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【『Everybody's Talking About Jamie ~ジェイミー~』('21・米英)【 ”ありのままの自分”を受け入れるためのカミング・オブ・エイジ・ムービー】

BBCスリーで2011年に放送されたドキュメンタリー『Jamie: Drag Queen at 16』をベースにしたウエストエンド・ミュージカルの映画化。2020年に20世紀スタジオ配給で劇場公開される予定も、コロナウイルスの影響でキャンセルとなって、ついにAmazon Primeにてようやく日本でも鑑賞できるようになった。

イギリスのシェフィールドに暮らす16歳の少年ジェイミー。彼の部屋に飾られた”Long Live The Queen!(女王よ、永遠なれ!)”と書かれたミスコン優勝者と思しき女性の飾り物や、ポップ・アイコンとして知られるアイリス・アプフェルのキーホルダーなどから分かるように、きらびやかでカラフルな世界観をこよなく愛する彼が愛してやまないのが、ドラァグクイーンの世界。家の中ではティアラをかぶり鏡の中の自分に微笑みかける彼だが、LGBTQに対する偏見が今も根付く学校においては本来の自分を解き放つことができない。平凡な少年ジェイミーとしてではなく、いつか誰もがうらやむクイーンとして羽ばたく日を夢見ている。母親のジルは彼にとって数少ない理解者であり、真っ赤なハイヒールを誕生日にプレゼントするなど献身的に支えるが、パフォーマーとしての夢を「現実的ではない」と担任の先生は一蹴。さらに、離婚した父親は保守的な性格のためジェイミーのことが受け入れられず、誕生日会にも出席しない。そんな中でも、きっと”壁”の向こうに輝かしい未来が広がっていると自らを奮い立たせ、いじめっ子にも自信満々で「そうだよ、僕はゲイだよ」と言い負かす。

初めてジェイミーがリチャード・E・グラント扮するドラァグクイーンの大先輩ロコ・シャネル(本名:ヒューゴ)の店に訪れるシーンで、自分も同じくドラァグクイーンになりたいんだと告げると、ロコは目を丸くして「16歳?今やそんな若い子まで!」と喜ぶ。彼女のような多くの先人たちが時に挫折し、”夜の子供たち”として輝く場所を限定されながらも社会と戦ってきた結果、現代はダイバーシティ&インクルージョンがようやく世の中に浸透し、それぞれの”ありのまま”が尊重される機運が格段に高まってきた。(ロコが過去の自分や忘れられない恋に思いを馳せながら歌う楽曲「This Was Me」が胸を打つ)。前述のような障壁に時に悩まされながらも、16歳という若さで、自分の本当の個性の素晴らしさを知っており、「(ドラァグクイーンに)なりたいんじゃない、ならなきゃダメなんだ」と使命感に燃えているジェイミーは、まさに現代を体現するヒーローなのだ。

漠然と夢を持っていたジェイミーだったが、ロコとの出会いを通してドラァグクイーンが世界中を敵に回して偏見と闘ってきた戦士たちであることを痛感し、自らも”革命”を起こす存在となることを志すようになる。そして、ついに彼はドラァグクイーンの”ミーミー”としてドレスを着てプロムに出席することで、その革命の一翼を担うことを決意するのだ。

プロム・パーティーは、カミング・オブ・エイジ(大人になること)の通過儀礼として数多くの映画に登場する題材だが、本作におけるジェイミーにとってのプロムは単純に大人への階段を上るという意味には決して留まらない。さまざまな偏見や価値観を持つ人々が集うプロムに彼がドレスを着て出席することにこそ意味があり、それこそがずっと抑え続けてきた”ありのままの自分”を本当の意味で解き放つ瞬間なのだ。「ドラァグクイーンは畏怖の対象。すごいパワーを持つのよ。ウィッグを着けて、ヒールを履いて、客を意のままに操る。愛され、畏れられる存在なの」というロコの言葉通り、ミーミーとしての彼女はある種”武装”した状態の最強の存在。しかし、それはあくまでドラァグクイーンのミーミーであって、ジェイミー本来の姿ではない。父親やいじめっ子との確執を本当の意味で乗り越えるためには、ジェイミー自身が自分の個性を受け入れる必要があった。そんな彼が、最終的に選んだとある方法は、まさに本作の最大のテーマである”ありのままの自分”を受け入れることを体現している。

このジェイミーの心情の変化、そして成長を見事に演じ切ったマックス・ハーウッドは本作で俳優デビューした超新星ながら、観る人を一瞬にして虜にする強烈な個性とカリスマ性が際立つ。特にリップシンクで「Over The Top」を歌唱する初ドラァグ・ステージシーンの美しさは息を呑むばかり。また、キーパーソンのロコを演じたリチャード・E・グラントは、『ある女流作家の罪と罰』('18・米)でのオスカーにノミネートされたゲイの前科者役も印象的だったが、本作ではドラァグクイーン役を熱演。かつて2019年のインタビューで「異性愛者の俳優がゲイのキャラクターを演じることをどう正当化するんだろうか」と疑問を語っていた彼だったが、あえて本作のオファーを受けた理由として、監督からの一言が大きかったという。「監督であるジョナサン・ブッテレルに会ったとき、『なぜゲイの俳優やドラァグクイーンを起用しないのですか?』と聞いたら、『君は悲しい目をしているから』と言われたんだ。彼は、クリエイティブ・チーム全員がゲイであることを指摘し、(そのうえで)この役を演じるには僕が最適だと判断したんだ」。

ロコ・シャネルというキャラクターの半生の描写に加え、同性愛に悩みそしてエイズでこの世を去ったフレディ・マーキュリーが象徴的に語られる本作には、セクシャル・マイノリティとして今も昔も激闘を続けている戦士たちへの敬意と追悼の思いが満ちている。彼らからの「生きたいように生きなさい。それができるのはあなただけ」というバトンを受け取って、本当の意味での”ありのままの自分”を手に入れて未来に向け躍進するジェイミーの物語に心打たれる一本だった。

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