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アル中が膵臓が爆発した写真を見せられて「一生お酒は飲まないでください」と言われた日

重症急性膵炎闘病記の第6回です。第5回はこちら↓

脳出血による意識障害という大ハプニングを巻き起こしたのに「何にも覚えてないのら」と茶目っ気たっぷりな患者のクズことたろちん。せっかくお水やゼリーを飲み食いさせてもらえるようになったばかりだというのに、先生から「そんなんならもうゼリーあげない!」とおあずけをくらってしまいさすがにぴえん超えてぱおんなのであった……。

呼吸器再装着でマジ凹み

ふざけた導入になってしまいましたが、脳出血後の1週間くらいは実際かなりナーバスになってました。ようやっと念願の飲食再開にたどり着いたと思ったタイミングでまたぶっ倒れてしまい、そのせいというわけではないんですが治療の事情でせっかく外れた呼吸器も再び装着することになってしまいました。3歩進んで3歩戻って無駄に歩いた分筋肉痛になった感じです。

「早くよくなって退院してアクエリアスを一気飲みしたい」という一心で長い入院生活を耐え忍んでいた自分にとって、ここまできてまた後退するというのは結構しんどかったです。人生ゲームだったらボードをひっくり返して箱にきれいにしまってメルカリに出品してるところですが、これはリアル人生なのでどうすることもできませんでした。そもそも人生どうすることもできなくて酒飲みまくってたから急性膵炎になったんですが。

わりと渾身の弱音でした

ちなみに「呼吸器」ってつけると楽になるイメージがありますが、自分の体感でいうとむしろ余計な障害物が挟まって呼吸がしづらいみたいな感覚がすごかったです。実際はないともっと苦しいだけなんですが、こまめに痰を吸引しないとすぐ詰まるしセキは死ぬほど出るし喉にずっと異物感があるし、もうイヤーーーーーッ!って叫んで衝動的に着の身着のまま電車に飛び乗り終点まで行き気が付いたら誰もいない海岸に座って夕焼けを見つめていた、みたいな気持ちにさせられました。「呼吸が不自由」ってそれくらいストレスだということです。

声を取り戻した第一声は「誕生日おめでとう」

そんな呼吸器大嫌いマンに急転直下の朗報が入ります。再装着から1週間ほど、あっさりまた外してくれました。そんなマンボNo.5のリズムで医療器具をつけたり外されたりしても困る、と思いましたが結果的にここから状態がまた上向いていくことになります。

もっと嬉しかったのが気道につけている管を「スピーチカニューレ」というものに交換してくれたことでした。自力で痰を吐き出せるようにならないとダメとか色々言われて先延ばしになってたんですが、要するに3カ月ぶりに声が出せるようになりました。それまで看護師に吐息語で「ハスハス(うんちが漏れました)」と言うことしかできなかった自分にとって、言葉でコミュニケーションが取れるようになるということは劇的な変化でした。うんち漏らして泣くだけだった赤ちゃんがうんちを漏らすおじいさんになったくらいの大きな進歩です。

初めて声が出せるようになったのが1月末。その日は妻との週1のZoom面会の日で、しかもちょうど妻の誕生日でした。いつもはZoomがつながっても手を振ったり変顔をするだけなんですが、その日は開口一番「お誕生日おめでとう」といきなり声を出すサプライズを仕掛けました。妻は「し、シャベッタアアアアアア!」と仰天しその場に卒倒、すると思ったんですが向こうも「おはよう」とかなんかしゃべったのと思いっきり被ったせいで「え?(今なんか言った?)」みたいな変な感じになりました。アンガールズだったらジャンガジャンガしてたと思います。でもすごい喜んでくれました。

そのスピーチカニューレも数日ですぐに外され、喉は完全にフリーな状態に戻りました。で、喉に開けた穴は「そのうち勝手に閉じるよ」と言われてたんですが、退院から2カ月以上経った今もまだちょっと穴あいてます。しゃべるとき声が引っかかる感じがあるなあと思ってたんですが、こないだうんちしてるときにいきんだら喉から「ピー」ってちっちゃいやかんみたいな音して空気が漏れました。まあピアスの穴が半年くらい塞がらない人もいるらしいしそういうもんなんだと思ってます。

食事再開

呼吸器が外れたのに合わせてついに食事も出るようになりました。病院とイギリスのメシはまずい、というのはかねてから噂に聞いていましたが、さすがに3カ月以上絶食してたら何食ってもうまいだろう、と思ってたらちゃんとまずかったので感動しました。

おじいさん離乳食

特に最初期の何もかもをペースト状にした歯無し専用食みたいなのがやばかった。人間が始まりと終わりだけに食うメシだろあれ。

ゼリーやヨーグルト、あるいはフルーツをやわらかく煮たやつ。このへんは甘さを感じるし抜群にうまいです。問題は「お粥ゼリー」みたいなやつ。米を限界までドゥルドゥルに溶かしたものなんですが、文房具ののりそのものの味がしました。スティックのりとかじゃなくてあの昔ながらのでんぷんみたいなやつ。

元々酒ばっか飲んでメシ食わない+3カ月絶食で胃が小さくなってる+文房具ごはんのトリプルコンボで、毎日3食の食事は完全に死闘でした。徐々に固形食に近づくにつれて普通の味の薄いメシくらいになっていきましたが、最初のお粥ゼリーの絶望は半端なかったです。

抗菌薬の効かない最強の菌が誕生したら終わり

ということでようやく何度目かの正直で状態がちゃんと上向きになり、その証拠として体中についていた管も徐々に外されていきます。呼吸器、尿道のカテーテル、鼻に入れていた栄養を入れる管といったものが外れてだいぶすっきりしてきました。

