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10分読書ー無発酵のパンと心の静澄。

たった10分間ずつ、詩集、物語、論考の3種類を読み、気になったフレーズをメモする読書を1週間続けた。このまま、目指せ、1000日。きっかけはとあるNOTEを見た事なんだけど。そのNOTEは一番最後に。たった1週間だけれど。自分の中で過去の点と今がつながった、良き体験になったのでシェア。

詩集:ヨーガスートラ 佐保田 鶴治解説

3年くらいゆるーく続けているヨーガ。そのヨーガには聖書みたいな経典があって、それがヨーガスートラ。4章140節からなる詩で成り立っている。今日読みたかったのはここ。

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三昧に対する障害とは
1:病気 2:無気力  3:疑 4:放免 5:懶惰 6:執念 7:妄見 8:三昧の境地に入り得ない心理状態 9:三昧の境地に入っても永く止まり得ない心理状態など、すべて、心の散動状態をいうのである。
 

3:放免 気が散って集中できていないこと。
5:懶惰(らんだ)は心も体も重く何もする気になれない状態。 
8と9はそれぞれ
8:努力しても向上出来ない 9:向上しても維持出来ない
 
と言い換える事ができるそう。

てか、この9個、今の自分に、全部当てはまるじゃん、、、。しかも、一時ではなく、慢性的にこの9個に支配されている。もう数ヶ月も。

こういうことを、例えば、

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あるいは、気を出す法と、それを止めておく法とによっても、心の静澄が得られる。

(気を出す法→プラーナヤーマと呼ばれる呼吸のコントロール法)ヨーガには呼吸をコントロールしながら、心の静寂を迎える技法があって。その技法の説明や、概念も描写されている。

三昧(瞑想の先に訪れる、心の平穏)にたどり着くことを邪魔する心の乱れを鎮めたり。そうなりにくい精神状態に、自分の思考を改善できたりする。2000年前からの技術としてそれが受け継がれているのだが、まぁ、抽象的で言い回しも難しい。

例えばこの、気を出す法、それを止めておく法。
行為でいえば、息を吸う事、吐く事、止める事。
の組み合わせというシンプルなものとも言えるんだけれど、シンプルなんだけれど、それだけじゃない。
そこに「気」の概念やら入ってくるから、解説がないと読めないし。その解説者がヒンドゥー教寄りの解釈なのか、仏教寄りなのか、密教寄りの解釈なのかでも違うし。

そもそもの経典が抽象的な表現も多く、ヒンドゥー語からの訳し方ひとつでも、何通りもの解釈ができてしまうという、なんとも柔らかな経典で。

かといって。ヒンドゥー語を勉強して、インドにいって、その言葉の意味を掴んでくる。ということを、今からやる気力もなく。ありがたく翻訳本を読んでいる。

でも、やはり、行為はとてもシンプルなものの組み合わせで。行為の中から「ヨーガスートラはこういうことを言ってるんじゃないか???」ということを、身体で覚えて探究していく。ということを教えてくれるのが、ここの東京ヨーガセンター。(そんな深い話をしながらやるわけじゃなく、体を動かし、呼吸を整え、瞑想に入っていく1時間のクラスを受けてます。オンラインさぼっちゃうから、通いに移行して、まだ1週間だが、、、。)

物語:旅をする木 星野道夫


星野道夫さんの本はいつ読んでも、良い。美しい。亡くなってから26年が経った今、アラスカの自宅から星野さんが撮った写真が見つかったというニュースを見た。そんなことある!!??? 勝手に、現代へのラブレターだなぁと思ってしまう不思議。ただ、ずっとそこにあっただけなのに。


今、南東アラスカの海を旅しています。今日も船の上の生活の1日が終わろうとしています。とりたてて大きな出来事があった訳でもないのですが、満ち足りた今日一日のことを誰かに伝えたく、筆をとりました。(p18 )

とりたてて大きな出来事があった訳でもないのですが、満ち足りた今日一日のことを誰かに伝えたく、筆をとりました。

こんな書き出しで一日を迎え、終えたい。アラスカじゃなくても、大自然の中じゃなくても、なにもかもうまく行ってないと思うような日々でも!!!
これは、できるはず!!出来事は必要ない。まずは、心の静澄じゃ!!!

