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【一次創作】あしたのジョーク

借金の返済に目処が立たない。どうやら、闇ボクシングの試合に出なければいけないようだ。その闇ボクシングとやらで相手に勝利すれば、ファイトマネーを借金の返済に充当してくれるらしい。

          *

昔話でもしよう。俺の父親は、俺が高校に入るか入らないかのタイミングで、事故で亡くなった。母親は、消息不明で、父の葬式にも来なかった。
というか未だに、どこの誰だかわからない。

祖父母は既に亡くなっていた。父にきょうだいはいなかった。天涯孤独。父親と住んでいた家も、出てゆかねばならない。
そんな年でひとりにされても、生きていく方法なんて知る由もなかった。

新しい場所で暮らすにしても、そもそも、家の借り方してわからない。電気、ガス、水道の契約の仕方もわからない。というか、契約が必要だということも知らなかった。家とセットで、勝手に使えるものだと思っていた。携帯電話だってそうだ。端末を買えば使えるものと思っていた。

銀行口座?印鑑?そんなものは持っていないと思っていたが、どうやら父親が作ってくれていたらしい。

父親の遺産は9万円だった。賠償なのか何なのか、どこかに送金し続けていたことは、俺が大人になってから知った。

その後は、なんとなく、なんとなくの連続で、ようやく最低限の生活環境を整えたが、16歳やそこらの子供が一人で生きていくのは大変だった。ちなみに高校は1日も行かずに辞めた。

ただただ、せめてマイナスからゼロに戻りたい、そう願いながら暮らす日々でしかなかった。

まあ、そんなこんなだ。生きていくということに関しては白痴に等しかった俺の生活が苦難の連続であったことは、もうこれ以上語らなくても良いだろう。

          *

次はボクシングについてだ。父親が生きていた頃、具体的には小学校1年生の頃から、ボクシングを始めた。ジムは、家から徒歩で2分くらいの場所にあった。父親の帰りは遅く、働いている時間はジムに押し込んでおくのが都合が良かったのだろう。

家族が亡くなり、学校は辞めても、ボクシングは続けた。

そんな年からボクシングを続けていれば、当たり前だが、強くなる。中学の頃には、階級がどれだけ違っても、俺に勝てる奴はいなかった。むろん、街の喧嘩でも。

17歳で、プロになった。プロボクサーになりたいと思ったことはなかったが、どうにも俺は社会性が著しく欠けているらしく、仕事が続かない。プロになったからといって食べていける世界ではないが、ボクシングをしてお金が貰えるなら、それが一番向いているのではないかと思った。

デビューにあたり、本名とは別に「佐藤零(れい)」を名乗るようになった。父が好きだった、往年の天才ボクサー、シュガー・レイ・レナードから拝借した。そこには俺の、「零(ゼロ)」への願望もあった。

プロのリングに上がってすぐ、俺は自分が天才であることを確信した。

俺の、プロとしての経歴は7戦7勝7KOだった。ダウンを喫したことはないのは当然として、まともに殴られた記憶すらない。しかしそのボクシングも、19歳で引退した。というか、路上の喧嘩で相手を殺してしまい、逮捕された。なので、ボクシングの世界から追放されたという方が正しい。

懲役は12年だった。社会に戻ってくる頃には、俺は32歳になっていた。
当たり前だが、前科者、ましてや人殺しに対する世間の風当たりは厳しい。そうでなくても俺は社会性が欠落している。仕事自体は表稼業を転々としているが、暮らしはままならない。生活費のために、筋の悪い連中の世話にならなければいけないことは必然だった。

そんな生活が、2年、続いている。俺は34歳になっていた。

          *

冒頭に戻ろう。俺は元プロボクサーの経歴を評価されたのか、借金返済の手段として、闇ボクシングの選手として戦うことになった。
結局、俺が生きていくにはボクシングしかないようだ。

ところが、その闇ボクシング、変なのだ。俺がリングに上がるにあたり、なんだかようわからんけど偉い人から示された契約書の書類には、こう書かれていた。

「ルールは必ず守ること。同様に、この試合に関わる全ての者において、必ず守られることとする。これについては、変えることはできない。」
「なお、上記を除くルールを変えることに制限はない。」

どういうことだろうか。「蹴ってもいい」とか「武器を使っていい」ということだろうか。

俺には理解が及ばず、なんだかようわからんけど偉い人に質問をしたが、その秘書と思われる女性は、「書いてあることが全てだ。」とだけ言った。

俺の対戦相手は荒巻帝人といった。28歳。元プロボクサーで、俺と同様、素行不良で業界から追放されたらしい。今は地下格闘技界隈で、半グレたちと総合格闘技をしているようだった。

映像を見たが、背は高く、ボクサー上がりとは思えぬほど体格も良い。人間的にはともかく、強くなることへの努力は惜しまない、真面目なタイプなのだろうか。
しかし、普通に戦えば、俺の足下にも及ばないだろうと思った。

「ルールを変えることに制限はない。」これだけが頭にのしかかった。

          *

試合当日。俺が出場する、メインイベント。リングアナは、「殺人上等!人殺し佐藤零、見参!」などと煽っていたようだ。

闇ボクシングに相応しく、この試合もまた、賭博の対象となっていたようだ。オッズでは随分、荒巻に水を開けられているらしい。

「どっちか、死ぬで。ていうか、荒巻が殺すやろ。」「でも佐藤零って、あの天才・佐藤零だろ。本当に人を殺してるんだぜ。躊躇しないよ。」

邪な好奇心で満たされた観客の熱気は最高潮に達していた。

ここではボクシングといいつつ、肘、頭突き、裏拳、掴み、投げ、ローブロー、足払いといった本来反則とされているものが黙認されているらしい。グローブも薄い。
それらを駆使して相手を徹底的に打ちのめして勝つ荒巻は、人気選手でもあった。

流れる入場曲。先に入場するのは荒巻であった。われんばかりの歓声、と呼ぶにはいささか品のない「ブチ殺せ!」という言葉を一身に浴び、荒巻はリングへ向かう。
そして、リングイン。話によれば、武器の所持などはなかったらしい。

続いて、俺の入場曲が流れる。しかし俺は、会場にすらいなかった。家で本を読んでいた。曲は流れど、最後まで俺が入場することはなかった。

罵声と怒号が飛び交う中、試合は不成立となった。だが、試合不成立という裁定でありながら、勝者として告げられたのは、俺の名前だった。

          *

暴れる荒巻。会場内では軽い暴動が起こったと聞く。
ただ、この試合は賭博の対象だ。俺にベッドしたものも少なからずいる中で、その暴動は自然に消滅していった。

どうやら、荒巻の提示したルール変更は「試合の結果の如何を問わず、荒巻帝人の勝利とする。」であったようだ。

対する俺が提示したルール変更は「選手が試合に来なければ、試合不成立とする。なお、試合不成立の場合は、佐藤零の勝利とする。」であった。

実は、荒巻がどんなルールを用意するかは、件の「筋の悪い連中」のうちの一人が、それとなく教えてくれていた。

試合が成立しなければ、つまり試合不成立であれば、これは荒巻の言うところの試合ではない。だから、俺が勝った。こんな結果でも、ちゃんと支払われたファイトマネーのおかげで、俺の借金はほぼなくなった。
やっと、「零(ゼロ)」に戻れる日がくる。
俺は人殺しだ。それでも今度こそは、道を踏み外さぬように。

そもそも、もう、人は殴れなかった。

かつて人を殺めてしまった拳で、今さら人を殴ることなど、できやしなかった。

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