見出し画像

未来の建設業を考える:「精神のない専門人?」

 建設業界も一時の破壊的な状況から回復し、企業としての業績は回復基調にある。
 このような経済環境において、企業としては当然ながら不動産開発等の積極的投資に向けた活動再開が見られるが、談合を始め、ダンピング受注、ものづくりの現場としての混乱、その結果としての品質低下について、本当の反省ができているのか、改めて、企業としての存在意義、目的をどこに設定するのか、今まさに考え直すべき時期に来ていると考える。

「米国流資本主義」・「ステークホルダー資本主義」

 資本主義には、株主の利益が最優先される「米国流資本主義」と株主のみならず、従業員、取引先、地域社会、国家、地球環境にバランス良く付加価値配分する企業経営を目指した「ステークホルダー資本主義」に分けられる。
 ステークホルダー資本主義は、欧州で発達したため、ユーロ社民主義とも言われる。これまで、グローバルスタンダードといわれる株主資本主義を目指した日本であるが、その結果として、村上ファンドやライブドアといった実態のないバーチャルな企業価値に依存するような企業の出現となって、社会との整合性よりも個人を優先する社会の形成につながっている。
 当然ながら、日本の発展の基盤となった「ものづくり」を軽視する社会となっている。この流れが、耐震偽装やダンピング受注につながっているように思える。

建設業界としても元請も下請も、専門工事業者も含めた全体の再生に向けた取組み

 日本という社会が共生してきたように、大きな流れがどうなるかは読めないところであるが、企業の存在意義をステークホルダーとの共生に置くべきであり、建設業界としても元請も下請も、専門工事業者も含めた全体の再生に向けた取組みを行うべきであろう。単純に不動産開発事業が儲かるから、それに投資するというのではなく、不動産業とは一線を画し、ダンピング受注ではないきちんとした投資により、プロジェクトに参画するすべての人々が目的を共有でき、喜びに感じ、高い品質を確保するような企業活動につなげるべきである。

マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

 有名な社会経済学者であるマックス・ウェーバーは、彼の著である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905年)において、「近代資本主義を形成した宗教的意識は、現代において枯渇してしまった。人間は今や、自らが作り出した合理的な仕組みの前に圧倒されるようになってしまった。・・・営利活動は宗教的・倫理的意味を失い、職業の精神的意味はもはや問われることもなくなってしまった。伝統の破壊によって成立した「近代資本主義」が、今や人間にとって「鉄の檻」「機械的化石」のようになってしまった。「精神のない専門人」「心情のない享楽人」の時代が到来するであろう。」(佐々木毅解説)と指摘している。

建設業界の「精神のない専門人」?

 耐震偽装に見られるモラルハザードを生み出し、「精神のない専門人」を生み出してしまった建設業界だからこそ、企業活動として、改めて「ものづくり」の原点を考え直し、職業倫理が意味ある業界として再出発すべきである。シンガポールは、日本同様資源に乏しいにも係わらず、中華圏、インド、米国、オーストラリアなどの広域経済圏のハブ機能として、国民一人当たりのGDP(3万2千ドル)では、日本に匹敵する。
 その大きな理由は、タクシーの運転手から公務員までが職業倫理を維持し、社会の不正や不安がないことにあると言われている。
 現在の建設業界に求められているのは、職業倫理を自らの企業活動の中で主役に位置づけ、業界として「精神のない専門人」を生み出さない環境を構築すべきである。

寺島実郎は、

 寺島実郎は、「経済性と効率性だけが探求されがちな資本主義のゲームの中で、一隅を照らして現場をさせる専門家がいなければこの社会は成立しない」、と指摘している。ものづくりを担う建設産業においてこそ、現場の専門家が誇りをもって今の仕事をできる企業責任が、今まさに求められているのではなかろうか?これ以上「精神のない専門人」を生み出さないためにも。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?