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たーさんせんせいの自己紹介②ブラック編(その1)
僕は、20代はいろいろな仕事をしてきた。その中でも、今日は24歳~26歳までの、かなりブラックな部分を書いてみたいと思う。
特に何かの参考になるわけでもないと思うので、気らくに読んでください。
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24歳の春、僕は株式会社メビウス(仮)というところに入社した。いや、正確には、入社ではなく、その会社と契約をした。
なぜ入社ではなく契約なのかというと、その会社の雇用形態がフルコミッション、分かりやすく言うと完全歩合制と言って、営業で売った分だけが給料となる仕組みだからだ。必要経費その他もろもろは全て自分もちで。
だから、極端な話、1月やって、なんも売れなかったら、お給料0円な上に、交通費などは自分で出すので、赤字となるわけである。
だから、雇われたというわけではなく契約社員なのだ。
その会社は新宿2丁目のビルの6~9階まのフロアで営業していた。
仕事内容は、営業。それも、バリバリの。
商材は自己啓発教材。うーん、あやしい。
お値段は485,000円。これ一本です。他は何もない。すごくないですか?
この485,000円の教材を、その辺の20代の若者に売りつけるのです。
もーあほみたいにシンプル。ただ、ひたすらに気合いと根性。そして、いかに腹が座っているのかを試されるのである。
では、どうやって売るのかというと、基本的には、紹介。買ってもらったお客からの紹介。
どうやって紹介をもらうのかは、これはあとで書きますが、とにかく紹介してもらうしかない。まぁほかの方法もあるんだけれども、これはまたの機会に書くとしよう。
さて、何とか紹介をもらって商談にこぎつけたら、そこから怒涛の営業トークで、契約させる。もう神がかりとでもいうべきか、血と汗と涙の結晶でできた、魂の営業トークで契約までこぎつけるのです。
さて、ここで、これってホントに売れるの?という疑問がわくと思いますが、まさにあなたが思っている通りです。「はい。売れません。」圧倒的に難しいです。というか、無理です。契約までいくのは限りなく、神の領域です。
じゃあ、どうするんですか?という声が聞こえてきそうですが・・・
その前に、社員になるきっかけやなど、その前のことに触れておこうと思います。
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僕は、大学を卒業してすぐに埼玉県にある「中央住宅(ポラスグループ)」という、地元では割と有名な住宅メーカーに入社した。もともと、営業という仕事に興味があったことと、どうせ売るなら大きくて、高いものを売りたいという単純な理由。それに、親元を離れて一人暮らしがしたかったので、寮のある会社を探していた。
だから、この会社は自分にぴったりだった。
入社してすぐに、僕は不動産売買取引の営業部に回された。ほんとは、新築の家や注文住宅を売りたかったのだが、それでも土地や中古住宅を扱うことには、そんなに不満はなかった。
ただ、仕事内容は朝から晩まで、チラシ配り。
不動産売買の仕事は、簡単に言うと家を売りたい人と買いたい人をマッチングさせて、その仲介手数料をいただく仕事。だから、インターネットがそこまで、普及していない時代だったので、基本的にはまだまだアナログで、家売りませんか?のチラシを配り、お客をつかまえるのが仕事の第一歩。
テレアポも飛び込み訪問もやってはみたが、一番効率が良いのがチラシ。
だから、僕はがんばった。毎日毎日、チラシを配った。
30万で買った中古の車に、毎朝チラシを積み、朝から晩まで配った。
まずは、自分のお客をつかまえるために。
不満がなかったわけじゃないし、想像していたのと現実は違うと思ったこともある。でも、社会人一年目でそんな簡単にいくわけがないし、これくらい当たり前だとも思ったから、そこまで不満はなかった。ただ一つをのぞいては。
それは、同じ営業所にいる、先輩や上司に対してだった。
営業所には、3人の先輩社員と上司のおじさんがいた。僕の中では、社会人の大人って、もっとカッコよくて、頼りになって、あこがれる存在だと思っていた。でも、そうではなかった。
仕事は仕事としてするが、それだけ。そこに理想や夢や希望みたいなものが全くなかった。だから、僕は早くこの人たちを超えたかった。だから、一生懸命チラシを配った。
