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【連載小説】企業のお医者さん 第4話 #創作大賞2024

4 運命
 昭和29年5月二度にわたる胸郭成形術が行われた。肋骨を7本切除するとともに、肺剥離を十分に加えて、病巣を委縮させると同時に病巣に通じる気管支を閉鎖して、病巣を治癒の方向へ進ませるものである。
 手術は成功し、久志は脅かされていた死の影から一旦解放されることになる。しかし同時に呼吸不全を始めとした後遺症のリハビリ、大学や社会への復帰、公認会計士の資格取得を目指すという、困難な道へ足を踏み出すことでもあった。
 
 昭和30年3月、大学の同級生たちは卒業し社会人への道を歩み出したが、久志は未だに退院できず、リハビリの毎日を忸怩たる思いで過ごしていた。浅い呼吸しかできず何をしても疲れやすく、集中力が続かない状況だったが、休むことなく倦むことなくリハビリを続け、心と体を前へ進めさせた。
 退院してどのように生きていくか希望は見つからないものの、歩みを止めるという選択肢はなかった。
 昭和31年3月 目標としていた公認会計士の一次試験に合格した。その後のリハビリを乗り越え万全とは言えないものの退院、自宅療養を経て昭和32年4月に東北大学への復学を果たした。
 健康面を心配し大学中退を勧める者もいたが、大学進学を応援し闘病生活を支えてくれた家族のためにも、大学卒業という結果を残したいという強い意志があった。

 復学した大学生活は順風とは言えないものだった。他の学生との年齢ギャップ、結核罹患を原因とする嫌悪の目、小さな肺を要因とする呼吸不全・倦怠感に悩まされた。それでも久志は揺るがず必要な単位を取得した。
 四学年となり周囲の学生は続々と内定を獲得していた。久志も公認会計士二次試験突破を目指しつつ、自立への希望を抱き企業等への就職活動を行ったが1件の内定も得ることができなかった。学業成績は優秀だったことを考えると、年齢と病歴が足かせになったのだと思われる。卒業は確定したが就職先が決まらないという失意の中、昭和34年の正月 清水台の実家へと帰省していた。明日はまた仙台に戻らなければならない、何の希望もないままに。

 長男を除いた兄姉が自立し、久志が大学に復学したことで空いた山部家の部屋には、行儀見習いとして住み込み家政婦が入居していた。郡山市の西にある湖南町出身の登美子である。湖南町の裕福な農家の娘として生まれ、当時の湖南町では数年に1人しかいない会津女高等学校を卒業した才女だった。
 登美子の両親は地元の農家ではなく、郡山市街の裕福な商家との縁が結ばれるよう、市街地にある山部家に行儀見習いとして奉公させることにしたのである。
 久志の母トキ子の産婆としての実績と人格の話は遠い湖南町にも届いていており、山部家で行儀見習いをさせたいと登美子の実家からの希望だった。

 お茶を煎れてくれた登美子に聞くとは無しに久志は声をかけた。
「良いご縁はありましたか」
「いえ全くです。薹が立っていますし背も大きいですし。誰も選んでくれませんよ」
この時代の女性の20歳というのは、結婚適齢期として少し遅い。
(しまった、余計なことを聞くんじゃなかった)
久志の心に小さな後悔の気持ちが沸いた。同時に火山の噴火のような熱い想いが沸き上ってきた。

『オレハ コノヒトト イキテイキタイ』

 これまでも帰省する度に登美子を見る機会があった。その度に自覚しないまま恋心が募っていたのかもしれない。卒業後の進路も決まらない資格も取得できていない、絶望的な心境の中「自分に生きる意味はあるのか」と自問していた日々の重さが、唐突に久志の想いを発露させたのかもしれない。

「俺が働いていたら貴女を選ぶ。俺がちゃんとしていたら、貴女と生きていきたい」
軽々に迂闊なこと言うんじゃない。という冷静な気持ちは溢れる思いの強さと熱さにかき消された。

(この人は運命の女性。俺に生きる力、命を運んでくれる女性だ)

 26歳になり自立できていない自分は結婚を望めるような身分じゃないが、できることならば彼女とともに生きていきたい。想いが届くとは考えなかった。登美子と暮らすことは無いとしても、この胸にある生きたいという願いを持ち続けよう。暗い絶望の海で小さな光を見つけた想いだった。光を見つけた感謝の想いが言葉となり口から溢れていた。

「本当に、選んでくれますか」
登美子の言葉は予想しないものだった。
「もちろんです、冗談でそんなことを言う男に見えますか」
「見えません。そんな人ではないことも聞いています」
登美子は佇まいを直して正座した。

「不束者ではありますが、末永く、よろしくお願いいたします」

ゆっくりと額を畳に寄せた。
久志も慌てて正座をし、頭を下げ鼓動を早くしながら登美子に確認した。
「ちょっと待ってください、正気ですか。僕は仕事も無い、結核上がり、体が弱くまともな生活が出来ないような、ルンペンみたいな男です。そんな男と交際しようと言うのですか」
「はい、久志さんに選んでいただけるなんてとても幸せです」
 登美子は以前から久志に好意を抱いていた。ハッキリと口にはしていなかったが、幾つか話があった縁談を断っていた背景には、久志への淡い恋心があった。久志が大学を卒業して就職したら永遠に封印しようと考えていた想いだった。
 今、久志から恋心を告げられたことをとても幸せだと登美子は感じていた(私は久志さんと幸せになりたい)。

 運命と幸運、二人の想いが重なった。

「田舎の御両親は何というか反対されるでしょうね。無職で結核上がりの、どこの馬の骨とも知れない男なんて、無礼過ぎないだろうか」
登美子は菩薩のような微笑を久志に向けた。
「死病と言われた結核を克服したんですもの、怖いものなんかないでしょう。それに無職でも結核上がりでも、久志さんは久志さんですよね。私は久志さんと幸せになりたいし、久志さんとなら幸せになれると信じています」
遠くに感じていた光が、確かな暖かな灯として久志の傍にあった。こんな自分を受け入れてくれると言うのか。
「必ず公認会計士の資格を取得し、就職をして御両親に認めていただけるような人間になります。結婚を前提にして交際していただけますか」
「はい、喜んで」
 こうして交際0日で二人の間では婚約が整った。

 翌朝、仙台に向かう久志が郡山駅のホームから見た線路が輝いて見えたのは、朝日の力だけではなかった。命と希望の光で満たされているようだった。
(第4話 おわり)

第5話はこちらです。

第3話はこちらです。

第1話はこちらです。




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