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都市伝説・テケテケとカシマさんの元ネタを探してみました!

メジャーな都市伝説のテケテケと、戦慄の都市伝説ヒロインと称されるカシマさんの元ネタを調べてみた。

テケテケとは

テケテケ【てけてけ】
ある冬の日、一人の女性が列車にはねられ、上半身と下半身が切断され、即死できずに数分間もがき苦しんだ後、行き途絶えたというできごとがあった。この話を聞いたものは、3日以内に下半身のない女性が現れ、殺されるという。助かる方法はただ一つ、ある呪文をとなえること。

「テケテケ」劇場予告編より

自分が子供の頃に聞いた話では、放課後、旧校舎に下半身がない女子生徒が現れ、逃げると手だけを使って追いかけてくる。この噂話を聞いた人のところに3日以内に、テケテケが足を奪いにくる。とかだったと思う。
助かる方法はわからず、せめてもの自衛策として、布団から足を出さないようにして寝ていた。

テケテケの名前の由来は?

”テケテケ”の名前の由来に定説はないらしい。
ネットではなにも見つからなかったので、図書館に行っていろいろと調べているとそれっぽいのがあった。

テゲテゲ
岩手県九戸郡で、片足とびのこと、徳島県三好郡祖谷山地方でもテギテギという。

柳田國男監修 民族学研究所編
改訂 総合日本民俗語彙 第3巻より

徳島県では片足とびのことを”テギテギ”というらしい。そして、徳島県にはこんな妖怪がいる。

手杵(てぎね)
美馬市木屋平に伝えられている怪物。赤子のような姿だが、のっぺらぼうの一本足で、全体的に手杵の形に似ているためその名がある。円を描くように跳びまわり、山中で踊りを踊っているように見えるので「山舞い」とも呼ばれる。特に何か悪さをするわけではないが、これを目にした人が恐怖のあまり病みつき、ついに亡くなってしまったという話もある(「木屋平の昔話」)

47都道府県・妖怪伝承百科より

テケテケは80、90年代の都市伝説。
テケテケは、70年代に流行った都市伝説と妖怪・”手杵”と方言の”テギテギ”がごっちゃになって、キャッチーな名前のテケテケに落ち着いたのではないだろうかと推測する。

70年代に流行った都市伝説とはなにか、それはもちろんカシマさんのことだ。

カシマさんについて

カシマさんは口裂け女と戦っていない映画にもなっていた。
映画内では以下のようにカシマさんの都市伝説が語られている。

(主演の秋山莉奈がすごく可愛い)

昔ね、カシマさんていう女の人がいたんだって。
カシマさんはずっと一人で遊んでてちっちゃい頃から誰も友達がいなかったんだって。
中学、高校、大学、ずっと一人で過ごしてたんだって。
おとなになっても人間関係がうまく行かなくて、ついにうつ病になって病院に入ったんだって。
それでね、カシマさんはおとなしく入院してたんだけど、あるとき浴衣姿のまま病院を抜け出して、踏切に飛び込んじゃったんだって。
電車に惹かれた体は真っ二つに引き裂かれて、手足はバラバラ。
そのあと、遺体を警察の人が拾い集めたんだけど、どうしても見つからない体の部分があるんだって。
噂ではね、上半身だって説もあるし、手足だって説もあるの。
でも、バラバラになった瞬間、カシマさんどんな顔してたんだろうね。
それで、終わりじゃないのよ。
現れるんだって、カシマさんのユウレイが。この話を聞いた人のところに。3日以内に現れるんですって。
現れたカシマさんはね、3つの質問をするんだって。
その質問に答えられない場合、その人の体の一部をカシマさんがもっていっちゃうんですって。
多分今夜辺り...