論考 ふしぎなキリスト教 橋爪 大三郎✖️大澤 真幸

 
これ、本当に読みやすい。対談しながら進むので、一区切りが短いし、話し言葉なので、読んでると自分に語りかけてくれているような雰囲気になるので良い。

今日はユダヤ教の始まりの部分を読む。エジプトとメソポタミアという大きな国に囲まれた小さなカナン地方という場所で、ユダヤ教は生まれた。小さな共同体の中で、どうやって、自分たちの神、ヤハウェを信仰させていくか。

第一は、儀式を行う。牛や羊などの犠牲を捧げる (中略)
第二は、預言者に従う。ヤハウェの言葉を伝える預言者に、人びとは従った。
第三は、モーセの律法(聖書にまとめられている)を守って暮らす。
(p33)

この三つで、じわじわと契約共同体という同じ神を信仰する仲間を増やした。で、それぞれのリーダーとして、祭司・預言者・律法学者がいるんだが、それぞれ仲悪く、対向関係にあった。神殿が燃やされ、祭司の存在が途絶え、預言者もいなく、ラビという名の律法学者だけが残っている。それがいまのユダヤ教。ほう、ほう、ほう。

ラビといえば!!

Rabbi Lord Jonathan Sacks という人のTEDTALKSを数年前に聞いたのを思い出したが、この名前の初めについている’’Rabbi’’は、律法学者ということなのか。そうか。このジョナサンサックスさんが、

ユダヤ人たちは2千年もの間追放され 方々に散らばって生きてきましたが アイデンティティーを決して失いませんでした
なぜでしょう?
少なくとも1年に1度は 過ぎ越しの祭りに 物語を子供たちに教え
奴隷の苦渋を味わう無発酵の苦難のパンと 苦いハーブを食べます
こうして私たちは アイデンティティーを保ってきました
私たちは皆 立ち戻って 物語を語るべきだと思います(7:58~~)

と語るシーンがある。これが、まさに「律法」の力だったのか!!(このTEDもめちゃくちゃよいです。)

ユダヤ教の律法は、ユダヤ民族の生活のルールをひとつ残らず列挙して、それをヤハウェの命令(神との契約)だとする。(中略)日常生活の一切合切が、法律なのです。
もしも日本がどこかの国に占領されて、みながニューヨークみたいなところに拉致されるとする。(中略)夏には浴衣を着て、花火大会を見物に行くこと。・・・・みたいな事が、ぎっしり書いてある本をつくる。そしてそれを天照大神との契約にする。
これを守れば100年立っても、いや1000年経っても、日本人のままでいられるのではないか。こういう考えで、律法はできているんですね。(p43)

この本に書かれていることを、まさに実践というか、教える立場で守ってきたのが、数年前に聴いたジョナサンサックスさんたちの仕事なのか。

わぁ。なんか。感動した。

とりたてて大きな出来事があった訳でもないのですが、満ち足りた今日一日のことを誰かに伝えたく、筆をとりました。

おかげで、今日は星野さんみたいな気分で一日を終えられそうです。
過去の体験(読書を含む)に今の読書が、このように少しずつ繋がっていくのかと思うとワクワクします。そういえば、一昨日読んだ土井先生の本にはこんな事が書いてあった。

一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。(汁一菜で良いという提案・土井善晴)

一汁一菜は無発酵のパンのように、1000年後の日本人のアイデンティティになっているのだろうか(たとえ、住処は散らばっていても。)。逆にいえば、こういう「食」や「システム」を失えば、この土地に住み、日本国籍を持っていたとしても、それはもうアイデンティティを持っているとは言えないのか。

東京ヨガセンターの代表、すなお先生は、インド人と日本人とのハーフで、ずっと日本で暮らしてはいるけれど。大人になってから、ヨーガの行為の中に、自分のアイデンティティを感じるようになったと言っていたなぁ。

「アイデンティティ」って、改めて、なんでしょうか。行為と形だけが続けば、感じるものなのでしょうか。思考の旅はつづく。

故意に探す訳では無いけれど。いつか、どこかで誰かの言葉に星座のように繋がるのでしょう。


10分読書は、この篠田真貴子さんのNOTEを読み、クリエイティブになりたいというか、こういう読書がしたい!!と思って続けてみました。

体調が悪く(9つの心の散動状態にあるw)、一冊の本を読み切る集中力がないけれど、10分なら、短編一つなら。長い論考も読み切らなくても、10分読んだ部分で一日一日完結させることなら、今の自分にでもできるのではないか?と考え始めてみました(古典はいつか挑戦するとして・・・)。やってみて、このシステムなら、できそうなので、公開するかは別にして、続けようと思います。

2000年前の思想・文化・行為・言葉。今生きている人のそれが「今ここ」に混在し、インド・アラスカ・日本・エルサレムと場所も超えて、たった30分で、行ったり来たりできることは、本の成せる魅力ですねー。

ということで。読んでいただき、ありがとうございます。おすすめの本あれば、教えてください(特に詩集)

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