中さん、初めまして、お話できること楽しみにしていました。どうぞ、おかけください」
高橋と田中はそれぞれ名乗り、ソファに座り直した。稲村に促されて須藤も腰をかける。少し間をおいて高橋が口火を切った。
「稲村先生、お忙しい中お時間をいただき恐縮です。本日は相談というか不躾なお願いに参りました。当町では現在「妖精の住むふるさとづくり事業」を企画しており、その一環として「妖精美術館」の建設を検討しております。つきましては、先生が収蔵している妖精関連のコレクションをお譲りいただけないか、というお話をさせていただきたく参った次第です。誠に勝手なお願いですが、何とか御検討いただけないでしょうか」
高橋と田中の体を油っぽい冷たい汗が這う。
須藤の表情が険しくなる。田中は(美人はどんな顔しても美人だな)と場違いなことを心に浮かべた。稲村は紅茶を一口飲むと、静かにカップを置いた。
「検討も何も、結論は出してあります」
何故か須藤は勝ち誇った表情を浮かべ、高橋と田中の顔からは血の気が引いた。まさか、交渉の余地が全く無いとは考えていなかった。
「妖精美術館について、全面的に協力します。詳細については、あらためて相談させていただくとして、結論を先にお応えしますね」
話し終わるや否や、二人の声が響いた。
「先生、本当ですか」
「先生、本当ですか」
田中と須藤が同じ言葉を発したが、表情は歓喜と憤怒で真逆だった。
「先生はこれまで、誰にもコレクションを譲らなかったのに。どうしてこの方々に」
須藤の目がキッと吊り上がっていた。
「人生は一つの舞台、人は皆役者。いろいろな役を演じるの。だから、若き勇者アーサーを助ける魔法使いマーリンを演じようかなって」
稲村は須藤に幼児のような無邪気な笑みを返したが、須藤の顔は険しいままだった。稲村は田中に向き直り尋ねた。
「田中さん、妖精はどうして人間の前に姿を現すのかしらね」
「人間と仲良くしたいからじゃないでしょうか」
「田中さんは妖精と仲良くしてくれるかしら」
「はい、妖精の住むふるさと銀山町で、妖精も含めた住民の皆さんと仲良く、街をよくしたいです」
「素敵な答えをありがとう。妖精の皆さんも同じ気持ちみたい。田中さんや高橋さんと仲良く暮らしたいと願っているの。だから、私がコレクションを譲るというより、妖精たちが銀山町に移住したいと考えていると思うの。
田中さん、もう一つ質問していい。フェアリーギフトって御存じかしら」
「妖精からの贈り物ですね、葉っぱが金貨に変わったり、お水がお酒になったり。先生の本で読みました」
「ありがとう。これまでもね、私のコレクションを譲って欲しいって方は何人もいましたけど、投機目的だったり、個人のコレクションにしようとしたりする人ばかり。宇都宮市長からも、人気集め、次の市長戦に向けた票目当てのような印象を受けたわ。
 田中さんのように妖精のことを学び、妖精を感じようとして、本の感想や素敵な写真を贈ってくださった方は、そんなにいなかったの。
 田中さんの手紙から「妖精と仲良くしたい」という思いが伝わり、妖精たちも田中さんたちと仲良くしたいみたいだから、フェアリーギフトとして受け取って欲しいの」
 静かな口調なのに、異論を挟む余地を感じさせないような揺るぎなさが三人に伝わった。高橋が言いにくそうに声を絞りだした。
「た、大変、ありがたいお言葉をありがとうございます。とても嬉しいですし、田中も報われます。ただ、大変さもしいお話で心苦しいのですが、コレクションをお譲りいただけるとして予算はいか程見ておけばよいでしょうか。概算で構いませんので上限額を教えていただければ、助かります」
稲村は大げさに目を丸くして、驚いた表情を見せた。
「お役所ですから予算は大事なところですよね。もちろん予算も決めていますわ。上限も下限も0円、無償。それがお譲りするための条件です」
田中と須藤の声が重なる。
「先生、いくら何でもそれは」
「先生、いくら何でもそれは」
 二人は顔を見合わせたが、稲村は素知らぬ様子で