カシマさんの呪い -封印された都市伝説-より

メディアとカシマさん

松山ひろし氏の著書に「呪いの都市伝説 カシマさんを追う」という本がある。

この本では、松山ひろし氏のもとにあつまった110のカシマさんの噂、噂が広まった当時の時代背景、カシマさんの正体の考察などが書かれ、”カシマ包囲網”が展開されている。

松山ひろし氏は噂話だけではなく、カシマさん関連のメディアも調べていて、初めてメディアに取り上げられたときの雑誌の記事、新聞記事についても記載があった。いずれも1972年の記事だった。

「『この話を聞いて三日めの、夜中の十一時から午前三時の間に、“化神魔サマ”という下半身のない妖怪が、キミの前に現れ三つ質問をする。そのとき正直に答えないと、呪い殺されるゾ』こんな怪談が、いま札幌市内の中学生を発生源にして、モーレツな勢いで拡がりつつある。
『もし呪い殺されたくなかったら、三日以内に、同じことを五人に正確に伝えなければならない』という条件つきだからたまらない。
五人が二十五人。二十五人が百二十五人にと、ネズミ算式にひろがった。
つまり、ひところ大流行した〈幸運の手紙〉の口コミ版。
地元の新聞社に“化神魔”の正体を問い合わせる電話がかかりだしたというから、
本土上陸も時間の問題だ。
しかし、手紙を書くのが面倒くさくて、口コミにしたあたりさすがは現代っ子。
怪獣できたえられているだけあって、“化神魔”とは、なかなか傑作だ。」

平凡パンチ 1972年 8月7・14合併号より
私の目は「1972年10月11日付」(朝日新聞新潟版)の大見出しに釘付けとなった。
「現代っ子「カシマ」にビクビク」ーーー。
間違いない、記事は実在していたのだ。
同紙面では、ほぼ一面を使って報道されていた。
糸魚川のカシマさんは「顔の左半分が焼けただれたお岩さんのような表情で、鈴の音を合図に姿を表す。右足がないのと、両足のものとの2種類があって、子どもたちに「足、いるか」「名前は」などの問をかける。両足そろったユウレイには「いらない」と答え、片足だったら「いる」と答えるのが正解だが、答え方を間違えたり、ユウレイに名を聞かれて、うっかり自分の名前を答えたりすると、一週間以内にとり殺される」と報じられていて、

「呪いの都市伝説 カシマさんを追う」より

まとめると、

平凡パンチの方は
・夜中に現れる
・下半身がない妖怪
・妖怪の質問に答えないと殺される
・3日以内に5人に正確に伝えないといけない

朝日新聞新潟版の方は
・顔の左半分が焼けただれたお岩さんのような表情
・鈴の音を合図に姿を表す(現れるとき鈴の音がするってことか?)
・右足がないのと、両足のものとの2種類(引用してない所を読むと、”両足がある”ってことのようだ)
・ユウレイの質問に正確に答えないと殺される

似て非なるもののような気もするが、どちらも化神魔、カシマらしい。

カシマさんは男性だった?

カシマさんはWikipediaでこのようにまとめられていた。

「過去に起きた悲惨な事件」の話を知ってしまった者に、電話や夢で「謎」の問いかけがある。これに正しく答えられないと身体の一部を奪われ死ぬ、というもの。その導入部の一例として
「戦時中、米兵に両手足を撃たれ、苦しみ抜いて死んだ郵便配達員がいた」
「終戦直後の混乱期に、米兵に強姦された女性が列車に投身自殺をした」
などがあり、他にも数多くのバリエーションが伝わる。
近年は女性と言われることも多いが噂の発生時には男性の傷痍軍人だったとも言われる

カシマさん -Wikipediaより

カシマさんは、男性の傷痍軍人の都市伝説だったが、次第に女性に変化していったようだ。

カシマさんは沖縄生まれ?

