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"The LEPLI" ARCHIVES-61/ 原宿VACANT-LEPLI会の為のテキスト。 『原宿,今なぜ,原宿を? The other Standardを考えてみる。』 その向こうに見なければならない”世界”の為に,

文責/平川武治:
初稿/2011年12月13日:
 
 ここ1年来、僕が提言している『THE YELLOW』を意識した時,
考えられる幾つかの眼差し。
 ーこの眼差しは、10年後の2021年に、
LVMH社の新たなビジネスマーケティングの根幹になり、
”KENZO”のNIGO君起用が現実化された。ー(2023年01月記。)
 
 1)“新たな物差し”が必要である。
 欧米先進国が作った物差しで測るのではなく,世界に通用する
『アジアの物差し』即ち,それぞれ自国の物差しが必要な時代性である。
この欧米先進国が作った「近代の”物差し”」と言ってもその根幹は
ユダヤ民族が生み出した文化とそれらの価値構造が世界の経済までをも
コントロールする規模とパワーと関係性がこの1世紀程であり、
彼らたち欧米先進国の”物差し”になっているのが世界の現実である。

 2)次に,“新たな分かち合う文化共同体”構造が必要になって来る。
 持ち得た、『アジアの物差し』即ち『YELLOW CULTURE』による
アジア諸国との共存,共栄と分ち合を文化と価値観とした
“新たな文化共同体”構想を考える必要が在る。(戦前との違いを注意。)
 この『YELLOW CULTURE』が従来の欧米諸国が生み出した”物差し”と
共存,共栄そして,ここでも分かち合ってゆく事がこの21世紀の新たな
地球規模の価値観で有るという迄の自由な発想。

 3)この次には,“新たな経済圏”を構築化する必要がある。
 この“新たな物差し”『YELLOW CULTURE』に依って,それぞれの国の
実経済が,生活者たちが豊潤になるまでの経済共同体構想に依って
新しいアジアを考える。
 その中心となるのが”東アジア圏”である。中国、台湾,韓国,日本。
もう一つは“南アジア圏”,インド、インドネシア,タイとその他の諸国で
ある。
 例えば,この東アジア圏だけでも人口は世界1の規模であり、
この世界1の人口を有する東アジア文化圏を意識し,文化交流と文化協力によってそれぞれが“分かち合う文化経済圏”を構築出来る可能性と必然性は
大いに在る。
 例えば,現在のEUはECの時代からヨーロッパ文化圏を作る事を
ユダヤ民族の人たちが中心になって非常に強く意識し,行動し経済力と共にいろいろな手を打って来た前歴が在り、その結果が今のEU文化経済圏である。即ち、彼等たちにとっては“文化は武器”というまでのコンセプトが強くあるのです。

 4)この“新たな物差し”『YELLOW CULTURE』には既に,分かち合う為の”コンテンツ”が創造されている。
 例えば,現在ファッションの世界でも当り前の様に使っている
”コラボレーション”や”ダブルネーム”というプロダクト手法も“裏ハラ”発信から、世界のファッションレベルへ進化した一つである。
 既に’90年代中期から創成され世に出始めたアニメ,マンガ、ゲーム、
音楽,映画,演劇と建築それに,ファッションに至まで,“オタクカルチャー”や“サブカル”による“コンテンツ”と“デザイン”とその”リアリティ”が
今では世界にバラ蒔かれてそれぞれの断片が欧米の消費社会の新たな文化や価値に変貌し、”消費文化カルチャー”となり世界経済の動向に確実に寄与し始めている。
 多種多様な文化ジャンルのリ-ミックス化とコラボによって、
『アジアの物差し』の為にコンテンツを分かち合う構造を構築する事も
考えよう。例えば,共作映画や演劇活動へのコスチューム参加,映画祭と
デザイナーの新たな出会いと関係性、アニメ、ゲームや音楽とファッションの関係性を異文化へも発展させる等々,
ここでは、“out of category"という発想が必然性を持つ迄の自由さである。
 そして,僕の近い未来への提案は,
その後の日本を代表するもう一つの”イエローカルチャー”である
“電脳アキバ”と’90年代後半に彼らたちによってディレクションされた
”カッコいい”をウリとする”裏ハラ”をコラボやW―ネーミング化する事。
 これよって世界のニュージェネレーションたちへ“ニュアンス+メカ”を
コンテンツに『YELLOW CULTURE』を売りまくること。
 これがこれからの世界の消費社会への強力なる”武器/イエローパワー”
だと本心,考えています。(これが根幹になって、LVMHによっての
現在の”KENZO=NIGOが現実になったと読める。)