「だって今は私がお預かりしているけど、先輩や友人からの善意、無償で贈られた物も多いですもの。それを元に私がお金をいただいたら変でしょう。妖精たちに叱られちゃうわ。
 それに、私が購入したものも、御先祖様が遺してくださった資産の運用益を使わせていただいたものばかり。御先祖様への感謝をお金にしたくないの。
いずれは、宇都宮生まれ宇都宮育ちの住民として、宇都宮市にもコレクションを寄贈するつもりですけど、その時も無償で寄付するつもりよ」
須藤の表情は険しいままである。
「それが先生の御意思ならと仕方ないですが、けど、先生、本当に良いんですか。私は、先生に御意見できるような立場ではありませんが、納得できないというか、釈然としないというのが正直な気持ちです」
須藤の意見に田中も同意する。
「稲村先生、俺も正直、納得できないです。先ほど褒めていただいたことは泣きたいくらい嬉しいですし、心から感謝します。けど、自分がそれほどのことをしたとは思えないです」
稲村は静かに息を吐いた。
「もう、二人してあまりイジメないでちょうだい。あのね、これからする話は、もしかしたら物語として書くかもしれないから、絶対内緒にしてね。私の中にある「妖精の話」を一度だけ話すわね」
 稲村は立ち上がり、三人に慈しむような微笑を見せた。
「むかし、戦後から少し過ぎて、今よりも日本がもっと貧しかった頃、宇都宮に「ちーちゃん」という女の子がいたの。
ちーちゃんは、ちょっと瞳の色が薄かったんだけど、それが嫌で、長い前髪で隠していたの。もちろん、後ろの髪もとても長く伸ばしていたわ。
ちーちゃんが小学校2年生の時に、お母さんが重い病気で入院することになり、ちーちゃんはお母さんの田舎、祖父母の家に預けられました。
その田舎では、昔、沼の側に住む長い髪の女、正体は恐ろしい大蛇(おろち)が旅人を襲い喰らったという話が伝えられていて、村の女の子は皆短髪なのに、長い髪をしていたちーちゃん。そしの上、ちーちゃんは田舎の方言が解からないから、皆と話ができずに黙っていたから、周囲の子どもたちは気持ち悪かったんでしょうね。
 ガキ大将たちからイジメられるようになってしまったの。イジメられても、ママに合える日を楽しみに学校に通っていたのに、参観日には来てくれる約束をしていたママが、来られないという話になってしまい、ちーちゃんは
「参観日には来てくれると信じていたのに、来ないなんて。ママの嘘つき、ママの嘘つき。病気が治ったら迎えに来てくれる、一緒に暮らせるって話も嘘かもしれない。私は捨てられたのね。もう、ママにもパパにも一生会えないのかも。それなら、もう、生きていてもしょうがない。死んだ方がいい」
と考えてしまいました。
「死んで、お化けになって、いじめっ子に復讐したい」
どうせなら、綺麗な美しい湖で死にたいと考えたちーちゃんは、夜中にお爺さんの家を抜け出して、近くの湖に向かったの。死ぬ覚悟をしていたから夜道も怖いとは感じなかったのね。
 ほどなくして湖のほとりに着き、靴を脱いで湖の水に足を踏み入れたら、あまりの冷たさに吃驚して上を見上げたの。そしたら大きな満月が天上から湖を照らしていて、湖に金色とも銀色にも輝くリフレインがとっても美しくて、あまりの美しさに感動して涙を零しました。そしたら、キラキラたちが、とても優しい声でちーちゃんに囁いてきたの。
「泣かないで」
「死んだりしたらだめ」
「ちゃんと生きないと、妖精界には来られないのよ。一緒に遊べないの」
「今夜は耐えて。明けない夜はないから」
「いつか、一緒に遊びましょう、楽しく踊りましょう」
泣き止んだちーちゃんは、何をしに湖に来たかを忘れてキラキラを見つめていたの。そしたら、キラキラの中に緑色や桃色、色とりどりの可愛い服を着た妖精たちの姿が見えてきたの。
妖精たちは皆、ちーちゃんを励ますように、微笑ながらダンスを魅せてくれたわ。
そして、月が雲に隠れてキラキラが消えた時に、妖精たちの姿も消えたの。ちーちゃんは
「妖精さん、またね」
と呟いて、明日を信じて湖に背を向けて家に帰ったの。