沖縄の怖い話に以下のようなものがあった。

戦争中、家の前の家畜のための水甕の横に、夜になると片足で立っている兵隊さんの幽霊が出た。ユタもいなかったから、「どうしたのかね」と心配して、ご飯を炊いておかずも作って「ひもじかったら、これどうぞ」とお供えしても、毎晩出るから、「なんか思いを叶えてやるから、言ってくれ」と言うたらね、「自分の片足は、どこどこでなくなったから探してくれ」と言い寄ったらしい。そしたら、家の後ろのススキの中に行ったらね、片足があった。「もう、足ここに置いて置くから、元の通りに足自分でつけてください」と言うて水甕の横に置いたら、その晩から幽霊は出なかったって(与那原町上与那原。1903【明治36】年生・女)

47都道府県・民話百科より

この話が初期のカシマさんではないかと思う。

沖縄にはキジムナーという妖怪がいる。
人間に優しい妖怪と勝手に思っていたが、実際は少し違うようだ。

女か男かわからないが小さな子供で、真っ赤なちぢれ毛を垂らし猿に似ている。キジムナーは山から火を盗みに下りてくる。夜中の十二時から一時頃よくあらわれる。キジムナーと友達になると毎晩海に連れて行かれ、必ず大漁になった。ところがどの魚も片目は取られている。大の字形になって寝るときはキジムナーに二,三分ぐらい圧迫され、意識はあるが、身動きすることができず、またキジムナーが来るときはウーとかすかな音がする。

辻雄二「キジムナーの伝承 –その展開と比較-」『日本民俗学』179 号,日本民俗学会、1989 年,114 頁。

キジムナー – 説話と由来を巡る考察より
(ネットで検索したら、PDFだけ見つかって、誰が書いたかは不明。慶應義塾大学の人が書いたらしい)

・夜中の十二時から一時頃よくあらわれる
・大の字形になって寝るときはキジムナーに二,三分ぐらい圧迫され、意識はあるが、身動きすることができず、
・キジムナーが来るときはウーとかすかな音がする。
と、ある。
片足の幽霊の話と組み合わせると、ほぼほぼカシマさんではないだろうか?

沖縄で”カシマ”と名が付くもの

沖縄の方言には、カシマサン(姦しい、うるさいの意味)という言葉があったが、これがカシマさんになったとは考えにくい。
他に”カシマ”がつく言葉は見つけられなかったが、都市伝説は人づてに広がるため、名詞を含めいろいろと変化する。なので、カシマのもとになった言葉は雰囲気が似てればいいんじゃないかと思い、似た言葉を探してみた。

カジマヤー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カジマヤーは、沖縄地方で行われる数え年97歳の長寿の祝いである。漢字では風車、風車祭と表記する。
旧暦9月7日又は9月9日に盛大な祝宴が催される[1]。
太陽暦(365日/年)における97年は太陰暦(354日/年)の100年に相当し、沖縄ではこの年齢になると子供に還ると言われることから、風車(カジマヤー)を持って集落内をオープンカー等でパレードする[2]。小さな離島では、学校の鼓笛隊が加わる等して島ぐるみで祝われることもある[3]。
明治時代頃までは、模擬葬礼であり、死に装束を着せて集落の四辻(カジマヤー)を回ったといい、カジマヤーの名も四辻に因むという説もある[2]。

カジマヤー -Wikipediaより

沖縄で四辻のことをカジマヤーと言うらしい。四辻とは十字路の事で、昔から怪異が起こると言われている。
怪異・妖怪伝承データベース(怪異・妖怪伝承データベースとは、国際日本文化研究センターが公開している、妖怪や怪奇的な伝承を集めたデータベース)の幽霊の項目に以下のような記載があった。

■ 呼称(ヨミ) ユウレイ
■ 呼称(漢字) 幽霊
■ 執筆者 金城朝永
■ 論文名 琉球妖怪変化種目(二)
-略-
■ 地域(都道府県名) 沖縄県
-略-
■ 要約 夜、口笛を吹くと幽霊が出る。多くは四辻に出現する。石垣に向かっていたり下問のない提灯を持っているのは、幽霊である。夜間名を呼ばれても、三度聞かない内は、返事をしてはいけない。二度までは、幽霊でも呼ぶ力がある。

