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"The LEPLI" ARCHIVES-83/ 『ファッションデザイナーたちはファッションデザインでどのように産業に寄与しているのだろうか?-その2。』 

文責/平川武治:
初稿/2012年10月20日:
 
 ◯『頂いた若い人へのメールに、このように返事をしました。』
1)如何ですか?「東京のファッションデザイナーの活躍とは?」/
 この現実は東京のファッションウイークとやらの
現実レベルを見れば解るでしょう。
 僕は巴里なので遠くから少し,垣間みるだけでも,
センスが悪く,自分たちの立ち居場所が解らず,
ただ、無闇にファッションデザイナーぶる事に煩わされてしまっている
殆ど、”冒された輩のファッションゴッコショー”、
変わらず,枯れ木も山の賑わいショーですね。
 それにメディアと称する世界が
ただ、その下心として広告ビジネスを繰り広げている
この新たな構造における関係性しか読めません。
 しかし,この構造はこの巴里でも同じ構造ですが,
未だ、そのスタンダードレベルが違うので,
カッコ良くは見えているのでしょう。
でも,既に、此の国のモードの”ラグジュアリーの世界”は
“金メッキ”の世界でしかありません。

2)ファッションの世界にはレッテルとしての”学歴”は要りません。/
 この様な日本のファッションの世界に,もうひとつ気になる情況は,
ファッションの世界にレッテルとしての”学歴”はいらないということです。
 必要なのは“教養とファッションスキルと技術と経験と関係性”
それに加えるは、”喜びと驚き”を与えるまでの”自由さ”と”品性”でしょう。
それらを何処で,どの様にバランス良く身に付けたかが現実なのです。
 そして、それ以上にもう一つ、今一番大切な視点は、
今、現在の僕たちの國が世界でどのような情況と経済状態にあるかは
日本人としてまず、ご理解為さって下さい。
 それぞれがそれなりの貧弱な自分のエゴでモノを作っていても
その殆どは、何も将来の日本に繋がらないでしょう。
 所詮、”消費社会”における、ただの“客寄せパンダ”と”金儲け”、
自己満足のレベルとはこの事です。
 学んだ経験と世界観で、実際の日本の社会にコミットし,
産業に寄与する事が考えられる
謙虚な、”こゝろの有り様”も必要でしょう。

 そうしないと、今後の日本は
世界からもアジアからも取り残されてしまうのです。
どれだけ、自分の世界観で作ったものが
社会のため,生活者のために
その為に、実産業にどれだけ寄与出来る様な,
モノ造りとそのビジネスを考えて下さい。
 そして,それを喚起可能なるメディアや評論が出てくれば良いのです。

3)「未来」とは、若い人たちの好奇心が充満していることでしょう。/
 「未来」とは、若い世代人たちの可能性のための
それぞれの新しい立ち居場所があることでしょう。
 今の僕たちの母國日本は、7000兆円の借金と国債ばかりが
在る國になってしまったのです。
 先ずは,国力をつける事、産業力と経済力ですね。
それが最後には、自分のしたいことが出来る豊かさを
再び,生む可能性ある国家になるのです。
 そのために身につけた,
”人間の品格”までを感じさせる、バランス有る『調和』が大切でしょう。
 これらが、”自心に自信と責任観念を生みます。”

 それに依って,本来の好きなファッションデザインの世界で
どのようにカッコ良く、愉しくその仲間たちと生きて行けるかでしょう。
 今の若者たちが先ずは,現在の自分たちの国家が
どのような國になっているのか,
そして、次なるは、
その國の将来を念い,考えてください。
その上で、それぞれの立ち居場所を見つけて下さい。
 その為にも”世界知らず、日本知らずなな日本人”には
ならないで下さい。』

 4)『考えてみよう、僕たちファッションデザインに関わりを持って
生きてゆきたい人間が感じ持たなければならない”責任観”とは?を、
 もう一度、問う事も必要な時代性であることも。』
 
「自分たちの世界観でデザインしたものが
最終的に大げさに言ってしまえば,国家の産業にどれだけ寄与するか?
社会にどれだけコミットしているのか?
惹いては,豊かなる国家にコミット出来るか?」
という大きなる視点と志が皆無に等しい輩たちが
デザイナーと称して”ごっこ”をやっているに過ぎない。
ある見地からでは,”税金の無駄使い”の一つが
現在の、”東京コレクション”でもあろう(?)。
 
 5)今,僕たちは,あの昨年の、“3.11/FUKUSHIMA"以降の
日本を見てしまった現実を嘆くのであれば,
先ず,その現実を熟知することが”関わり”の始まりでしょう。/

 21世紀の日本がまだ、”戦後”が終わっていないこと、
構築して来た”日本システム”の何が破れてしまったのかの認識、
メディアとはこんなにご都合主義だったとかに問題意識を持つこと。
 次には、僕たちの国の復興とは”国力を強くする事であろう。
先ずは,国内における経済的再発展を考える事である。
 僕たち国民性には”戦後の復興”という実際の自信がある。

 そのためには先人たちの苦労を土壌に、
豊かにしてもらったこの日本で、
自分たちが望む事を,好きな世界で大げさに言ってしまえば,
ファッションによって”国家”と、
どのような関わりが出来るのだろうか?
ファッションデザインの力によって社会を、生活者たちを
どれだけ豊かに出来るか?
どれだけ経済効果を上げるか? 
それらが、ファッション産業へ寄与出来るか?
 僕たちの”教養とスキルと経験と技術と関係性”で
持ち得た世界観を武器にして,
デザインというカテゴリーを使って、
日本の産業をすばらしい情況へ復興,寄与出来るか?
 この”デザイン思想”が成功したのが、
本来,アートと違い、”デザインする事とは?”の
”意味と本意”がここに在り,
嘗ての、30年代以降のアメリカ合衆国で興った
”近代デザイン運動”の根幹一つであり、
その具体的なものが、”流線型ムーブメント”でしたね。
 ここが「デザインの根幹」の発端である事を、
今想い出してみる必要があるでしょう。

文責/平川武治。
初稿/2012年10月20日。

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