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「同性と恋愛関係になる」ことへの葛藤

こんにちは。タロウです。
ぼくは、女性とも男性とも恋愛交際の経験があります。
今日は、そんな僕が感じた「同性と恋愛関係になる」ということについて書いていきたいと思います。

 年々差別や偏見はなくなってきている(と感じてる)けれども、やっぱりまだまだ根強い差別も偏見もあるし、最近では地方裁判所で同性の事実婚は認めない判決が出たりと、胸が苦しくなるような出来事が多いなと思うこともあります。

今回の記事は思うことのほんの一部だし、あくまで一個人の話でしかないけれども、少しでも心の中に留めてもらえると嬉しいです。

1 自分の差別心と向き合うことになりました。

 僕は今まで自分が同性愛に対して親和的だと思ってました。ゲイの友達も、レズの友達もいて、僕はカミングアウトはしてないけれども、きっと多くの人よりは、身近に同性愛というものがあり、理解していると自負していました。

ただ、実際に彼のことが好きになって、関係が深くなっていくにつれて、自分の中の差別する心と向き合っていくことになりました。

結婚とか、子どもを育てるとか、そういうのできないんだ

 特に僕はもともと結婚願望が強いとか、子どもが大好きとかそういうタイプではなかったけれども、無意識のうちに、同性と付き合い、「結婚」「子育て」というライフイベントがなくなるということが、異性愛よりも下に見ていたんだなと自覚しました。(パートナーシップ制度や里親制度については割愛します。)
 子どもがいるから偉いとか、結婚してるからしっかりしてるとか、そんな価値観クソ食らえって思ってると自負してたし、価値観のアップデートしていくことを忘れたくないって考えていきてる方だと、自分では思ってました。

 これが結構きつかったです。

「差別をしたくない」
「平等に接することができるようになりたい」
「誇らしい自分になりたい」

こう思って生きてきたからこそ、

無意識に差別してる

って自覚することはすごく自尊心も傷ついたし、ダメな自分に嫌気がさしました。
これは彼と深い関係として会うことを続けることについて、話あったからこそ、向き合うことができたと思います。


2 付き合うということの意味を考え直すことになりました

 自分の中の差別心に気付いてから、今まで僕の恋愛は無意識のうちに常に「結婚」や「親孝行」「子育て」等に結びついていたんだなと痛感しました。

きっとこの事実に気付けなかったらどんな素敵な人が現れても、うまく恋愛関係を続けることはできなかったと思います。


改めて「人を好きになること」「人を愛すること」について考え直すことができました。
また、この話については、別記事で書かせていただきたいと思っていますが、彼との気持ちに向き合ったからこそ、今は素敵な恋愛ができていると思います。

3 おわりに

 自分は人生において、なにがしたくて、なにがほしくて、なにが大切で、なにに感動するのか、ひとつひとつ地味だけど丁寧に向き合う作業というのは、根気がいるし、とても疲れるけど、恋愛に限らず、なにかをする時にはとても大切な作業だと思います。

 僕は、彼にこの世界で見つけてもらえて、とても幸運なことが続いているけれども、好きだと認めるまでにはすごく時間がかかりました。

 きっと恋愛だけじゃなくいろんなことに通ずることだと思うけれども、

好きなものを好きだと言えること、好きな気持ちに誠実に生きること

がとても大事だと、同性と付き合うことへの葛藤のなかですごく痛感しました。

 世の中のみんなが、好きなもの、好きなこと、好きな人に対して、ブレーキをかけずに、自分らしく生きれる世の中になることを願っているし、少なくとも、僕より後から生まれた人たちのためにも、僕はいい世の中を作るために小さい1歩でも努力する必要があるなと感じています。


今日の記事が誰かの心の片隅に置かれることを願っています。
最後までお付き合いありがとうございました。

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