怪異・妖怪伝承データベースより


沖縄の人が、出稼ぎなどで沖縄県を出たときに、四辻(カジマヤー)に幽霊が出た話をし、それを聞いた沖縄県外の人に、”カジマヤー”の意味は伝わらなかったが、音だけは伝わっていて、次第に、”カジマヤー”が場所の名称から、幽霊の名前の”カシマさん”に変化したのではないだろうか。

では、カシマさんになった幽霊はどんな幽霊だったのか。
今でも映画になっている幽霊なのだから、それなりにインパクトがある幽霊だったはずだ。

カシマさんは逆立ち幽霊?

逆立ち幽霊とは、文字通り逆立ちになって自分を裏切った夫のもとに現れる幽霊で、沖縄で作られた演劇「まかん道の逆立ち幽霊」に出てくる。

沖縄ではメジャーな幽霊らしい。

以下は、マダン橋とマカン道―伝承の混同―という論文?にある、演劇のパンフレットの引用の引用。(長いので、引用の下にパンフレットをまとめたの書いてます)

首里金城村の波名城真三郎という男が美貌の妻で、人情にも厚く隣近所でも評判者のマヅルが他の男に取られはしないかと風の音にも目を覚ますと云う明け暮れに、とうとう神経衰弱となり身心共につかれ果てて病の床についてしまったのである。
そのことを伝え聞いた近隣の人々は美しすぎる妻をめとるのも良し悪しと、いろいろ話しに花を咲かせていた。
真三郎の悩みは一層激しくなり遂に危篤状態に陥ってしまった。
ある日、真三郎は苦しい息の下からマヅルに向って「俺はもう駄目だ、治る見込みとてなく死んでいく、お前は俺が死んだら再婚するだろうな、俺はそれを思うと残念で死んでも死にきれない」と泣いて訴える。
それを聞いたマヅルは「何を仰有います、私は如何なることがあっても決して再婚などいたしません。そのような気弱いことを言わず、1日も早く治ってください」と強くはげます。
真三郎は首をふって「お前は若くて美しすぎる。再婚せずと頑張ったところで世間の男が許すまい、又親兄弟とてそのまま捨ておかないだろう。お前を残して死ぬのが俺はたまらないとと泣き叫ぶ。「お情けないお言葉、貴方が死ねば私ももろとも」といくら慰めても、はげましても真三郎はマヅルの真心の言葉を全然受付けようとしないのである。
「私の美しいことが貴方にとってそれほどまでにご心配ならば、私の真心をお見せします」と庖丁を持ち出して自分の鼻をそぎ落してしまう。
マヅルの顔からしたたる鮮血を見て驚いた真三郎は興奮のあまりマヅルにすがりついて泣きわめく。
その事件以来、妻の真心を知った真三郎は不思議なことに症状も日増しに良くなり全快したのであるが、マヅルの二た目と見られない醜さに顔をそむけるようになった。
その折、真三郎は不図したことから遊女と恋仲になり、恩人とも云うべき妻になんくせをつけはじめ無情にも情婦と共謀してマヅルを毒殺して墓に葬り去るが、死んでも死にきれないマヅルの亡霊は恨めしく真三郎とナビーにまとわりつくようになる。
これに怒った真三郎は「マヅルは足が自由に使えるから出歩くのだ」と死体の足を棺桶に釘付けし、寺社の護符を屋敷の角々に貼って恨みを封ぜんとするが、亡霊はそれにもこりず夜な夜なまかん道に現われ人々を悩ますのである。
これを伝え聞いた若き武勇者,池城里之子が亡霊を助けて仇を討たせると云う物語で、その亡霊の恩返しの導きによって池城はメキメキと出世し、光次館池城親方となり、亡霊から与えられた三匹の鯉が住む墓を得て、代々加門は繁栄したと伝えられます。 (沖縄企画部 1974『沖映演劇』パンフレットより)