 次の日、もしかしたらママが参観日に来てくれるかもという淡い期待は外れて、お爺ちゃんとお婆ちゃんだけが授業を見にきた。
 授業が終わり「何変わらない」って、がっかりしたちーちゃんが悲しい気持ちでいたところに、ガキ大将たちが囃子たててきたの。
「お前んち、やっぱりパパもママも来なかったな。
父無し 母無し お化けの子 変な目をした 変な言葉の大蛇の子。沼に帰れ、宮に帰れ」
いつもなら学校の帰り道とか、一目につかないところでイジメていたのに、参観日で早く帰れることもあり、少し興奮していたのね。ちーちゃんは、ショックで声も出せず、立ち上がることもできず、机に顔を伏せることしかできなかったわ。
その時、別な男の子の声が響いたの。
「両親が来られなくて何が悪い。目や言葉が違って何が悪い。何も悪いことなんかない。なのにイジメるなんて、お前ら何しとんだぁ。恥ずかしくないのか」
言われたガキ大将たちが、怒って言い返す声も響いたけど、段々ガキ大将たちの声が小さくなってきて、教室から逃げるように帰ったことが伝わってきたわ。その後、庇ってくれた男の子も帰る気配がして、教室は静かになったの。
 その日から、ちーちゃんへのイジメは無くなり、他の女の子たちとも仲良くなれたの。ちーちゃんママの病気もどんどん良くなり、二学期の途中でちーちゃんは元の学校、元の暮らしに戻ることができました。