最後のほうまで残っていたのがお腹にぶっ刺していた6本くらいのドレーンです。これは全身に広がった炎症が感染して出ていた膿を体中から排出するためのものです。重症急性膵炎の最終形態「お腹から突き出たチューブから黄色いグジュグジュ汁垂れ流しマン」です。こうやって文字にすると怖いことやってますね。

この感染問題が最後の砦でした。なんかこの菌には2種類の抗菌薬が使えるらしいんですが、既に1種類は使用済みで今は最後の抗菌薬を使用している段階とのこと。で、この薬の使用が長引いて菌が耐性を持ってしまうと手のつけられない最強の菌が誕生して病院中を巻き込む大事件になる、と言われました。バイオハザードだったら完全にオープニングムービーでやる話ですね。

そもそもこの菌はもともと人間の体の中にいるやつで、健康な人だったら免疫や菌同士のバランスでなんとかなってる空気みたいな存在だそうです。ところが炎症で内臓ボロボロの寝たきり絶飲絶食うんこ垂れ流しおじさんにとってはラスボスになってしまいました。薬に頼るだけじゃなく僕自身の体力や免疫力が回復して対抗できなければバイオハザるぞ、と。そんなこと言われたら文房具ののりみたいなお粥も必死に食うしかないわけです。

医師「一生お酒は飲まないでください」

そんなこんなの努力が報われる形で2月上旬、ついにHCUから一般病棟へ移動が決まります。死にかけの寝たきりおじいさんから死ななかった寝たきりおじいさんに劇的なステップアップです。

一般病棟でのリハビリ(スピードでおじいさんに圧倒された話)などはまた後述しますが、2月も後半になり退院も視界に入ってきたころ、医師からあらためて僕の病気について説明を受ける機会がありました。それまで大事なときは麻酔で爆睡してたり脳出血でぶっ倒れていたりで話どころではなかったので意外としっかり話を聞いたことはなかったのです。

入院当初のCT画像などから丁寧に説明をしていただいたんですが、膵臓の炎症が肺から足の付け根のほうまで広範囲に飛び散っていたり(重症中の重症じゃないとここまでならないらしい)(僕が「膵臓が爆発した」と言ってるのはこれです)、色んな数値が振り切れている検査結果を見せられたりして、極めてロジカルに「5回くらい死にかけてたよキミ」という現実を突きつけられました。正直それまで妻に「生きてるの奇跡だよ」と言われても全然ピンときてなかったんですが、ここにきてやっと実感が湧いた感じです。妻は「ほらね」といった顔をしていて、僕は「あわわ」といった顔をしていたと思います。

ちなみに重症ではない急性膵炎だと結構また酒飲んじゃう人も多いらしいです(だから再発する人も多い)。前にねとらぼの仕事絡みで読んだ永田カビさんの漫画でもそんなことが描いてありました。余談ですがその座談会記事後に自分も急性膵炎になる僕(B)がなんも知らずにヘラヘラしゃべってるのが味わい深いですね。

あと「膵臓が壊死している」という話だったのでどこまで治るもんなのかはずっと気になっていました。実際、どれくらい機能が残るかは医師にも不明だったようですが、幸いにも一生インスリン注射を打つとか薬を飲み続けるとかそういうことは一切なく、「脂質/糖質に気を付けてバランスのよい食事をする」という以外は大きな制限もありませんでした。もちろん「一生お酒は飲まないでくださいね」ということは言われましたが。

入院当初はぶっちゃけ「いい子にしてればまた治って酒飲めるだろう。いや、飲む」とか思ってました。自分が自傷行為のような飲み方をしていることにはむしろ自覚的で、文字通り死ぬまで飲む、という覚悟で酒を飲んでいたので。ところがいざとなるとギリギリのところで死ななかったし、殺される幻覚を見て死を意識したときに強くはっきりと「生きる」と思ってしまった(第2回参照)。「生きたい」ではなく「生きる」という自発的な決意であることが僕にとって大切で、「(生きる苦しみを紛らわせるための必要悪として)死ぬまで飲む」という覚悟が「(生きる苦しみを感じ続けたとしても)飲まずに生きる」という覚悟に反転したわけです。何言ってるかわからんでしょう。こういうことを永久に考え続ける厄介な性格なので酒でも飲まなきゃやってらんなかったわけです。

厳密には酒を一口飲んだ瞬間ただちに残りの膵臓が爆発四散して絶命するというわけではないようですが、「”ほんの少し”の定義が曖昧で簡単に膨れ上がるので爆弾を抱えている人間はたとえ少量でも一切手を出すべきではない」という意味での禁酒のようです。よい子のアル中のみんなは肝というか膵臓に銘じておくとよいと思います。こうなりますよ。

そんな感じなので医師との面談のあと、妻には「生きているうちにやりたいことをたくさんやって全部やり終えてあとは死ぬだけ、ってなったらまた一緒にお酒を飲もう」と言われました。酒人間が酒を取り上げられて落ち込んでいるのを励ましてくれたんだと思いますが、覚悟極端人間の肩の力を抜いてくれるいい考え方だなと思いました。なのでこのnoteを書くことも含め、ちょっと早めかつ長めの終活をしている意識で今は生きています。案外やりたいことは多くてまだまだ長生きしないといけなそうです。

おまけ「退院後に居酒屋に行った話」

きれいにまとまったのでもう最終回でもいいんですが、この闘病記は一般病棟リハビリ編がもうちっとだけ続くんじゃ。以下は投げ銭代わりのおまけ有料エリアです。今回は「退院後に居酒屋に行った話」。

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