マダン橋とマカン道 ―伝承の混同― 戸田 有希乃より

嫉妬に狂った病気の夫に誠意を見せるため、美貌の妻は自分の鼻を削ぎ落とした。
夫は次第に元気になり、いつの間にか愛人ができた。
夫は醜くなった妻が煩わしくなり、毒殺する。
毒殺された妻は、夫のもとに幽霊になってまとわりつくが、それに怒った夫は、元妻の墓を暴き、死体の足を釘で棺桶に打ち付けて動けなくしてしまう。
幽霊の妻の恨みはさらに増し、夜な夜なまかん道に現れるようになる。

上記の「まかん道の逆立ち幽霊」は、大正初期に渡嘉敷守良が作った「秋の空の口伝」という演劇がもとになり、1968年に沖縄の劇団が上演したものらしい。

逆立ち幽霊は、1962年に映画にもなっている。

見てないが、Wikipediaを見ると話の筋は概ね同じようだ。(ヒロイン?の名前は玲子だった)

前述の朝日新聞新潟版の記事に

顔の左半分が焼けただれたお岩さんのような表情

とある。これは、パンフレットの文中にある

「私の美しいことが貴方にとってそれほどまでにご心配ならば、私の真心をお見せします」と庖丁を持ち出して自分の鼻をそぎ落してしまう。

のことで、72年のカシマさんに引き継がれているのではないかと思う。

この逆立ち幽霊に、片足の兵隊の幽霊、キジムナーの話の要素が組み合わさり、カシマさんの原型となって、夜な夜なカジマヤーに現れる幽霊として伝わったのではないだろうか。

ちなみに、まかん道に四辻はあるようだ。

画像2

マダン橋とマカン道 ―伝承の混同― 戸田 有希乃より引用

カシマさんの下半身の謎

平凡パンチの化神魔には、下半身がない。
朝日新聞新潟版のカシマは、右足がないか、両足ともある。

逆立ち幽霊の下半身は足が板に打ち付けられている。
だから、足が動かせない。

関係ないように思えるが、逆立ちではなく、足が動かせない人の移動方法を想像して欲しい。

両足を揃えてぴょんぴょんと飛び跳ねるか、足を使わず腕の力だけで匍匐前進するぐらいしかないのではないだろうか。

沖縄の人が県外に出て、カジマヤーに現れた逆立ち幽霊のことを話すときに、釘で足を板に打ち付けられた幽霊、とだけ話していて、逆立ちの話をする人が少なかったのではないだろうか。(演劇「まかん道の逆立ち幽霊」のパンフレットに逆立ちで現れるとは書いてない)
それで、足を動かせない幽霊がどうして動けるのか?と、誰かが疑問に思い、ぴょんぴょん飛び跳ねる幽霊、もしくは、手だけで移動する幽霊を想像し、下半身があやふやになっていってしまったのではないだろうか。

結構、無理筋かなって気もするが、子供の頃、テケテケがどうやって足を取るのかって想像したとき、最初はテケテケの姿見えず、いきなり足首を掴まれて、足を付け根から引きちぎられ、痛がっている自分をテケテケが笑っている。みたいな想像をしていた。
なので、想像力がたくましくて、話が上手い人がいれば、この説もありなのかもしれない・・・

カシマさんの呪いは本当にある?

オカルトエンタメ大学【YouTubeチャンネル】【復習】カシマさん に気になる記述があった。

カシマさんの研究本『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』によると、カシマさんを調べていた都市伝説研究科家が失踪。そしてこの本の作者である松山ひろし氏も出版の翌年に姿を消している・・・・。

オカルトエンタメ大学【YouTubeチャンネル】【復習】カシマさん より

失踪ってどうなってしまうんだろうか?
カシマさんにどこかに連れて行かれてしまうのだろうか?


……その時はその時でまぁいいか。


長い文章を読んでいただきありがとうございました。


ちなみ、テケテケ、カシマさんに興味を持たれたら下のyoutubeがいいです。



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