私の経歴、大道芸を始めたわけ、大道芸とは何か 一九九五年・夏 ⑧/十分割 【仮公開】

内題:私の経歴、大道芸を始めたわけ、私にとって大道芸とは何か、などについて(友人の写真家・M君への手紙)一九九五年・夏 ⑧/十分割

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 第十六章 辺境最深部に向って退却せよ!

 これは、太田竜という人が、『辺境最深部に向って退却せよ!』という自身の本の続編として書いたもので、だから『再び……』となってはいますが、読み方によっては、〈辺境最深部〉に向っては一度ならず二度までも(或いは、何度でも繰り返し)退却し直さなくてはならない、そういう意味にも取れます。(太田竜が〈中央の頂点〉という言葉を使ったことがあるか。たぶん無かったと思いますが、)辺境最深部というのは、現代日本文化の中央の頂点と対峙〔たいじ〕し、さらに現代日本文明のシステムの総体と対決して行くための退却点として構想されたものです。具体的な地理上の場所を指すと同時に、精神の依〔よ〕り所のようなものをも示しています。

 本の内容を僕流に紹介しますと(全くの僕流になります、あしからず!)、例えば僕らの小学校時代、学校の図書室に行くと、その一角に、小学生向けに書かれた数々の偉人伝が並んでいました。僕は『野口英世』の話が好きで、他には『エジソン』『ベーブ・ルース』なとを読んだ(読まされた)覚えがあります。ところが、『福沢諭吉』『ワシントン』『ファーブル』『ナイチンゲール』『ヘレンケラー』『キュリー夫人』……等々は、読みもしなかったのに、これらの名前だけが、背表紙の活字の形や色のはげ具合などと一緒に、今も目の底に焼きついています。僕はとくに読書好きな子供ではありませんでしたから、むしろ読みもしなかった数々の偉人たちの名前の方が、いつまで経っても近づけぬ、そして乗り越えられぬ壁、なにか障害物(コンプレックス)のようにいつも心に引っかかっていました。図書室に行くたびに、それが意識の表層に浮かび上がってくるのでした。

 この偉人たちを見なさい! この人たちを尊敬しなさい! なれるものなら、こういう立派な人になってみなさい!(これは万人を大切に考えているのではなく、人を選別する思想、エリート主義です。結局、)人よりも努力しなさい! そして、人の上に立つ人間になりなさい! 僕たちは小さい頃から、こう言われ続けて育ってきた気がします。言われなくても、身のまわりにあるいろんなものが、例えば、今度は音楽室の黒板の上に並べられたバッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト等々の肖像画までもが、無言のうちに同じことを語っていた気がします(一人一人の「偉人」たちの生涯の切実な内容は、もうあまり関係がありません)。

 そこで、僕たちは人よりもたくさん勉強をして、人よりも立派な学校に上がり、人よりも立派な仕事に就く。人より抜きん出ることを重んじる。勉強が得意でなければ、スポーツの盛んな学校に進み、行く行くはオリンピックの選手になる。

 最近はこれが「サッカー・ブーム」で、「Jリーグ」の定員枠の何十倍、何百倍の数の小学生たちに、まず叶〔かな〕うはずのない「夢」を抱かせるのです。子供たちが夢を抱くのは良いことだとしても、夢のあり方が本当に健全か、それは本当に子供たちを幸せにする夢なのか。そうではなくて、それによって、実はスポーツ用品の業界に莫大な利益をあげさせるための「夢」ではないのか? こうして消耗されるサッカー・シューズの数は、ここ数年、うなぎ登りとなっているに違いありません。

 勉強しろ! 勉強しろ! と生徒たち、受験生たちを煽〔あお〕るのも、それによって、ひとつには教育産業、受験産業が膨大な利益をこうむるからで、しかし学習参考書、受験参考書に使われた紙を考えただけでも、僕らの知らぬ余所〔よそ〕の国の大切な森林や土地を、ずいぶんと手前勝手な理由で荒らしてしまっているものだと思います。

 そして、実を言うと、ここ数年来の「大道芸ブーム」の背景にも、同じ種類の動機が働いていたらしいのです。

 様々な物資が浪費、消耗されるだけでなく、今、ここで考えたいのは、僕たちの生きて行く情熱、また子供たちの育って行くエネルギーがずいぶんと無駄な、無駄という以上に有害でさえある努力、教育の本質、文化の本質、人間性の本質をないがしろにしてしまうような努力に費やされてしまっているのではないか、ということです。心も荒らされているのです。

 子供たちは学齢に達するや否〔いな〕や(或いはその少し前ごろから)、現代日本文化の枠組に順応して生きていくための一種の世界観のようなものを、徹底的にたたき込まれ始めます。登校拒否でもしない限り、これが少なくとも義務教育の九年間は、いろいろな局面で執拗〔しつよう〕に繰り返されます。最近では学習塾がこれを補完します。塾に行かない子も、帰宅してテレビのスイッチをひねりさえすれば、漫画雑誌を開きさえすれば、これが「世界観の先生」になってくれます。