 夏の夜、妖精たちの囁きを聞いて、妖精たちの姿を見てからちーちゃんの世界は光を取り戻したの。そして、それからずっと考えているの。
『もしかしたら、あの夜に自分は一度死んだのかもしれない。妖精たちが一度だけ生き返らせてくれて、次の日に男の子の姿を借りて自分を助けてくれたのかもしれない』
ちーちゃんは、いつか妖精たちに御礼が言えるように、周りの誰よりも妖精のことを知りたいと考え、妖精の本をたくさん読むようになり、大人になり妖精の研究者になりました。
 ただ、妖精と、イジメから自分を庇ってくれた男の子に、ちゃんと御礼が言えずに転校してしまったことは、ずっと心の棘として刺さったままでした。
 おしまい。

このお話は、いつか物語として書くかもしれないから誰にも言わないでね。ここだけのお話。ねぇ田中さん、もしこんなフェアリーテイル、おとぎ話の主人公のちーちゃんが、大人になって、自分を助けてくれた男の子と再会できたとしたら、どうするかしら」
「感謝の気持ちを伝え、御礼をしたいと思うんじゃないでしょうか。妖精の恩返しですね」
「妖精の恩返しは、恩を受けた方に何倍にもして返すものよね。そう、できる限りのことをしたいと思うじゃないかしら。
ちーちゃんは、自分を救ってくれた妖精と男の子にいつか恩返しがしたい。と思いながら、妖精の研究を続けていたの。そしたら、ある日、妖精が住んでいる綺麗な湖の写真が贈られてきて、子どもの頃のちーちゃんが妖精を見た日と同じ、六月二十二日という夜が一番短い日に、男の子を連れてきてくれたの。
とっても都合が良い展開だけど、おとぎ話だから笑って赦してくださいね。けど、夏至は夏の夜の夢の舞台となる日ですもの。どんな不思議なことが起きても不思議じゃないわ。
 高橋さん、来ていただき本当にありがとうございます。ずっと言いたかったの、心から感謝しています。どうか、私のコレクションを銀山町のために使ってください」
 稲村は静かな微笑を浮かべ、須藤と田中の表情は固まってしまっていた。高橋がブルっと体を動かしてから口を開いた。
「先生のお話に、茶々を入れるつもりはないんですが、その男の子は、ちーちゃんを庇ったとかじゃなくて、母子家庭か何かで、母親は仕事が休めず授業参観に来てくれなくて、その口惜しさとか寂しさから、ガキ大将に言い返したんじゃないですかね。自分のために怒っただけなら、ちーちゃんが感謝する話じゃない気もします」
 稲村は菩薩のような微笑を浮かべながら応えた。
「高橋さんはリアリストなのね。その男の子の本心は解からないけど、ちーちゃんの中では
妖精たちが一度だけ生き返らせてくれた、男の子の姿を借りて自分を助けてくれた。と考えているの。それがが、このフェアリーテイルにあるtruth story。
 そして、妖精の恩返しは恩を受けた方に何倍にもして返すものなの。
 もう一回言いますけど、このお話は、いつか物語として書くかもしれないから、誰にも言わないでね。ここだけの内緒話。長話をごめんなさい、お茶が冷めてしまったわね。須藤さん、煎れなおしてくれるかしら」
須藤が静かにカップを集め、部屋の外に出た。
高橋は下を向いたまま、ハンカチで目元を拭うと顔を上げて稲村に確認した。
「稲村先生が町に協力していただく理由として、田中が送った写真を見て「この町に妖精が住んでいる」と感じ、コレクションを銀山町で保管・展示したいと考えた。くらいのお話は公表してもよろしいでしょうか。先生のお話とも、妖精が住むふるさとというコンセプトにも合いますので」
「高橋さんは本当にリアリストなのねぇ。そのように公表していただいて構いませんことよ。ただ、今頃のお話で恐縮ですけど、実は私のコレクションは、ほとんどが整理されてないの。今年から須藤さんにリスト化と整理をお願いしているけど、少し時間がかかりそうなので、銀山町さんにお譲りする品のリストアップは、少しお時間をいただけるかしら。作業の進捗状況は、須藤さんを通じて適宜報告させていたくわ」
「それは、もちろん大丈夫です。その他、諸々の事務が出るかもしれませんが、先生の負担が小さくなるように取組みます」
高橋が請負い、田中が続く
「稲村先生、週末だけにはなるとは思いますが、俺にもコレクションの整理を手伝わせてください。先生の御好意に比べたら、微々たるものですが、少しでも恩返ししたいです」
 応接室の扉が開き、須藤が静かに入室してきた。
「そうねぇ、田中さんにも整理を手伝っていただこうかしら。重い物もあるから、須藤さんだけじゃ心配だったの。来れる時だけでもいいから、お手伝いしていただけると助かるわ。お譲りするコレクションの実物も見ていただくことができるから良いかもしれないわね」
「やります、やらせていただきます。喜んで」
須藤は自分も関係する話と気づかないまま、静かに紅茶をテーブルに置いた。

初夏の午後、柔らかな陽射しが外から入り込んでいた。

第十一章 銀山町役場 

 週明けの月曜日、高橋からの報告を受けた飯田は目を真ん丸にして驚いた。
「本当に、稲村先生のコレクションを無償で寄付してくださるのか。何か裏があるんじゃないか。館長として就任したいとか、施設名に名前を入れて欲しいとか。その辺りの条件提示はどうだった」
「今後、詳細を詰める中で、何かしらの条件を提示される可能性は否定できませんが、土曜日の感触としては、全くの善意で条件無しでした。田中が送っていた町の風景写真をご覧になり、非常に気にいっていただけたようです。
『ここは妖精が住む場所ね、妖精術館に相応しい』というお話もいただきました」
「本当に、無償で無条件なんだな、その旨を町長に報告しても大丈夫だな」
「はい、ただ……」
「なんだ、やはり条件があるのか」
「いえ、蒐集品の整理がついていないということで、田中が整理やリストアップの手伝いをするという話をこちらから申し出ました」
「そうなのか、田中君」
「はい、実物を見せていただく方が美術館の展示などにも役立つと思いました」
「それは、そうだな。是非、稲村先生のお役に立ち、我が町に貢献して欲しい。では、なるべく早く町長に報告しよう」

