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    " 迎 春 寿 福 " のごあいさつ。                  

文責/平川武治。
初稿/令和6年正月3日。
写真/葬儀の際に配られたVivianne Westwood のポートレート。

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 「 謹賀新年。みなさま、あけましておめでとうございます。」

 皆様の新年の年明けはいかがでしたか?
お穏やかで、おおらかな新年を大切な人たちとご一緒にお迎えになられたことでしょう。
 
 年が変わった今年は新年早々、色々な災難が起こってしまいました。
過大なる被害を受けられた皆さまにお見舞いを申し上げます。
 
 多分、始まったばかりの今年は決して、“順風万歩“とは行かない"月の周期"に入ったと
認識しそのこゝろつもりも必要な年のようです。

 「安心・安全」を求めるには、自らの”居場所“と“リスクとコスト”が必要ですが、
日本人の僕たちにはこの意識と認識が島国なのでどうしても希薄ですね。
 世界の彼方では、現在もこの「安心と安全」な生活の為にあるべきはずの「宗教」の違いを表面上の理由にして、誰かが儲ける為に“人命“という“リスクとコスト”が懸った戦さが
繰り返されています。

 「安心と安全そして、快適」を求めるにも、フィジカルな人間性がその根幹に必要でしょう。僕の場合は、「謙虚」と「誠実」を根幹に、「他者のために思いあうこゝろ」を忘れないように平素より、こころしています。

 さて、今年もこの「平川武治の全仕事・私文古書庫」を変わらない平川武治の視点で、
日本のファッションメディアと称する媒体では書けない眼差しを持って真実を誠実に見つめ、書き連ねる覚悟です。好奇心在る方はどうか、よろしくお付き合いと共に、ご指導、ご鞭撻を
おねがいいたします。

 今、僕は80歳になろうとしています。
ファッションの世界ではすっかり "オールドスクール "になってしまいました。
 かつての白人至上主義者によって構築された「西欧近代」のパラダイムが限界に達してしまったという現実。そして、現在のライフスタイルはより物質的な豊かさのみが進化する。
 そんな時代のファッションの世界におけるファッション・デザインは
今後、これにどう向き合うべきなのか。そのためにファッションビジネスはどうあるべきか。また、そのために避けられない"新しいパラダイム"とは?
 こんな視点をコロナ以前から、私は学生やこの世界の人々に機会あるごとに提言するようになりました。
 
 「これからのファッション・ディレクターであるあなたたちは、何をディレクションするのでしょうか?或いは、すべきですか?何を演出すべきか、何をイメージングすべきか?
もう、こんなにありとあらゆるモノがある時代なのに?まだ、"ゴミ"をつくるのですか?
そして、ファッション・ビジネスとはただ、儲けるための世界なのですか?」

 「西欧近代」が崩壊したこの時代に、僕の40年の経験とそこから学んだスキルそして、
私のこころの中にある感性をひとつにして、接する若い人たちにこの現実とその根幹を
語りつづけたいと願っています。
 僕の答えは、「これからは、ファッションの世界の人達も”倫理観/Sense of Ethics”を
念頭に置いてビジネスを想像し、デザインし、イメージングしてください。」です。
 僕が提言する今年の "ファッション・キーワード"は「倫理観/Sense of Ethics」です。

 おそらく、今年はよりトレンドになる「サステイナブル」でしょうが、
この「サステイナブル」でやっていることの基本原理も「倫理観」が根幹でしょう。
そして、古い「西欧近代」で構築した「利権ビジネス」というパラダイムをどこまでも引き伸ばそうとする白人社会のテリトリー世界での「SDGs」や「気象危機」などの現在における「負」の要因のその殆どが彼らたちが求める「発展」という名の「強欲」によって引き起こされた末期的諸現象です。
しかし、ここにも、「地球及び、自然環境と人間生活のための倫理観」が根幹原理ですね。

