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『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール: 報復の荒野(‘21・米)』【スタイリッシュな銃撃戦の中に“復讐”が“復讐”を生む哀しき連鎖を描く】

ウィル・スミスが設立した映画会社オーバーブック・エンターテインメントと、Netflixがタッグを組んだ、全く新しい”シューテム・アップ・ムービー(派手な撃ち合いのあるアクション系映画)”が誕生した。

かつてならず者のルーファス・バックに目の前で両親を殺され、自らも額に傷をつけられた過去のあるナット・ラブ(ジョナサン・メジャース)。時を経て、自らも無法者として暗躍する彼のもとに、悪名高いバックが無罪放免で釈放されたという知らせが入り、同じくバックを追う保安官のバス・リーヴス(デルロイ・リンドー)、そして仲間のギャングとともに、一世一代の復讐に臨むこととなる。

ディズニープラスのオリジナル・シリーズ『ロキ』で重要な役どころを演じるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いのジョナサン・メジャースをはじめ、イドリス・エルバやレジーナ・キングなど、今を時めくアフリカ系のキャストが一堂に会した本作。19世紀アメリカを舞台にした西部劇ながら、画面分割やスローモーションなど様々なエフェクトを駆使した、スタイリッシュで現代的な映像が見ごたえだ。地名を紹介する際に赤や白のフォントが画面いっぱいに表示されるところなども、どこかクエンティン・タランティーノやガイ・リッチーの作風を彷彿とさせる部分。また、西部劇の砂ぼこり吹き荒れるイメージとは全く異なる、あえて現実離れしたビビッドな色遣いも特徴的だ。主軸となるレッドウッドの街並みや内装、町民の衣装は目が覚めるようなカラフルな原色をあえて使っている。かと思いきや、中盤に登場する白人が多く暮らすメイズビルの街には不気味なくらい真っ白な建物が立ち並び、さらにはわざわざ”白人の街”という直接的かつ皮肉たっぷりのテロップまでご丁寧に表示される。こういった監督の遊び心あふれる演出も見逃せない。

そんなスタイリッシュな映像に花を添えるのは音楽。メガホンを取ったジェイムズ・サミュエルは、シンガーソングライター/音楽プロデューサーとしても知られており、バズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』(‘13・米)にもエクゼクティブ・ミュージック・コンサルタントとしてジェイ・Zと参加するなど、映画と音楽の相乗効果について熟知している人物だ。本作では、約8年ぶりにまたジェイ・Zとコラボしており、ラップと軍歌的なラッパの音が呼応する独特の曲調がストーリーを大いに盛り上げている。他にもサウンドトラックには、ローリン・ヒル、シール、シーロー・グリーンなど90年代以降から現在まで活躍する人気アーティストが名を連ねており、こちらも必聴の内容になっている。特にシールが歌う”Ain’t No Better Love”は、彼のソウルフルな歌声が見事に生かされたバラードで、この曲をBGMに360度あらゆる角度からバックとラブの軍団が撃ち合うシーンは圧巻だ。

作品の冒頭で"While the events of this story are fictional...These. People. Existed."(この物語はフィクションである。しかし登場するのは実在した人物だ)というテロップが出てくる。というのも、ナット・ラブもルーファス・バックも実在の人物。奴隷出身のアフリカ系アメリカ人のカウボーイだったナットに関してはギャング団を結成していたという事実はないようだが、ルーファス・バックは実際に徒党を組んでおり、アフリカ系とネイティブアメリカン系の若者5人から成るギャング団として殺人、強盗、強姦などの犯罪を繰り返し、1896年に絞首刑に処されたという。(Men's Healthより)こういった史実を元にサミュエル監督ならではのユニークな解釈を加え、壮絶な復讐劇が誕生したのである。フィクションだからこそ、本作のヒーローたち、ヴィランたちは男女平等なのも特筆すべきポイント。男性たちと女性ガンマンは互角に渡り合い、男性からの早撃ちの決闘にも応じる。染物屋での女同士の殴り合いも、男性に全く劣らない迫力満点だ。

イドリス・エルバ、レジーナ・キング、ラキース・スタンフィールドといった人気俳優たちが、本作では【悪役】のルーファス・バック団として登場する。彼らは冒頭から罪のない人々たちに対しても容赦なく引き金を引き、悪行の限りを尽くすので、一見血も涙もない敵にしか見えない。しかし、主人公ナットの恋人メアリーを捕らえて拷問にかけるシーンで、トゥルーディー・スミスが彼女の悲しい過去を明らかにし、同じく苦労を重ねて今命に危機にさらされているメアリーに対しても「私はあんたこそ勇敢だと思うよ」と称えるシーンがあったり、さらに終盤、同じくバックもとある衝撃の事実をナットに明かす。どんな無法者たちにもバックグラウンドがあり、皆が暴力に翻弄されて悲惨な思いをしてきたのである。それが分かった瞬間、先ほどまで極悪人に見えたバックたちが一気に人間味あふれる人物に感じられて、一概に【悪役】と呼べなくなるのが興味深い。

「俺がこうなったのは必然だ。復讐するためだけにずっと生きてきた」という終盤のバックのセリフが体現するのは、”復讐”が”復讐”を生み続けていくという皮肉な現実。原題の”The Harder They Fall" は直訳すると「落ちれば落ちるほどに」。一度復讐の闇に憑りつかれたら、そこから脱却することはほぼ不可能であり、もはや誰が善人で悪人かなど分からなくなるという負の連鎖。それを揶揄するエンディングも、鳥肌が立つとともに、切ない余韻を残す。

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