 5)具体的には’90年代初めに雑誌cuteiが創刊され“カワイイ”という言葉が形容詞として一人歩きを始める。
 以後の日本社会ではポジティフな事を示す多様で、広範囲に利用出来る
形容詞になってしまった、”カワイイ”。
 それは10年ほどの時間のリアリティによって、
現代では“美しい”“すばらしい”“愛らしい”“似合っている”“イケテル”などを意味するまでの”褒め言葉”になった。
 ここには、日本人の特性感覚である『柔らかい/ソフト』
『小さい/まとまっている』それと『コミカル/おもしろい』と言った特性を新たな感覚領域としてポジティフに生み出した。
 この”カワイイ”は当時の原宿ブランド、”MILK”が生みの親であり,
のちに、それを男発想で後に、世に出したのが”A BATHING APE”である。
いずれも,”原宿”という街のスーベニィールブランドとして発展している。
(MILKにおいてはワンポイントのついたポロシャツがそれである。
”A BATHING APE”はブランドそのものがスーベニールものである。)
 そして,この“カワイイ”はもはや,アジア語になっている。

 6)そして,現在のファッションの世界の時代性へもう少しフォーカスを絞り込むと,
 “工芸的”とそのこゝろの有り様である”細やかさ”が今の時代性を表現するまでの新しさである。“工芸的”とは、決して従来からのジャポニズムに由来する伝統工芸を意味するものではない。
 むしろ、モダニズムをそして、サイバーテクノロジィを踏襲したところの現代社会の都市生活者たちの感覚に基づいて新しい素材と従来からの素材、手作業と新しい技術のミックスコーディネートによる自由な発想のバランスが生む工芸である。
 寧ろ,突飛でもない発想も含めたところを日本人本来が持っている
器用さで、”温もり感”や”馴染み感”を、それに“安心感”などを感じさせる
仕上げによってデザインが為されているものがカッコ良さを持ち始めている。
 ここで近い未来を考慮し始めると,”ミシンで作れない服”の発想が在る。
この1年ほど僕が発言して来ている,”新たなテクノロジー”のバランスによる”新しいファッション”ヘの志向と決断である。
 “細やかさ”では,モノを必要以上に極め細やかに仕上げる感覚,
こゝろ配りの細やかさ、痒いところに手が届く的配慮が行き届いた
日本人本来の気配りのあるデザインこゝろ、それが現代の“上質なもの感”になって来ている。
 そして,これが行き過ぎると”キッチュ”である。
言うまでもなく”エレガント不在文化”即ち,階級無き文化における戦後日本の消費社会のすべての存在が,東京そのものが、”キッチュ”である。
 従って,“TOKYO"を売りにしているスーベニールブランドである限り,
東京が存在する限り,そのコンテンツは売れると言う思いつきが、この
”A BATHING APE”には在る,小賢い存在ブランドである。

 7)今,世界には僕たちの『アジアの物差し』、
即ち『YELLOW CULTURE』への時代の追い風が吹いている。

 この時代の追い風とは、一つは市場における消費構造の新たなタームが
廻って来たこと。
 僕が棲んでいるパリもそして、他のEU都市も同様にこれらの街に住む
イミグレーターたち(移住民)の新世代層/New generationsが高い教育と職業を持ち始め,彼らたち中心の新たな消費者層が誕生し始め、
確実に『大衆消費社会構造』の主役が彼らたち”世代交代”を始めたこと。
 彼ら世代の日常生活が持ち得た共通のコンテンツは殆どが日本発の
”サブ-カル”であり”消費カルチャー”から影響されたのものである。
 これは、取りも直さず、かつての、’90年代中期以降の日本の状況である。巴里の黒人の子どもたちが”キティちゃんバッグ”を持つ、
そのお母さんは”LV”印のバッグ。(パッチモノも含めて。)

