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弱く生

悟りたい。半年前はそんな気持ちがとても強かったと思う。誰かの話や、読んだ作品に過剰反応をおこさずに、「あぁ、そういう風に思うことってあるかもね」と一定の距離を持って接することができる人間になりたい。意識的に、俗世から距離を置くことができるような人に。「それは絶対ちがうじゃん!」とか情けなく喚き散らかすのはごめんだと、本気で考えていた。

けれど数か月前から、自分が憧れるフラットさってのは、実に面白みに欠けるものなのではないかと感じるようになった。特に複数人のコミュニケーションでは、会話の盛り上がりに誰かの強い意見や思い、学び、そういったスパイスが必要なシーンを何度も見てきた。もしかしたら、思わず口をついて出てしまったんだよ!ってことがあって然るべきなのかもしれない。それくらいの波があってこそ人間らしいし、一緒に過ごすかいがあるってもんじゃないかな(これは言い訳?)

他者の行動や言動に反応せず、全くの無反応でいたかった。そのために、トラウマの存在を限りなく薄くにしてやろうと躍起になっていたと思う。けれどいつまで経ってもいなくならないのだ、そいつは。気にすればするほど存在感を増していくのは当たり前で。懸命に目を逸らそうと試みたけど、普段押し付けていた分も爆発してしまうことがざらにあったし、ひとり相撲極まりない不毛さが残った。

弱さを忘れ去るのではなくて、最大限配慮してあげたいのかもしれない。これは嫌だ!これは辛いんだ!と泣き叫ぶ私をせいぜい大切にしてやりたい。繰り返される脆弱性による暴発の波をどうにか小さいなものにしていけるように。弱ささえも愛おしい自分の一部になるように、祈ろう。

就活をしている時に会った、どっかで人事をしている人から言われた「あなたは、ずっともがいている感じがあるから良いと思います」という言葉が頭を掠める。

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