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ソロソロキャンプ

風吹けば 心が躍って悪堕ちる

その日私は、初めてのソロキャンプに出かけていた。
遅めの昼食を済ませてからキャンプ場にチェックインし、準備を始める。
小雨がパラつくあいにくの空模様の中、まずは雨に濡れない荷物置き場を確保し、テント張り。ソロキャンプ用のテントは一人でも簡単に張ることができる。
テントが張れたら、まだ明るい時間から焚き火の準備だ。

焚き火。木に火を着け、それを管理できる範囲にとどめる行為。
後者の難しさは、物心付いたときから繰り返し教わる。
しかし前者を経験する機会は、日常生活の中にはほとんど無い。まるで火は簡単について、周りのものを燃えつくすかのように語られることがある。しかしそれは、便利な道具たちに囲まれた、生活の場だからだ。
屋外で火を熾して料理や明かりに利用する事は、それほど簡単ではない。
ライターを使って炭火を熾したり、薪に火をつけることができない人も多いだろう。かく言う私も、6年前まではその一人だった。
何度か経験してようやく、メタルマッチを使って火をおこせる様になった。

そんな今でも、雨の日の火おこしは時間がかかるし、気も使う。
薪と言われるサイズの木は簡単には燃えないどころか、そもそも火が付かない。
そこでなるべく細い薪を選び、それを細く割いていく。目安は、割り箸くらいの太さのものと、親指くらいの太さのもの。割り箸サイズの細い木であればライターで火を着けられる。しかし、雨で濡れた木では、それもできない。そんな時は、周りの林で目一杯傘が開いた松ぼっくりや、枯葉を探したりする。そんな時間も、楽しいものだ。
探し出した松ぼっくりを使って無事に火を熾した頃には小雨もやみ、風もない、静かな夜がやってきた。
簡単な食事を済ませてからは、読書の時間。
なんとなく古典が読みたくなり、なんとなく芥川龍之介全集を選び、目次に並ぶ388作品を眺める。
その中で目についた作品は、羅生門。
その作品名を、特に深く考えることもなくタップし、冒頭から読み始める。
今と同じ、コオロギの声が響く季節の物語を。

無職=弱い、と思うなかれ

羅生門は、芥川龍之介の代表作であり、教科書で読んだ人も多いのではないだろうか。
人間の心の弱さや、善や悪の移ろいについて描かれた作品、と習った気がする。

この後姿を消した下人は、どうなったでしょう?

そんなテストの問いに「飢え死にした」と答え、×になった。正解は「盗賊になった」だそうだ。それに対し、「もう物語の後半で盗賊になってるじゃないか」と思った事を、うっすらと思い出した。

そんな「無職男が正義に燃えたあと悪堕ちして、老婆を剥く話」を改めて読み直してみると、当時は何も思わなかった箇所でひっかかりを感じた。
それは主に、下人について。
この男、改めて読み直す前までは、仕事をクビになった無力なヤツだと思っていた。
弱いものたちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く。そんな、何世代か前の流行歌の一節を思い出す世界観。
しかし、太刀を帯び、その使い方を心得ている様子や、死体があって盗賊の住処になっているかもしれない荒んだ羅生門で一夜を過ごすつもりだった事から、どうにも「無力」とは思えなくなった。
そもそも、盗賊が住んでいるとウワサになっている場所に人の気配があったなら、逃げるだろう。梯子を上る途中でそれに気が付いたのにもかかわらず、2階に上がっていくとは、よほど腕に覚えがないと出来ない。
恐怖と好奇心が6:4、と書かれている。この場合に好奇心を4割持つには、武力による安全性が必要だ。
そんな、荒事に通じているが、それを民間人に振るう事に抵抗を覚えるようなキャラクター、現代で例えるなら、正義感の強い警察官の様な彼。
そんな彼が、老婆の姿を、行動を見て、カッとなって太刀を突き付け、問い質す。
この彼の感情には、違和感しかない。特に最初の、正義感からの怒り。
端的にいえば、そもそも老婆の行動は、そんなに怒る事だったのだろうか。
確かに善悪で問えば悪だろう。だが、髪を集めて鬘にしようとした老婆の行動は、そんなに正義感を燃やして怒る事だろうか。
怒ってからの彼の行動が支離滅裂、だけど人間っぽいよね、というのは、まあそうかもしれない。どうせ老婆を剥がなくても、どこかで同じ事をしただろうし。
だがやっぱり、そんなに怒る事だったのだろうか。
具体的には、ゴロゴロ転がった死体が放つ腐臭を感じなくなるくらい、怒る事だろうか。
松の木片が勢いよく燃え上がる程に、怒る事だろうか。

怒ったんじゃない、怒りたかったんだ

画面からふと顔を上げると、周囲は随分と暗くなっていた。
火を上げて燃えていた焚火も、どうやら細い木が燃え尽きてしまったらしい。大きな薪が1本、火をチロチロと出したり引っ込めたりしながら、ゆっくりと燃えている様だ。
この様な熾火状態になった焚火は、光源としては利用できない。焚火台の周辺どころか、薪そのものすら、所々が赤く光を発する黒い影の塊になる。

焚火の火を大きくするのに必要なのは、木の量だ。そしてそれは、空気に接している面が多い方が良い。なので、手っ取り早く火を上げるには、細い薪をいくつかくべるのがいい。
大きな薪の一つや二つで、大きく燃え上がる事は難しい。火吹き棒で空気を吹き込んだり、丁度よい風が吹き込んだりしない事には、勢いよく燃え上らない。

そうだ、燃えないのだ。

この、一本だけの薪・・・木片が「勢いよく燃え上る」ことはない。

薪の量を増やすか、風を送るか。
門の上で、木片の数を増やしたとは思えないし、そもそも木製の門で焚火はできない。松明の様に縦にした木の先端を燃やすしかない。
そうすると、風だろうか。強すぎる風では、火が消えてしまう。丁度良い具合の風が吹いて、木片を燃え上らせたのかもしれない。
確かに、門の2階に上がる前の場面で、「柱の間を風が吹き抜ける」と作中にも書かれている。
どうやら1000年前、平安京の西側では、風が吹いていたらしい。風向きは、東から西なのか、西から東なのか分からないが、そのどちらかに向けて。
そうすると、腐臭を感じなくなった理由も想像がつく。正義感に突き動かされたからではない。風が止んでいる時に腐臭を嗅ぎ、その後、風で腐臭が流された。その時彼は風上にいて、ヤモリの様に平たく床にへばりついていた。だから、風に気が付かなかった。

彼の正義感を肯定した2つの要素は、何のことはない、ただ風が吹いたからだ。
それに彼は、気が付かなかった。
自分の正義感を嗅覚と視覚の二つで後押しされたと思った彼の心は盛り上がり、こんなに怒るんだから、よほどの悪人であろうと期待した老婆に、刃を突き付け問い詰める。
結果、思ったほど悪人ではなかった老婆にガッカリし、腹いせ交じりに身包みを剥ぐ。

腐臭を感じないくらい、勢いよく燃え上るくらい、怒ったのではない。
腐臭を感じなかったから、木がメラメラと燃え上ったから、怒ったのだと思い込んだ。

この後姿を消した下人は、どうなったでしょう?

そんな問いに、いまならどう答えるだろうか。
盗賊になり切れずに門に戻ってきて、そこで泣いた赤子を見つけて抱き上げる。抱き上げたタイミングで空が晴れて日が差し込んだり、風に乗って金木犀の香りが漂ってくると、赤ん坊に罪はない、この子を育てようと奮い立ち、生きていく。

案外、そんな事になるのかもしれない。




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