報告を聞いた長谷川町長は、書くまでもなく大喜びした。
 飯田は「私が写真を送るよう指示しました」と胸を張りながら、収蔵品の経費が浮く分、建築費に予算をかけられることを示唆した。
 町長から「妖精の住むふるさと事業」について「広報ぎんやま」で特集記事を組み、今後の展望を町民に周知するようにとの指示がでた。
飯田は(長谷川建設が無理なく工期や人員について、無理をせずに工事を受注できるよう)ハード面については段階的に整備したい旨を提案し、町長を喜ばせた。

 こうして、「妖精美術館建設」を中心とした「妖精の住むふるさと事業」は、怒涛のごとき公共事業として進められることになった。
 なお、田中が稲村コレクションの整理を手伝うことについて、飯田と高橋は公務で行うようにと田中を説得したが、
「それでは、稲村先生への恩返しにならないので、個人として、ボランティアとして行かせてください」
と、田中が譲らなかった。

第十二章 銀山湖

 平成四年七月 妖精美術館の建設予定地を高橋と田中は訪れていた。普段は静かな銀山湖の湖畔で、大型の重機が縦横に動く造成工事が行われていた。
 遠目に施工管理をしている渡部の姿が確認できた。
「来年には、ここに妖精美術館が建っているんだなぁ。稲村先生から寄付していただけるコレクションのリスト化も終えたようだし、田中さん、本当に世話になった」
「自分で言うのもアレですけど、凄い仕事でしたね。濃い一年でした」
「この事業のために転職を一年延ばして貰ったけど、もう、転職に向けた就職活動は進めているのか」
田中は屈託の無い笑顔で答えた。
「転職は、もう決めました」
高橋の顔が見る見る曇った。
「田中さんの人生だから、その選択に俺は何も口を挟めない。が、一度だけ正直に言わせて貰えば、目の前が暗くなるくらいガッカリしている。しかし、人生の先輩としては、田中さんの前途を祝いたいし、その選択を応援する。目標としていた財閥系商社に採用されたのか」
水に落ちた犬のような目をした高橋と対照的に田中はニコニコしていた。
「高橋主任でも読み違えることあるんですねぇ」
「どういう意味だ」
「転職は、しないことをもう決めました」
「え、え、え、お前、本気か」
「本気ですよ。こんな面白い事業が担当できるのに辞める必要無いじゃないですか。「世界を相手に仕事」というイメージで財閥系商社を希望していましたけど、今は虚しいです。
 変な話だと思うかもしれないですけど、俺、この町に来るまでちゃんと自分で生きていなかった気がするんです。田中家の次男として、何の苦労も知らず、親や先生の言うとおり良い子で勉強して、親に言われるまま、高校と大学に行って、大卒無職じゃ格好悪いから、親父に言われるまま銀山町職員になった。という人形みたいな存在でした。
自分の足で歩こうとしない、歩くことができない空っぽな人形です。ところが、銀山町職員になったら「考えまくり 動きまくり」ですよ。世界どころか「異世界・妖精界」とも交流するなんて、おもしろ過ぎです。
 銀山町職員が俺の天職だと、今、感じています。だから転職しないことを決めました。高橋さんだって、俺がいないと困るでしょう。正直に言ってくださいよ。きびだんが無くてもお供しますよ。それに……」
「それに何だ」
田中は眉を中央に寄せて、困った表情になった。
「いつか、ちゃんと話します。今はまだ言わないでおきます」
「何だよ、俺にも言えないことって」
不満そうな高橋の視線を外して、輝く銀山湖に目を向けて、先月、須藤が初めて銀山町に来て、二人で湖畔を歩いた時のことを思い出していた。