 僕の場合は『巨人の星』という漫画全巻が、長い期間にわたって、僕の「人生観の先生」でした。全巻を読破し、内容をよく記憶しました。主人公の星一徹父子〔ふし〕に倣〔なら〕って、住んでいた団地の階段をウサギ跳びで登りました。こうして「根性」という言葉を覚えました(そのとき、人気商業野球チーム、ジャイアンツのトレード・マークの入った野球帽を被〔かぶ〕っていました)。おかげで中学に上がったとき、僕の上がった中学に野球部はありませんでしたが、卓球部の、校内でも知られた「しごき」に耐え抜くことができました。そして同時に、先輩に対しては敬語を使う習慣、先輩の指示には絶対に従う習性など、日本的な、「タテ社会」における人間関係というものまで、僕はここで徹底的にたたきこまれました。

 このようにして、義務教育を終える頃にはたいてい皆、現代日本文化の枠組に適〔かな〕う世界観、人生観、価値観(嗜好〔しこう〕)の輪郭を習得してしまうのだろうと思います(二宮金次郎の像は今でも全国の小学校に置かれてあると聞きます)。

 さて、こうして一〔ひと〕クラス四十数人 × 七クラスの生徒たちが皆、勉学によってであれ、スポーツによってであれ、或いは芸能・芸術によってであれ、現代日本文化の中央の頂点を目がけて登っていこうとしても、本当にそこにたどり着くことのできる者はクラスに、あるいは学年に一人いるかいないかで、実のところはほとんど全員がそうではない、ずいぶんと地味で堅実な、しかしそれでも豊かに生きる生き方を、探し直さなくてはなりません。ところがこの、地味で堅実な、人を押しのけず、しかし自分なりに豊かに生きていく生き方というのは、この方がもっとたいへんで、そんな生き方は、僕たちは生まれてこの方(少なくとも学校では)誰からも、一度も教わったことがないと思うのです。小学校に入学するころから中学卒業、高校卒業、大学卒業まで、考えてみたことさえなかったと思うのです。なんと言うか、もう上目づかいにしか世の中が見えなくなっているのです。

 「生涯学習」などという言葉も、もしかしたら眉唾〔まゆつば〕ものかも知れません。僕たちは一生涯マインド・コントロールを受け続けることにもなりかねません。

 現代日本文化や教育のあり方全体が、皆を豊かにし、幸せにするようには始めからできておらず、各分野にごく一握りのエリートたち、選ばれたものたちを育て、これらを表舞台に押し上げ、或いはより重要な演出や裏方を担わせ、一方、他の大勢を様々に選別、差別し、ランク付け、それぞれの指定席(招待席・S席・A席・B席・……・立ち見席など)に着かせ、一斉に前を向かせ、脇見や私語を禁じ、皆一斉に、一様に拍手させたり、笑わせたり、涙を流させたり、最敬礼をさせたり、こんなふうに出来上がってしまっているのです。

 「人生の一刻も早い時期にドロップ・アウトした者の方が、人生について、世界について、まともに考えるようになる見込みがある。」

 こう言い切る、この太田竜によると、現代日本文化文明の不幸なあり方の象徴として天皇がおり、防衛・警備・警察機構があり、官僚組織や独占企業、そして大学があり、競争社会があり、一方これらの対局に、「日本国」の辺境に追しやられ、追い立てられているアイヌ民族や琉球民族、また最深部に押し込められている被差別部落民や在日朝鮮韓国人、公害病患者等々がいるのです。

 ここで、本当に豊かな社会、正しい世界のあり方を探って行こうとするのなら、先ず、中央の頂点に目を奪われがちな我々の習性(若年期にたたき込まれた第二の本性)、そして日々の生活態度を矯〔た〕め直し、逆向きに、

 「辺境最深部に向って退却せよ!」

 というテーゼが出て来ます。「中流意識」に立った中途半端な改革志向は話にならない。各自の徹底的な意識革命、自己革命が必要なのだ。価値観の上下、世界観の「天」と「地」をひっくり返してみよ。

 先ず、自分自身のアイデンティティを「単一民族国家日本国」の「国民」であることに置くのを辞め、日本国の辺境に追い立てられ、追い詰められているアイヌ民族や琉球民族の世界、これを言い換えると〈日本原住民の世界〉に置こう、この仮想の〈共和国〉の人民に志願せよ。さらには「国境」を越えて、というより〈辺境〉を突破して、アイヌ民族に繋〔つな〕がる北米のエスキモーやアメリカ・インディアン、そして南米のインディオ等々、環太平洋各地で「文明」の辺境に押しやられている原住民たちと手を繋いで行こう。

