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白昼夢の青写真2次創作を経験して、表現媒体とか二次創作について思ったこと。

昨日初めて、ノートパソコンの画面で自分の作品を見ましたが、スマホから見るのとでは、また違った印象を受けました。
noteの仕様上、ありがたいことに(当然?)、改行の位置などは変わっていませんが、スマホで見るときより、余白部分が大きくなりますね。正直、散漫だと思いました。大画面ディスプレイで見たら、なおのことそう感じると思います。

noteで書いているものは、スマホで見られることを想定しています。実際、読んでくださる方が、自分が書いたものをどの媒体でご覧いただいているのかは承知しませんが、おそらく、スマホが多いのではないかと勝手に思っています。

ちなみに普段は、主にワードで書いて、スマホに飛ばし、スマホのメモアプリで改行作業などをしてからnoteに上げています。ワードとでは、1行に表示される文字数が違うからです。スマホでひたすらポチポチしていることもあります。フリック入力ではなく猿打ち(トグル入力というらしい。)なので、ポチポチという音を当てています。

だいたいのビジュアルノベルは、画面の下の枠の中に、テキストが描写されています(装甲悪鬼村正は縦書きなので、画面中央が基本で、場面によっては少し右側に動いたりしていましたが。)。
作品によって多少差異はありますが、自分が二次創作をしている作品の原作である「白昼夢の青写真」では、その枠の中に基本1行描写、長いものは2行描写、という方法をとっているはずです。

元々のテキストは、違うなにかで作成しているはず(コラムを読んでいるので、何を利用して書かれているのかは知っていますが。)で、それをビジュアルノベルのフォーマットに落とし込む作業の中で、違和感や、もっとこうした方が良いとか、一画面で見せたいのに三文字入り切らない、みたいな悩みも、きっとあることでしょう。

むろん、四本のビジュアルノベル作品を書き上げた方ですので、既にそうした事態を織り込んだ上で執筆されているのかもしれませんが、これも地味に、かなりの労力を要するのではないかと思います。

冒頭で述べたとおり、何で読んでもらうか、で、印象は思いのほか異なるというか、自分は職業作家ではないから、紙媒体や電子書籍で人に作品を読んでもらうことはないので、ほとんど無関係だといえばそれはそうなのですが、メディアによる「見せ方」や「見え方」に意識を置くことも、面白いなと感じています。

緒乃さんも間違いなく、Switch版コンプリートボックス収納の「世界と呼ばれた少女」や、FAN BOXに掲載されていたcase1の小説版は、ビジュアルがないということを当然抜きにして、小説というメディアであることや、小説だからという「見せ方」を意識されていたはずです。

あまり関係ない話ですが、書道では、字そのものもさることながら、白の見せ方、余白の使い方、というような概念もあるようですね。そこまでいくと、文芸というよりはアートですが。

自分の場合であれば会話部分で空白行を挟むことが多いですが、パソコンで見たときの違和感が大きかったので、今後どうするかは考えていかないといけません。

まだcase2で書いてみたいと思うことがあります。ただ、史実との絡みがあるので、そこをどう処理するかです。ウィルが生まれる10年前(1554年)、史実ではワイアットの乱という騒乱がありましたが、これを使わない手はないと思いつつも、さりとてそのまま白昼夢の青写真の世界観に落とし込むのは、現実的ではありません。

特にジョン(ウィルの父親)や、オリヴィアの過去の物語を書くのであれば、先のワイアットの乱しかり、史実を敷衍しつつ、そこに架空の何かを持ち込んだ方が面白くなりそうな気がしますが、それはルール的に大丈夫なのかな、と思案しているところです。

…それにしても我ながら妙に変なところに頑固だったりこだわったりするというか、ルールとか書いてる時点で自分のことなのにちょっと笑ってしまったというか、二次創作はたぶんもっと自由なはずなのですが、そういうところにも性格が出ますね。

日本人がそうなのか、外国人もそうなのか、それは分かりませんが、創作に対し、現実や史実に忠実であることを望む傾向を、強く感じます。今はもう、拳銃をぶっ放す刑事ドラマもすっかりなくなりました。
私は評論家ではないので、忠実性重視の姿勢の是非にどうというのはないのですが、その方が面白いと感じる人が多いのなら、それに従う方が良いのかなという気持ちの方が強めです。

その点を創作の過程でどうするかは、もう少し考えます。

Case3は、キラキラし過ぎでいるので、自分に二次創作できる要素がちょっと見つけられない、という話を、twitterの若い友達にしました。テーマに何を選ぶかにも、性格というか感性というか嗜好というかが色濃くでますね。自分が自分でない誰かなら、世凪や海斗ではなく、有島とエドを主役格に持ってくるようなやつとは友達になりたくないです。次はジョンとか言い出してるし。絶対偏屈でしょ、そいつ。

あと、ソフマップの特典で、ヒロイン座談会というものを収録しているCDがあることを最近になって知りました。二次創作は、そのキャラを知らないことには始まらない、みたいなところもあるので、凛や祥子がどんなことを話していたのか、かなり気になっています。

ふと思ったのですが、二次創作という言葉の定義にもよるのでしょうけど、この手のものは、原作者ご本人による二次創作、といえるかもしれませんね。

少し時間をいただくかもしれませんが、それでは、今後ともよろしくお願いいたします。

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