「「妖精美術館」の現場も確認できたし、コレクションの整理もほぼ終えたし、もう心残りはないわ。田中さん一年間お手伝いいただきありがとうございます」
「こちらこそ、大変お世話になりました。須藤さんがいなければ、展示品の整理が終わらず、スケジュールが破綻していたかもです。院は二年ですよね、就活は順調ですか」
「言いにくいことをサラっと聞いてくるのね。就活は今のところ全滅よ。文学部はもともと就職には不利だけど、院で年は嵩んでいるし、就職氷河期だし。まぁ就職できなければ、実家に戻りバイトしながら妖精の研究を続けるのも有りね。インターネットを使えば、どこに居てもメールでやり取りできるから、実家に戻っても稲村先生に相談できるし」
「実家はどちらか聞いても良いですか」
「関西の小さな町。田中さんは知らないと思うけど、未だに部落差別が残る旧態依然としたところ。私も差別を受ける側だったから、妖精に心を寄せたのかもしれないわ」
「関西となると、遠いですね」
「宇都宮市からも、銀山町からも遠いから、ここに来るのは、多分最初で最後になるわね。完成した美術館を観覧したい気持ちもあったけど、来年の話となるとお金が無いから叶わぬ夢ね。就職できず実家でアルバイトでは、生活するだけでも厳しそうだから」
「あの、こんな話は失礼かもですが、来年度に向けて妖精美術館の学芸員となる職員を町職員として募集する予定です。給料が安いので、須藤さんにお声をかけるのは躊躇いがありましたが、後で募集要項を送付しても良いですか」
「本当に、そんな話があるの」
「本当です」
「私が合格するとは限らないけど、魅力的な話ね。妖精の研究も続けられるかしら」
「インターネットを使えばメールでやり取りできますし、宇都宮の稲村先生のところに行く時は、僕が車で送ります。道は覚えましたから安心してください。是非学芸員を受験してください。須藤さんのような専門家に来ていただけたら、町としても有難いです」
「けど、宇都宮から長い髪の女の子が来たら、イジメられるって話を聞いたことがあるから、悩ましいわ」
「そんなこと、絶対にさせません。俺が、俺が守ります」
「本気?」
「本気です。もし、学芸員に落ちたとしても、須藤さんに銀山町に来て欲しいです。何があっても、俺が須藤さんを守ります」
「知っていると思うけど、私は可愛げが無いわよ」
「妖精を、夢を追い続ける須藤さんが大好きです」
「本当に、本気で言っているの」
「妖精の名にかけて、本当に、本気です」
空は青く澄み渡り、天は二人に微笑むような柔らかな光を降り注いだ。

 田中は思い出から現実に戻り、須藤が銀山町に来ることが決定したら、高橋に報告・相談しようと、銀山湖を見ながら考えた。

第十三章 銀山町 妖精綺譚

 平成五年六月十八日 福島県大沼郡銀山町に、日本で初めてとなる妖精をテーマにした美術館が開館した。
 開館式では稲村久美子名誉館長(宇都宮大教授)のトークショーが花を添えた。
 開館式の進行が一段落ついたところで、高橋が田中に尋ねた。
「皆は、気づいていないようだが、正面入口の上にある看板、当初の設計と違うよな。いつ仕様を変更した」
「あれ、変わっていましたか。気づきませんでした」
「妖精美術館の文字の上に、「稲村久美子」との文字がある。まるで稲村先生の美術館みたいだ」
「本当ですね、そんな仕様じゃなかったですよね。「妖精美術館」とだけ表示するはずでした。もしかしたら、悪戯好きの妖精がやったのかもしれないですね」
田中はしれっとした顔をしながら答えた。
「妖精の仕事なら、叱ることも変更するのも無理か。開館してしまったし、今更修正もできないな」
高橋は、正面の扉で煌く「稲村久美子 妖精博物館」という文字を再び見上げた。
「退職した、前課長の指示ということにさせていただくか」
「責任は俺がとる、と何度も仰っていましたからね」
二人の会話を知らず飯田社会福祉協議会 会長は来賓席で満面の笑みを浮かべていた。