 こんなふうに辺境を越え、こんなやり方で〈世界〉と繋がって行こうとする思想、これが、位相をずらしたところ、かたちで顕〔あらわ〕れたのが、五木寛之の『戒厳令の夜』という小説です。いずれの場合も、僕のように「東京(成田)」のパスボール・コントロールを通って「世界」へ出て行こうというのとは、ずいぶんと趣が違います。太田竜に戻ります。

 原住民族たちの〈世界連邦〉を建設しよう。闇に埋もれかけている世界原住民族たちの文化、世界観を蘇〔よみがえ〕らせよう。これら世界原住民族たちの連帯によって現代の「文明世界」を包囲し、世界を周辺から、或いは根底から変えて行こう。

 「日本人」たちの学ぶべき言語は古くは中国語(漢文)、次にはオランダ語(蘭学〔らんがく〕)、近くはドイツ語、フランス語 米(英)語等々ではなく、自分たちが迫害して来た民族の言語、アイヌ語、琉球語、韓国朝鮮語の3つだ。

 もう少し続けます。

 この人のその後の研究では、昔、日本列島の原住民(縄文人)たちの世界の中央部に、朝鮮半島経由でユーラシア内陸の騎馬民族が割り込んで来て、やはりその少し前に日本列島に上陸していた比較的温厚な渡来民(弥生人)たちから「天皇」の地位をさん奪、日本列島を北(蝦夷〔えみし〕やアイヌ)と南(隼人〔はやと〕や琉球)に分断。彼らは古代オリエントや中国の「文明」の洗礼を受けており、その世界観のもとに日本史を偽造、捏造(この偽造、捏造された「日本史」が20世紀の末葉、今もって学校で教えられている)。この、いわば古代〈皇国史観〉のもとに、さらに北と南に少しずつ版図〔はんと〕を拡〔ひろ〕げて行き、ときに平将門〔たいらのまさかど〕の乱など、実は日本原住民系と見られる氏族、部族の幾多の反抗、反乱を抑えつつ、明治に至ってようやくの「北海道」と「沖縄」までを「日本国」地図に書き加えた。さらには朝鮮半島、台湾、樺太、満州にまで勢力を拡げ、それだけでは飽き足らず「大東和共栄圏」の妄想を抱き、それに本当に手を出して大失敗をした(実はその前にも一度、秀吉が「朝鮮征伐」に手を着けて、やはり失敗したことがある)、こういう、過去2,000年の日本歴史の一貫的、根本的批判。

 その一方で、迫害、放逐〔ほうちく〕されていった原住民たちの側から見た日本歴史、〈日本原住民史〉の発掘。日本原住民たちの文化におそらく直接繋〔つな〕がると見られるアイヌ文化や縄文文化の研究、特にこれらの〈食文化〉の研究。

 太田竜によると、人類の歴史が誤った方向に歩み出した最初が「農耕牧畜の発明」、つまり自然界の生産機構と生産能力への人間の恣意〔しい〕の介入で、これで膨大な奴隷労働力と兵力を維持、量産していくための、いわば「代用食」の大量生産が可能になった。こうして「四大古代文明」は生まれた。確かに文明地帯では人口は幾何級数的に増大し始めたが、これは現在の深刻な人口問題の遠因、というよりそもそもの原因となる。自然の生態系もこの農耕牧畜の発明によって壊れ始め、地球の砂漠化が始まる。人間の摂取する栄養(代用食の栄養)のバランスはカロリー過大重視の著しく偏ったものとなり、現代の成人病、肥満、過食症、拒食症等々と同根の新しいタイプの一群の病気を生む。

 のみならず、これは人間の精神活動をも不健全にし、例えば、第二次世界大戦中及びその前夜のドイツ国民たちの異常行動と肉の消費量との間には相関関係がある。

 そもそも霊長類、人類の進化は「弱肉強食」の「競争原理」によってではなく、〈相互扶助〉の〈協力原理〉によってもたらされたものだ。

 (以上、手元に文献が無い状況で、思い出すままにたどり直して見ました。正確な引用や紹介はできませんし、ここではその必要もないと思います。あくまでも僕のとらえた〈太田竜〉ということです、あしからず!)

 太田竜の研究は、以上のように多岐にわたり、かつ一貫した、独特の体系をなしており、僕は一時期、非常に熱中してあれこれ読んだのですが、太田竜は、この膨大な知識、認識の上に立って、私たちに単に意識の革命に止〔とど〕まらず、生活の革命を迫るのです。何より〈食生活の革命〉が意識革命、果ては〈世界革命〉の第一歩だと説くのです。

 しかし、第一歩の食生活の革命にしても、そう簡単ではなさそうです。ここは割愛します……。

《私の経歴、大道芸を始めたわけ、大道芸とは何か 一九九五年・夏 ⑨/十分割》に続く。


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https://note.com/tarafu/n/n6db2a3425e5c

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