事実はひとつ 真実は当事者の数だけ

経営者は聖人君主でなくてはならないのか?という議論をビジネススクールの授業の一部で行った。

簡単にいうと、よき経営者なのに愛人いるのはどうなの?という議論。
良くない派と責めるべきではない派に別れたのだけれど、私にとっては議論すべきとも感じなかった。

議論のボードに書いた私の意見

■事実と真実
愛人がいたことは事実ではあるけれども真実はわからない。もしかしたら、彼のアイデンティティを崩壊させるような一言を奥さんが言ってしまったのかもしれないし、肉親と別れが続くことで一番好きな人を大切にすることが怖かったのかもしれないし、幼少期にもっと辛いことがトラウマなのかもしれなくて、結局真実は当事者同士にしか分からない。

(私自身も前回の議論の時に『危機に直面したこと』について本当の危機については話していない。偉人の伝聞で偉人の全てを理解することはできない。

事実は一つでも、真実は立場によって違うので、私の彼の真実は私を良い方向へ導いてくれる人で、それ以上でもそれ以下でもなく、これからも背中を押してもらい続けると思う。(愛人問題は、私がパートナーの場合はそれなりの対処はしますが!)

これは、対人関係でもそう思っていて、特にネガティブな情報は人から聞いた話よりも、自分の目の前で起きていること、感じることの方を信じたい。

真実と事実

議題が愛人というナイーブな話題なので、いろいろ思うところはあるのかもしれないけれど、何を伝えたいかというと"真実と事実を分ける"ということ。

仕事をしていると仕事仲間のよくない噂を広げるヒトはよくいる。マネージャーという役割は、メンバーから当事者以外の情報の報告をたくさん受ける。

例えば『Aさんは最近仕事のやる気がないですよ。出勤時間もギリギリですし!』とBさんから報告を受けたとする。

マネジメント歴が浅かったり、報告をしてきた人との信頼関係が深いと『Aさんは仕事のやる気がないから遅刻している』となる。

けれどもそれは事実ではない。

事実は「『Aさんは最近仕事のやる気がないですよ。出勤時間もギリギリですし!』とBさんから報告を受けた。」こと、そして「出勤時間がギリギリである(可能性がある)」。

仕事のやる気がないように見えるのはBさんの側からみた真実ではあるけれども、Aさんが仕事のやる気がないのは事実なのかは不透明。

なので、信じてはいけない。

■「事実」・・・本当の事柄。実際に起きた事柄(客観的な事柄)
■「真実」・・・本当のこと。嘘偽りではないこと(主観的な事柄)

事実+当事者の解釈が真実となるので、”真実はいつもひとつ ではない”。

報告してくれたメンバーに感謝しながら、事実と解釈を分離し、マネージャー自身の目で真実を見るけることがとても大切。

事実はひとつだけ、真実は当事者の数だけある。


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