 8)もう一つは、作り手側の時代感が変化し始めたこと。
 『造形』的なる面白さが希薄になり,
『工芸』的なるものの豊かさに時代の欲求が変化し始めたこと。
 昨今の社会環境とそこでの生活状況のあらゆる事に疲れと倦怠と不安性を感じ始めた女性たちと、都市生活者たちの”安全、安心,健康と快適さ”ヘの生活観の流れの変化は、「衣料品からカジュアルファッションを着る」事が平常となった現代社会人たちの当然のベクトルであり、その結果が,
「新-当り前主義」を構築し始めた。
それは街で見掛ける多くのお母さんとプッシュチェアーにのかった子どもたちが作り出す風景である。
 そこで求められるものは形骸的なデザインものよりも肩の力を抜いた
快適さと快感と穏やかさがベースとなる
工芸的なるものへの大衆心理が働き始めたと読める。
 この状況はコレクションデザイナーたちのメンズもレディースも
同じ状況をもたらし始めている。
今ウケているブランドとはこの“工芸性”が強いものである。
 先ず,オリジナル素材又は,素材の選び方が重要。
次に,その素材の料理の仕方とまとめ方。
そこに,時代感を即ち,トレンド感をどのように味付けとして巧くまとめ
色ずけするか?
 その結果が,穏やかなもの,安心させてくれ,落ち着かせてくれる
安全で生活の健全さとこゝろの癒しを感じさせる迄の装飾性豊かな、
若しくは,無機質なデザインとアッセンブリッジの巧さ。
 形骸的なデザインの為のパターンメイキングではなく,
着る人間の、こゝろと身体の快適さと安らぎさを思う迄の着やすさと
カッコ良さを感じさせる為のパターンメイキングが為されていること。
 コレクションデザイナーたちではUnder Cover, mina.p., sacai, nozomi ishiguro,KOLOR,TOGA, matou,等。
 世界レベルでの最高峰はA.アライアである。
彼の作品には高度な身体に基ずいた「造形性」と「工芸」とのバランスが
彼の世界観で構築的に極められているからである。

 9)勤勉性と器用性と見栄性が生む”見た目感/ニュアンス”が考えられる『アジアの物差し』の根幹である。
 『造形』的なる面白さが希薄になり『工芸』的なるものの豊かさに
”時代の欲求”が変化し始めた状況というのは、
案外『日本的なる状況』と言える。
 又,巴里モードの出発点もこの『工芸性』にエレガンスを見たところから始っている事も事実である。
 従来からの『Made in Japan』には決して,モノの本質的な創造は
殆ど無かっただろう。そのオリジナリティは無いか貧しいにしても,
その主題の取り方、素材の使い方とまとめ方の上手さと巧さで
即ち,多種多様なものを工芸的に使う事。
 それによって、オリジナルものより以上に、装飾的に使いこなして
その結果、それそのモノが持っている”ニュアンス”を”オリジナル”とする
事が即ち、本来の『Made in Japan』であったはずだ。
 これは『日本文化の本質』かもしれないし、
『YELLOW CULTURE』そのモノであり、アジアの特質と言えるであろう。
 僕たちが使っている漢字に対しての仮名の関係も然り,
磁器と陶器の関係,漢画と大和絵そして,琳派の関係等など。
 最近でのIT機器類にしても,ケイタイの本体の特許部分は
サムソンが押さえていてそれらを使ってのアッセンブリッジが
多種多様化されたものが上手、得意分野という事も考えれば、
 これが,元々の『日本人の作る』という行為に対するオリジナリティ性と理解出来る。又、“YELLOW MAIND"である。

