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公タマ伝 2nd #22 地域活動者への感謝

 1995年1月に発生したの「阪神・淡路大震災」を契機として、「ボランティア」という言葉が日本中に広まったと記憶しています。
 1月17日が「防災とボランティアの日」とされているのは、そのような要因があります。

 しかし、地域社会においては、それ以前から「奉仕活動」もありましたし、様々な団体や個人の方々が、公共福祉のために活動をされています。正直に申し上げれば、地域で奉仕活動をされている方々がいなければ、地方行政は、ほぼ成り立たなくなります。
 少しいやらしい表現になりますが、地域活動を担う方々がいることで、非常に安いコストで行政運営が可能となっています。この場を借りて、あらためて感謝申し上げます。

 正式な名称はさておき、町内会を始め、民生委員や社会福祉協議会、消防団や自主防災組織、防犯・交通安全、統計、教育、環境整備、害獣駆除、観光・物産振興、人権、選挙活動など、福祉、防災、生活環境、商工観光など、ありとあらゆる分野において、地域活動を実践する団体や人々に地方行政は支えられています。
 また、このような団体のいくつかは「役所が事務局」となり、事務的な支援をしていることがありますが、共生と認識するか共依存と捉えるかは、少し難しいところです。

 近年、これの組織・団体の多くが、後継者不足に陥っているような印象があります。担い手が不足しているのです。「地域社会における人間関係の希薄化」という言葉で称されることもありますが「お金にもならない仕事(務め)に費やす余裕がない」「仕事をさせるなら、見合うだけの報酬が必要」ということが背景にあると感じています。
 個人の権利意識と公共の福祉とのバランスについて、近年は個人の権利の方に傾いている感じです。至極ごもっともな話です。
 しかし、「見合うだけの報酬」はなかなか制度化されません。無い袖は振れないということなのかもしれませんが、ここでも「悪い前例踏襲主義」が、前例以上に報酬を支出することに対する壁となっているような気がします。
 
 このままでは、これまでの「地域活動」の仕組みが崩壊してしまうことが懸念されます。

 その後は、高コストをかけて、新しい制度を構築するか、業務継続の有無について見直しをせざるを得ないことになると考えています。
 行政は活動を維持することと並行して、次の担い手を育てる人材育成を実施すべきだったと思うのですが、時既に遅しとなってしまいました。
 また、担い手の発掘を地域ではなく、民間事業者の協力に求めるような動きもありますが、前途多難なようです。

 時代の趨勢を踏まえれば、「奉仕」・「ボランティア」を前面にするのではなく、
1 これまでの仕組みを維持するのであれば、報酬増
  (ただし、奉仕に誇りを持っている方々からの反発を覚悟)
2 「業務」として発注する(必要なコストをかける)
3 「スクラップ」する
の三択にしか浮かばないのですが、どの選択をしても困難が伴います。

 平成以後の地域社会、地方行政はどのように進むべきなのでしょうか。

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