と、まぁここから僕のサクセスストーリーが展開するといいのだが、そうは問屋が卸さない。ひたすらにチラシを配るも、お客さんからの反応は限りなくゼロに等しかった。やったことある人は、分かると思うけれども、やってもやっても反応がないっていうのは、かなりしんどい。
そして、週末に上司や先輩に連れられて、飲めないお酒を飲みに行く。
「ま、お前もそのうち客がつくから心配すんなって。」
「俺も最初はそうだったよ。」
なんて、お決まりのなぐさめの言葉を聞いて、寮に帰るのである。
そんな日々が半年ほど続いた。
寮では、同期の仲間が15人ほどいた。寮には食堂があり、朝夜と食事が出て、いつもいつも仲間たちとしゃべったり遊んだりしていて、それはほんとに楽しかった。
さて、ある日のこと。いつものように7時過ぎに会社を出て、8時前に寮についた。で、大体いつものメンバーで夕飯を食べる。それもお決まりのパターン。
しかし、その日はいつものメンバーのりょうちゃんがいなかった。まぁ、その時はたいして気にも留めなかったが、なんだか気になったので、シャワーを浴びて、11時過ぎだろうか、りょうちゃんの部屋を訪ねた。
まぁ今思えば、この瞬間が、僕の運命が大きく変わった瞬間だった。
「今日夕飯いなかったね。どうしたの?」
「ん、ちょっとね。」
「ちょっと?何ちょっとって?」
「ちょっとはちょっとだよ。」
「ちょっとじゃ分かんないよ。言いたくないならいいけど・・・。」
こんなやり取りをしばらくした後
「んーお前になら教えてもいいかなぁ・・・。」とかなりもったいぶって言ってきた。
「えー何々?教えてよ。」
「やっぱりどうしよっかなぁ・・・。」
「なんだよ~言えよ~。」はい。またまたお決まりのパターン。そして、、
「絶対言うなよ。お前にだけ教えるんだからな。」
「言わない、言わない。絶対言わない!」
純情でピュアな僕は、まんまとりょうちゃんの作戦にはまった。
「実は俺、社会人サークルに入っていて、すごい人たちと会って勉強していたんだよね。」「お前、そういうのあんまり興味ないでしょ?」
完ぺき「引き」のトーク。これまた、まんまとはまる。
「まじか!めちゃめちゃ面白そうじゃん!教えてよー。」
「いやーでもなー、やっぱりやめとくよ。俺もあんまりうまく説明できないし。」
ここでも、もったいぶる。
「いやいや、大丈夫。ちゃんと聞くから教えて。」
もう完ぺきに、やられています。これが女の子なら完全アウトですね。
「じゃぁ、しょうがないから教えてやるよ。」
完全にイニシアティブをとられています。
「実はさっき言ってた、社会人サークルみたいなのに入っていて、いろいろなことを、すごい人たちに教わっているんだよね。ほんとにすごいよ。お前も会ってみたら、やばいぞ。例えば、成功するためには法則があるって知ってる?そういうのを、ほんとに分かりやすく教えてくれるんだよ・・・」みたいな話を、2時間くらいされたと思う。
これを読んでいるあなたは、そんなことに騙される奴いるの?と思うかもしれないが、今から20年以上前のこと。まだインターネットが全然普及してない時代で、今と違って何もかもが簡単に手に入らない時代。
知らなかったことや、はじめて聞く言葉。そして何より、その話に出てくる、僕が理想としていた「かっこいい大人たち」の話を聞いて、僕は興奮しっぱなし。あっという間に夜中の2時過ぎになっていた。
一通り、説明を聞いて
「興味ある?」っていまさらかよ!って感じだけれども
「もちろん。で、それっていくらかかるの?」
もうやる気満々です。
「高いよ。実際これだけのことを学べるとしたらいくらくらいだと思う?」
また来ました。そういうの、いらないよ。素直に教えてよ。じらすなよ。と言えずに
「んー300万くらい?」適当に答える。
「いやいや、そんなにしないよ。月々1万円くらいかな?」
「安!俺も参加したい!」
ってなわけで一丁上がり。いとも簡単に釣れたのであります。
と、勘のいい人は、この辺で気づいたと思いますが、これこそ先ほど、僕が働いた会社の商材なのです。月々1万円というのは、485,000円を5年間ローンを組んで、その商材を購入した額。
というわけで、ここから、なかなか一般の人では経験できない、珍妙でワイルドで少しやけくそな20代の青春がスタートしたのです。
思ったより、長かったのでこの続きは、ブラック編(その2)で。
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