 同月二十六日、妖精美術館の集会室で、半沢とジェニファーの結婚式が挙行された。媒酌人は郷田夫妻が務めた。反町長派と町長派の中堅が笑顔で並ぶ姿は、銀山町の新しい姿を示しているようだった。
 秋に行われた町長選挙で、長谷川町長は三回目の選挙戦を制した。金山町の歴史上、三期目を迎えた初の町長となった。

 翌年以降も町役場はもちろん、住民たちも町の活性化、交流人口や定住人口の増加に向けて様々な取り組みを実施した。
 フェアリースキー場の開設(民間事業者が撤退したスキー場の公営化)。
 映画やドラマのロケ地を誘致するフィルムコミッション。
 只見線の景観を生かした「世界一ロマンチックな鉄道」の情報発信。
 ゆるキャラ「マス姫」の制作。
先進国首脳会議に銀山町産天然炭酸水「フェアリーウォーター」の提供。
道の駅ぎんやまの開所。
豪雨災害で甚大な被害を受けた只見線の復活。
台湾へのプロモーション、モニターツアー。
いくつかの事業は、株式会社ライトスタッフが企画を受託した。
 奮闘空しく、銀山町は福島県として初めての「限界自治体」(高齢化率が50%を超えた自治体)となり、その後も人口減少、高齢化を止めることはできなかった。

皆は懸命に生きた。
稲村は妖精界の実地調査へ向かい、その四年後、宇都宮市の中心市街地に「フェアリーミュージアム」が開館した。
ジェニファーは英会話教室を開くとともに、公民館などの講師として活動した。町に英語圏のお客様が来た時は通訳としても活躍した。
須藤は妖精研究を続け博士号を取得、会津大学の講師に就任した。
高橋は町役場を退職後、郷田と農産物などの特産品を開発販売する企業を創業した。
漫画家の水本先生が大黒屋に逗留し「ここは河童が多いですなぁ」と語り、河童の水彩画を残していった。

 そして時代は平成から令和へ移った。 

 令和六年四月、田中は企画課長への異動辞令を受領した。
(多分、これが最後の辞令かな。企画課で始まり企画課で終わるというのも、少し不思議な気がする)
 新規採用時、飯田課長、高橋主任、宗像係長などと汗をかいた日を遠く感じた(あの頃を知る者は、銀山町役場には俺しかいないのか)。
 町長室から執務室に戻ると、商工観光課の若手職員、片山が話かけてきた。
「田中課長、郡山市の福島太郎さんという方から、『「妖精の住むふるさと事業」が始まった時の話を教えて欲しい』というメールが届いたんです。公文書は残ってないので、正式な回答はできないのですが、全くのゼロ回答もどうかと考え、課長に相談したら、田中課長に相談するよう指示されまして、いかがいだしましょう」
片山が手にしていた紙を受け取った。
『福島県郡山市に住む者ですが、趣味で小説などの執筆活動をしており福島太郎(ペンネーム)で活動しています。銀山町における「妖精の住むふるさと事業」や「妖精美術館」がどのような経緯で始まったのか教えていただきたくメールしました。
 公文書などの資料は保管期間を過ぎていると思いますので、当時のことをご存知の方からお話をお聞きできればと考えております』
文面を確認した田中は、後ろにある窓から、妖精美術館の方向を見上げた。
(稲村先生は「他の人には内緒」って仰いましたが、この福島太郎さんに伝えても良いでしょうか。「妖精の住むふるさと事業」のはじまりの物語、純真な女の子と妖精との出会いから始まる、銀山町の人たちや妖精研究家と役場職員の物語。
銀山町で生まれた不思議な妖精奇譚(フェアリーテイル)、俺の中にあるtruth story。

「お気に召すまま」
田中の胸に、愛らしく微笑む稲村の顔が浮かんだ。

 時代が変わり、人が変わろうとも「稲村久美子 妖精美術館」の看板を掲げた美術館は、銀山湖のほとりに、稲村の魂と妖精とともに永遠に在り続けるだろう。

(おしまい)



サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。