 10)そろそろ結論へ急ぎましょう。
 考えるに,日本国内におけるファッション産業はもう既に頭打ちですね。
これからはやはり,“外”へ出掛けるしか無い。ここにポリテカルな意識が
必要になるでしょう。
 グローバリズムとは結局は“二極化”即ち,富むものと貧しいもの,
貢がすものと貢ぐもの、良いと悪し,そして,”0-1”の世界観。
 ”右と左”のバランサーを上手く利用し乍らバランスを取ってゆく。
この二極の間に自分たちのために富を稼ぎ出す新たな”中間層”
”イミグレーター/移住民”たちを入れ込む新たな方式。
ここでも彼らたちの”三位一体”構造ですね。
 戦後の植民地とは欧米先進国が政治道徳上,
受け入れ自国内に内蔵されてしまった”イミグレーター”たちの世界。
 そして,僕がアフリカへ行って解った事は
その殆どの國がこの2,3年で”独立50年”を迎えている事である。
 そこで、”グローバリズム”を構築した白人たちは、
イミグレーターを受け容れる事で遠隔操作を可能にし,
”美味しいもの”の独占利権を依然手中に握りしめ続けています。
 このしがらみを利用し,ハイパー社会のメディアによって煽動された
群衆たちの連動が今の北アフリカ系諸国の暴動でしょう。
 そして50年後,自分たちが受け入れたイミグレーターたちを
今世紀の新たな中間大衆としての消費者層に格上げし始めること。
即ち,戦後の日本と同じく,”消費社会の蜜”を吸わせ始め、
“ニンジン”をぶら下げる。
 この構造で産まれ得る新たな消費のモチベーションが
どれだけ白人社会のへそれなりの利権を潤わすか?
今世紀にそのターゲットを、
”白から黄色,黒”の世界へ変えるだけと言う戦略。
 彼らたち白人は白人優位思想を少なからず持っている。
先述したECの時代からヨーロッパ文化圏を作る事を中心に
彼らユダヤ民族の人たちが17世紀後半から出来上がった
ドイツ哲学を根幹とした”美意識と価値感”を
文化、経済価値へまで拡げたのもこの優越感からでしょう。
従って,日本以外の先進国にはイミグレーターが存在しているので,
この作戦は実行可能。
 しかし,先進国であるはずの日本は敗戦国になり
戦前のイミグレーターと言われる立場の人たちは掌を返し
荒廃した日本社会の中へ諸コンプレックスと根性を携え,頑張りで
お金を求めて埋没して行きました。
 これが現在の戦後、65年後の日本国の現実と現状。
従って,現在の日本には外国先進国が政治道徳上,受け入れて来た
社会層としてのイミグレーターは存在しない。
そのため,この白人たちが考え出したグローバリズムのコンセプト
”二極化”だけが形骸的に進行し,
そこへ埋めるべき“イミグレーター”たちが国内には不在という現実。
 故に,このままで行けば国内での今後の経済発展は
変わらぬ日本人たちの為の日本市場というレベルからは抜けられない。
寧ろ,ファウストファッションから見れば変わらぬ
いいお得意様レベルでしかない。
 例の,H&MやFOREVER21の日本マーケット上陸と出店計画を
又、反対にUNIQLOが海外で湯水の様な広告宣伝費を使わされて
どのようなターゲットマネージメントをしているか、
それが功を奏しているか?を読めば理解が出来る。
 国内のアパレルが以前の様なビジネス状況を、
変わらぬ日本人だけのマーケットで復活をもたらすことは非常に難しい。
当面は現状復帰への”復興”がいいレベル。
 故に,これからの日本人と企業は自国のリスクを伴って,
我々が,”アジア”へ出稼ぎ(進出)に行くか,
又は、“新たな文化共同体”構想を持ち、
『アジアの物差し』即ち『YELLOW CULTURE』を共有し,
共生かつ、分かち合ってゆくかの
選択肢しかあり得ないでだろう。
 ここに、“分かち合う文化”の為の新たな”倫理観ありのリスク”が
問題,重要視されて来る。
これが現状の日本の有り様でしょう。
 そして,またもやの問題は続く“円高”現象。
これによって,大手企業は堂々と出稼ぎ行為に円高資金を使って
拡張出来るが,小規模なところは大変になる。
 ここでポリテカルなバックアップが必要になるのだが
今の政府では役不足。
 従って,ここでも,若い人たちは”アジアのニッチ”を
日本発のコンテンツを持って狙うしかありません。
その時に,何を持って”芸”が出来るか?その”芸”で金が稼げるかですね。
 『アジアの物差し』即ち、『YELLOW CULTURE』が
真のこれからのアジアの”武器”になるか?
“原宿”が、『アジアの物差し』即ち、
『YELLOW CULTURE』のコンテンツとなりうるか?

 これを検証したくなり,
今回のVACANTでの会が、『原宿,今なぜ,原宿を?』テーマとしました。
 これを幾回かやり,巴里のモードのフレームでない新たなフレームを
『アジアの物差し』即ち『YELLOW CULTURE』で構築することが出来れば『YELLOW POWER』が21世紀を救うでしょう。
 若しくは,変わらぬただの土産物屋で満足するのか?
この辺りまで来ると,
後は,それぞれ日本人としての”真こゝろ”の質と格の問題,
自心のこゝろの有り様だけでしょう。
 しかし,人間の”こゝろの有り様”は個人のカルマでしか在りません。

**付記/再度,『造形と工芸』について,
 身体構造が変化しない限り,今後のファッションにおける”造形”は
もう,既に行き着くところ迄行ったのが20世紀迄であった。
 これからは再び、“人間性主在”を考えた自由で豊かなる”工芸”的な感覚と
新旧多様な技術のバランス化が新たなファッションの世界を切り開く時代性である。
 ここには着る人間の"こゝろの有り様"を思う迄の“CARE & CURE"が
“工芸”的に創作される事を念う。
 工芸:実用性と美的価値とを兼ね備えた工作物を作ること。
 造形:形のあるものをつくりだすこと。ある個人の観念などから、
    ある形をつくりだすこと。

 ご意見を交わし,分かち合いましょう。

  今年も拝読,ありがとう。
 『すばらしい自心のこゝろの様』が現われる
新たな年が迎えられます様に。
 そして,『YELLOW MIRACLE』を喚起しましょう。         合掌。
相安相忘:
文責/平川武治。「原宿 VACANT-LEPLI会の為のテキスト。」
平成二十三年十二月三日。

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