同じ神様が本当にいるのかどうか
同じ名前の神様を祀っている神社はたくさんあります。大元締めの神社を総本社といって、そこから分祀されているんですね。小さな神社などは、ほとんど独立して祀っていることはなくて、この総本社からの分霊(わけみたま)を祀っていることになっています。
かと思えば、ものすごいたくさんの神様を一度にお祀りしているような神社もあります。これを合祀と言います。
つまり、神様はその御霊を
あちこちに分けて、同時に存在出来るし、
他の神様の御霊と合体することも可能
という感じになるかと思います。これって、本当なのでしょうか?ちょっと、人間の日常感覚では考えにくいですよね。さらに、神様は魂をいくつかに分けて、まるで別神格のように存在することも出来ます。伊勢神宮を参拝された方はご存知かと思いますが、
荒魂だけを祀っている社が別に建てられています。
例えば、伊勢神宮の正宮では、お願い事をしてはいけないと言われています。その代わり、荒魂を祀っている、荒祭宮ですることが出来ると言われていますね。
まるで、別の神格みたいに、役割分担しているんですね。この辺りも実に、神様らしい性質だと言えます。
さて、話を戻しまして、例えば天照大神を祀っている神社であれば、伊勢神宮内宮でも、地元の小さな神社でも同じ神様がおられるのだろうか?
こんな疑問を持った人は少なからず、いると思います。あくまで、私の感覚でですが、
エネルギーの質は同じで、大きさが違う
といった感じです。
同じ映画でも、小さな映画館で見るのと、大スクリーンで見るのは迫力が違いますが、内容は同じです。
基本はこんな感覚です。ただし、神社で祀らているとされる神様の名前は結構、いい加減です。実際には違う神様なり、別の霊的存在がいる、場合によっては誰もいないという神社もあるようです。
というのも、明治時代の国家神道化の時に、結構、日本の神社は人為的な手が加えられていて、祀っている神様の名前を変えたりしているんです。
また、以前にも書きましたが、観光客が来過ぎたり、管理している神職が変わったりして、神様がいなくなっているところ、そもそも、最初からいないところなど、玉石混合になっているのが現状のようです。
そして、ここが肝心なのですが、大きくて、有名な神社なら、まず、間違いないかというと、これも....なのです。
よくいう、元〇〇というのが、ありますが、これも、元の方におられる場合も、そうでない場合もあって、様々です。
そもそも、神社には神様はいるとも言えるし、いないとも言えます。これも以前、書いたことですが、神社は高次元との窓口になっているだけで、いわば、映画のスクリーンのようなものだからです。私達はスクリーンを通じて、俳優の姿を見れますが、俳優は2次元である映画の中にいるわけではありません。あくまで、投影されているだけなのです。
もちろん、映画と全く、同じではありません。映画の中の俳優は、観ている人を認識することは出来ませんが、神様は出来ます。
ただ、私達は次元が違うので、特殊なタイミングでないと、5感で捉えることは出来ないのです。このタイミングはいつ、どのような形で訪れるのか、わかりません。
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