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心や心を超えたところと向き合うヨガ教室へ


体のヨガは入口。本当のヨガはその先に向かうこと

ヨガ教室の説明を変えました。
自分がしたいことをもう少しはっきり明言化しておこうと思ってのことです。

そもそも私自身は健康のためにヨガを始めました。
でも、本当に体も心も生き方もまるっと良い方向に変わることが出来たのは、悩みが悩みでなくなり始めたのは、ヨガ哲学を学び始めてからです。
日常生活や考え方にそれらを持ち込むようになってからでした。
ヨガの中には瞑想や祈りという方法もあり、それを始めてからでした。

物事の捉え方や反応も、考え方も価値観も、言葉遣いも、食事も、生活の仕方も、好むもの、関心も昔と全く変わりました。
死にたいほど辛いことはなかったけど、自分が自分に感じる居心地の悪さや人生への違和感もどんどん減っていきました。
ヨガをする前の私を知っている人は、今の私と会っても別人だと思うだろうし、会っても分からないと思います。

ポーズ、呼吸法、バンダ、浄化法も一定の効果はあるけれど、いわゆるそれらハタヨガ(体を動かすヨガの総称)だけでは、ここまで変わることは出来なかったと思います。

自分が本当にシェアしたいもの

だから、ヨガの教えを日常に持ち込むこと自体を含めて、ヨガの教えをシェアしたい。一緒に内を磨く仲間が増えることを望んでいます。

しかし、ヨガ教室を始めて12年。
クラスでは心の話、ヨガ哲学の話や、少し瞑想の時間も取り入れたりするのだけど、話題に上がるのは柔軟性をつけるにはどうしたらいいか?
ポーズのこと、ここが硬い、ここが痛い、ここが辛い、疲れている…それをどうしたらいいのかなど体の話が多い。

体のことが気になる気持ちは分かるけど、体の不調や硬さは心のあり方と密接に関連しているし、なんならそっちのが大切なんですけどね。
何を好んで行動するのか?嫌いでしないのか?発言、選択、生活習慣だって思考と欲望が元になっているのだから。
ポーズで全て解決出来ると思われがちだけど、心の働きかけも伴ってこそポーズの恩恵も光ってくる。ポーズで元気になって、おしゃべりして、好きなもの買って、飲み食いして遊び回っても、悩みや不満は根本的には解決しません。
一応、体としてどうしたらいいかは答えるけど、私がシェアしたいのはこういうことじゃないんだよなとうんざりする時も正直あります。

それは、この人生では時間は有限で、体のことで立ち止まっている時間はないし、せっかくヨガに興味を持ったのに表面的なことにかまけていて、奥(本質)に進めないのはもったいないと思うからです。奥に進めば進むほど、普段自分が感じている体や心の問題も、問題でなくなってくるからです。

ある日、本当に心の底から「なんだかなー(言い換えればうんざりした)」と思った瞬間がありました。
でも、そもそもこの状況って「私がシェアしたいのはこういうことだ」とはっきり明言しなかったからなんだな!
(ヨガ科学的でもあり、スピリチュアルな部分でもあるけど、)スピリチュアルな部分をはっきり出すことに少しためらいがあったからなんだな!
私のそういう態度や思いが、シェアしたいことと実際に求められることの相違という状況を生み出したんだな!と気づいたのでした。

解剖学などの体の知識とか、身体機能を向上させることが得意なヨガ教室は他にたくさんあるし、私はそんなに知識はないのでそれに興味ある人はそちらにお任せ。
私はヨガ哲学を基に、日常生活を精神的に過ごして内を磨いていく方向に特化したヨガの種まきをしていこうと思います。

私はポーズを取るハタヨガをシェアしていますが、柔軟性をつけるためでも健康のためでもマッサージの代わりにでも教えてはいません。それを主軸にしていません(副産物としてそれはついてきます)。
じゃあポーズの役割は何かということ、瞑想しやすい体と心を養うこと
内面で起きていることに気づく力をつけること、自分の行動ー心の動きに気づける静かな心を取り戻すこと、落ち着いて行動したり、人の話が聞けるようになること。
体を通じてそれらを練習していく目的でクラスをしています。

飯田市のヨガ教室 TaraYoga

【個人ページ】個人的なこと、もっとディープなヨガのことを気楽に書いています↓




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