 ここに、僕たち日本人は西欧人とは異なる独自なる「宗教とその哲学」からの
「倫理観/Sense of Ethics」も、未来のための"新しいパラダイムシフト"には絶対に不可欠で必要な、"思想と考え方"の一つであると信じて僕たち日本人しか持てない発想で彼らたちと
共に、行動する新しい年にしたいものです。

 亡くなって1年が経った、VIVIANNE WESTWOODの彼女の"パンクスピリット"は
決して、音楽の世界のみの「PUNK」ではありませんでした。
 彼女の晩年の生き方を知れば知るほど、とても強靭でラギッドな気骨ある"パンク精神"を
持ち続けられたファッションデザイナーとして尊敬の念が深まるばかりの人です。

 彼女の晩年の "パンク "は、自分のブランドのために「サステイナブル憲章」の制定と
その実践に尽力したことです。また、私生活でも"ヴィーガン"を実践していた人でした。
 そして、僕に目に見える形でこの世界へ大いに好奇心を持つことを教えてくれた一つが、
彼女独自の「VIVIANNE WESTWOODのパンクスピリット」な生き方でした。
 この彼女の強靭なパンク精神である「サスティナブル憲章」のお陰でこのブランドは今、
実質、営業成績が世界規模で"右肩上がり"という現実をも生み出しています。

 ここで、やはり日本で「パンク」を売り物にしてきたデザイナーが功労賞を貰った途端に
彼女の口から「パンク」が消えてしまうまでの"なりすまし人格"が気になりますね。
 仕方ないことでしょうか?これがヴィヴィアンと日本人女性の「育ち」と「倫理観」の
違いと、「気骨と気概」の置所の差異現実なのでしょう、残念ですが。
 どうか、企業の"プレス"が発言することのみを報じるだけの日本のファッションメディアに携わっていらっしゃる人は是非、これを入手して、ご一読、学んでください。

 ファッション界の実態は例えば、ファッションにおける "ダーウィニズム "が
"ファッション・クローン "を生み、これが「ファスト ファッション」や「SPA」と称され、
”グローバリズム”という新たな植民地主義が "グローバル・ノース "と "グローバル・サウス "を
生み出し、世界をより "二極化 "させてしまいましたね。
 結果、このファッション界も"二極化"した「ハイ・モード」と「ファストファッション」の構造が構築されただけで、彼らが求める「業欲」の拡大構造は相変わらず肥大化しているのが
現実でしかありません。

 例えば、日本のファッションブランドの世界では、「彼らは年間の総生産数を発表しない。
そして、年間総売上高も公表しない。また、"サブブランド"を作り、年間総生産数をただ、
むやみに増大させているに過ぎないだけの、自分たち企業の為の強欲ビジネスでしかない。」
と僕はこの世界、40年程で知ってしまったことです。あの”CdG”も然りです。
 勿論、ファッションメディアは彼らたちの「実際の売上も知らず、在庫残数や納税額」も
闇に葬るだけの作業しかしていませんね。

 まだ、このように「ファッションの世界」の現実は僕が思う「倫理観/Sense of Ethics」
かなり、希薄な世界でしかありません。

 日本においては多くのデザイナーたちが、何らかの"なりすましデザイナー"であり、
僕が出会ったヨオロッパでのデザイナーたちでも「虚飾の世界で、虚飾に生き抜く」
ただ、お金にタフな人間が多いのも現実の世界です。

 故に、新たな時代の、新たなファッションの世界のための”クリエーションとビジネス”に
おいての"パラダイムシフトには「倫理観/Sense of Ethics」という視点とその認識が、
どれだけ不可欠であり故に、これに必要な世界であるかに目覚める事を提言するのです。

 なぜならば、ファッションにおける、新しい機能性や造形はすでに飽和状態であること。
そして、「ファッション クローン」がどこでも、いとも簡単に安価に大量にそして、素早く
製造することができる「すばらしい時代」になったのですから、
「何をデザインするのか?あるいは、何を売り込むのか?」を
それぞれが持つ「倫理観/Sense of Ethics」を根幹として再考することが
より、人間味ある時代性そのものなのでしょう。 
合掌。

文責/平川武治。
初稿/令和6年正月3日。

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