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愛と常識の狭間で

こんにちは!魔タリカ766歳、魂のR指定です!
週末の東京タオ・ダンス&メディテーションでは、遠くの方、近くの方、たくさんの方と一緒に熱い場をご一緒できたことに、心から感謝です!

タオのワークは、重ねれば重ねるほどにハラが決まって、人生の方向性が自然と定まってきます。私たちは色々とトレーニングをするんですが、ジムでつけるような6パック筋肉はNGで、気で満ちた「気筋」を作っていきます。
気筋は柔らかく、柔軟で温かくパワフルで、まさに「柔よく剛を制す」なんです。

6パックな筋肉は、鎧のように硬すぎて、かえって体の柔軟な動きに制限をかけてしまうことになり、スポーツ選手ならケガの多発にもつながるんじゃないでしょうか。
鎧のような筋肉は、性格も鎧化させます。固くて、やたらと防衛に強く、他者が入ってこれる内側のスペースも制限される上に、共感力も落ちて、人の気持ちに鈍感になってしまうでしょう。

世界で一番良くないのは、「座りっぱなし」だと思います。コロナの間につけた私の新しい習慣なんですがw 私のような多動にとって、この習慣は良くも悪くも、生き方すら問い直すようなことに色々と遭遇しました。机の前に張り付く時間が長引くほどに、自閉的スペクトラムが顔を出し、だけどじっくり腰を据えて向き合うことの大切さも同時に実感しています。

これは、6パック筋肉とは別の意味で筋肉を固めて、6パックと同じような性格の鎧化(もう少し陰に傾いた感じで)を引き起こすでしょう。固めていいのは男性器のみwですよね!

カラダというのは、独自の知性を持った宇宙です。
「頭ではわかっているけど....」というのが口癖の人、けっこういらっしゃいます。その言葉を聞くと、「そりゃ〜わかってないってことだよ」と言ってしまうので、けっこう恐れられますw
こんな場所から、内なる愛と世間の常識の狭間での葛藤が始まるんじゃないかと思います。

まあ、人にはどうしたって変えられないクセや悪習慣が一つや二つ、あるってもんです。では、「何」から取り掛かれるでしょうか?
すぐに取り組めることはありそうですか?
私たちは皆、完璧からは程遠いのですが、それが人生を面白くするスパイスになってくれたとしても、メインディッシュにするには少々難ありです。


続き……………………..



ハラに落ちていないこと、カラダが理解していないことは、この現実世界に形をとらせることはできません。
勉強ができて、頭が良くても、カラダと繋がっていなければ中身は空っぽで、法律や規則、常識やデータを盾にしたロジックを展開しますが、誰の共感も得ることができません。観念だけのふわふわスピリチュアルもまた、カラダに根付いていなければ煙となって空に消えて行ってしまうでしょう。

血や肉の中に、知性よりも賢明なものがある。
からだという無意識は、命が沸き立つところである。
これによって私たちは自分達が生きていること、
魂の奥底まで生きていること、そして宇宙の躍動的な広がりの
どこかで繋がっていることを知る。

D.H.ローレンスイギリスの詩人・小説家1885~1930『チャタレー夫人の恋人』など人間の性と恋愛に関する小説を執筆

セクシャリティをプラクティスしていると、私たちには2本の主たる意識の柱があって、その2本の間に、どうしようもなく超えがたい葛藤があるのを感じます。一つ目は社会的常識や知性のライン、2つ目はカラダの本能や直感、愛のライン。この二つのラインの間で揺れ動く感情が、摩擦や葛藤を起こしているよう見えるのです。
極度の摩擦や葛藤は、カラダには病気などの形でさまざまな症状を、精神的には鬱や神経症などとなって姿を現します。

現代社会の中の基本的な葛藤の一つは、例えば「女性の生き方」でしょうか。就職してどんどん仕事が面白くなってきて、自分が目指すキャリア、給料の額、より快適な暮らしが手に入る、という時です。仕事に邁進している間、カラダは生物としての時間を刻々と刻み、生理は収束へと向かい、卵巣は役目を終える方向へと向かいます。

仕事に深く没頭して成功への道をまっすぐに歩くほど、責任感や上昇志向が強いほどに、カラダの時間ははるか後方に置いてきぼりになります。最近では不妊治療に保険が適用されるようになりました。身体的に妊娠が難しい場合、選択肢が増えることは喜ばしいことです。

ですが、社会が進んでいこうとしている方向性やシステムと、人間のカラダの時計、自分自身を愛することの間に摩擦が起きていることは明らかです。

例えば結婚。
未婚の人たちにとっては、一度は経験する価値のある社会現象ですが、ここにも多くの葛藤が存在します。そのうちの一つを例にとると、「一人の人と一生添い遂げる」などがあります。それは確かに二人の間の涙ぐましい努力なしには成し得ない偉業かと思いますが、結婚生活の中でセックスもなく、会話もない、経済的な結びつきだけで成り立つ関係だという場合、二人ともがそれでよし、とするなら問題はないのかもしれません。けれどもそれが世間体によるものだとしたら、家族や人生に及ぼす影響や、内なる愛には行き場があるでしょうか?夫婦間だけでなく、子供たちへの影響も莫大なものだと、私は思います。

本来、生物としての人間は雑婚なので、これも社会のシステムと人間のカラダや本能のシステムに葛藤が起きている問題だと思います。

居場所をなくした愛、直感、カラダの本能は、他の誰かが与えてくれるのを期待して、新しい人や状況を探して彷徨い歩いています。
だけどもちろん、自分の中に愛を育めないのならば、他の人と愛のつながりを結ぶことは困難ですよね。
結局のところ肉体の野生と頭のシステムにつながりがなければ、どんな生き辛さを抱えていたとしても、人々の意識の中には何の影響もないのだと思います。これは現代社会の治し難い病だとさえ思うのです。

だから私たちの提供する空間が、外から見れば常に謎に満ちた異空間で、ちょっと怖い未知の場所に見えるのは、それらの人生の摩擦に直面せざるを得ないからだと思うのです。それは本当です!
だけど、人が考えているよりそれはエキサイティングで、涙と汗で湿った暖かい時間で、愛と笑いに満ちた、開放的な空間なのです。だってね、生命とはそういうものなんですから。
カラダは生命そのもので、愛の源で、現実世界と愛の間に橋をかけてくれます。
サンクチュアリは、愛の源に向かっていく水路のような、そんな場所です。
そこで育む柔軟で、強靭な「気筋」は愛に満ちていて、あなたを行くべき場所へと、自然と導いてくれるのです。


Love♡

Tarika

2024 / 5月30日発行メルマガより


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