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なんとなく、で過ごしてる

脱毛が嫌だ。でも剃毛はする。

(このnoteは見る人によっては不快に感じると思うので、性格が悪い人間ってすぐ攻撃したがるよなって気持ちで見てほしいです。おねがいします。)

自分て中途半端だよなぁ、とよく思っている。信念を持って生活しようという気概もないけれど、主張しない人ではありたくないし、つまらない人と過ごしたくないと傲慢にも願っている。社会はなんとなく気に入らないことで溢れているし、何もしないでいるのは退屈だから嫌。努力もせずにいやいやと喚く、手のかかる時期の幼児のような私。冷めているといえば聞こえがいいけれど、本質的に逃げている。やることなすこと、やりっぱなしで表面だけ固めてそれらしい顔つきで立っている。だから、〇〇っておかしくね?って主張する割には自分もその「おかしい」側に与してるような不完全な人間なのだ。

脱毛のCMって本当にくだらないよね、とよく聞く。ジェンダー学の勉強をしている子が周りに多いのもあり、「ステレオタイプ」とかメディアに表象される「理想」の歪さが話題にあがることがある。あんなCMはくだらない言説の、強要された「女性像」の再生産だ、と。そう、脱毛しないと垢ぬけた「大学生」にはなれないし、脱毛しないと気になるあの人に見染めてもらうことはできない。進〇ゼミの漫画広告かよってくらい短絡的なプロットで、その脱毛会社が他の会社よりいかに早く安く脱毛を提供できるかを苦しい早口でまくしたてるCM。脱毛によって世界が薔薇色になる主人公の結末は最近のCMでは語られないことが多い印象だけど(おそらくコストの関係でわざわざそこまで流す必要ないと考えるんだろう)脱毛=ターニングポイント的な流れが使い古されているのは紛れもない事実だ。そして、メディアは本当に「悪」の再生産の温床なんだという不平不満を掲げながらも、若いうちにやっとく方がいいかもとかそんな理由で多くの女子大生が脱毛サロンにいそいそと通う。

そう、大体みんなやってるのだ。え、なんか脱毛至上主義を否定する割には自分は脱毛してるんだなと率直に思う。結局脱毛するかしないかは当人の選択次第ではあるのだし、それって勿論「したい」人はすればよくて「したくない」人には強要してはいけないって意味で、別にしたければしてもいいでしょ?ていわれたら、「ぐう正論。もう何も反論する余地もございません。」って感じなんだけどさ、なんかそこだけ。そこだけまだもやついてしまう思春期な私がいる。腋の毛をすごいサイケな感じにカラーリングして自己表現とかしてるアーティストとかすごい賞賛してますって顔で、「脱毛」を理想女子の必須条件に設定する社会はおかしい押し付けだステレオタイプだ、とか主張してるけど、自分はもう脱毛してるんだね?みたいな。

そして、ここまで脱毛してる脱毛言説嫌悪女子を非難している私は「剃毛」している。なんだよそれ、お前言外に行動と意見が伴ってないの意味わからんって感じでここまでぐだついてたくせに結局自分も剃ってんのかよって。そうなのだ、本当にそうなんです。気持ち悪い、私。なんなら剃毛してるだけで脱毛してないって感じで語ってるけれど、脱毛するための照射マシーンが我が家にはある(母が昔くれたもの)こんなん私だって「ほぼ」脱毛女子やんって。でも、脱毛サロンには通ってないよ、私。この前も無料で先輩のお姉さんが脱毛してくれるってお誘いしてくれたけど断ったもん。まだ毛自体は生きてるもん。って、ここだけでギリギリのラインを保ってるつもりになってる。すごい自分が自分で嫌いになる。曖昧に、自分に緩く、他人に厳しく。最低な人間だ。

自分は〇〇してるけど、社会が個人に○○を強要するような脅すような風潮でいるのはおかしいと思う。そこで悩んでるあなた、無理に〇〇する必要なんてないんだよ。これはあなたがおかしいんじゃなくて社会がおかしい。だからあなたは〇〇しなくていいよ。私は○○するけどさ、、、(その人が○○するのはその人の意思や価値観の上で判断しているのだろうけれど、結局その考え方のベースってその人が批判する社会によって形成されているんだよね)

結局人はステレオタイプやら理想やらロマンやら社会がつくる幻想に囚われて生きていて、それによって「幸せ」の定義が決まるんでないのかい?と思う日々です。社会が作った幻想をそのまま相手に適応させてその人自身を見ないようにくるんでしまうのは最低な行為ってのは明白なんですけどね。でもステレオタイプと傾向の狭間なんてぐちゃぐちゃで、みんな好きなように使ってしまっているのではないかと。

早くこんな稚拙な思考回路から脱出したい。あー気持ち悪い私だ。

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