人は忙しくない、そう思い込むところから始めたい――バリー・シュワルツ著『なぜ働くのか』

 仕事に悩む人への処方箋、みたいなイメージで読み始めたら、全然違った。目からウロコというか、けっこう衝撃的な話のように思う。

 『なぜ働くのか』の著者、心理学者のシュワルツ氏が焦点を当てているのは「人間に関する理論が人間を作ってしまう」ということ。心理学でいう自己予言成就である。

 例えば、「人間は利己的である」という理論が”発見”され、世の中に広まってしまうと、人間は自分たちは利己的なものだと思うようになり、実際にそのように行動を始める。そうやって予言が現実のものになる。

 このような人間の本質に関わる理論は、宇宙や細胞といった自然科学についての理論とは異なる。自然科学の理論は、発見され、発表されても、その対象自体が変わることはない。しかし、人間に関する理論は人間そのものを変えてしまう。

 アイデアはテクノロジーである、と著者は言う。あるアイデア、考え方が、まるでテクノロジーのように人間の暮らしを変えてしまうのだ。これがイデオロギーと呼ばれるものである。

 働くということでいえば、アダムスミスが提唱した「人間は利潤を追求するように働き、報酬がないと怠ける」という理論、つまり働かせるには金銭的、物理的インセンティブがなければならないというイデオロギーが、現在の労働環境を形作っている。その理論を体現するように人間が行動してしまっている。

 だから、お金のためだけでなく、心から他人の役に立つための仕事をしよう、そういう仕事を増やそう、と思ったら、インセンティブで人は動くというイデオロギーをまず変えなければいけない。そういう主張である。

 おもしろいのは、自分はお金以外の理由で仕事を選び、お金以外の動機で動いているとしても、他人はみなお金や損得勘定に基づいて働き、行動していると思いがちだということ。これを示す心理学の実験が紹介されている。

 確かに思い当たるところがある。他人に何かをしてもらおうと思ったら、ちゃんとした報酬を用意しなければいけない、報酬がなければ不満を持たれるのでは、と心配になる。相手が純粋に協力してくることを信じにくいというか。

 何かをお願いしたら、何か渡さないといけない気になる。しかし、そうやってインセンティブを渡してしまうと、人々の協力心は逆に下がってしまうという実験結果も紹介されている。お金を渡せば、「結局お金なのか」ということで、その分以上の働きをしてもらえなかったり、何でもお金で解決すればいいやと思ってしまったりする。日常生活でお礼にお菓子を渡したりするのは、この問題を避ける工夫なのだろう。

 という内容の本だったけれども、ではこれを踏まえて、自分はどう考えてどう行動していけばいいだろう?

 ひとつ思ったのは、「他人はお金で動いている」と考えるのはやめようということだ。お金をもらう以上に楽しいことをしたい、いい経験をしたい、いい人と一緒に働きたい、人の役に立ちたい、人に感謝されたい、得意なことを生かしたい、そんな動機で人は働き、行動している。そういう前提に立ってみる。みんな苦しみながら働いているんだろうなと思うのではなく、楽しく働いているのだ、と考える。

 もし実際はそうでなくても、楽しく働いていると思って接するほうが、その人にいい影響を与えるだろう。苦しみながら働いているだろうなと思って接しても、苦しみを取り除けるわけではない。楽しく働いていると思って接することで、その人が苦しみの中にも楽しみを見つけるきっかけになるかもしれない。その接触自体が、仕事を通じた良い体験になるかもしれない。

 忙しいだろうと思うのも控えてみたい。もちろん相手の都合に気を遣うのは大切だけれども、過度に、人は忙しいのだ、自分なんかに時間を使っている暇はないのだ、などと気を使わないほうがいいのではないか。本当に忙しければその人から断りなり、メッセージが発せられるだろうから、こちらが先回りする必要はない(気を遣うとは先回りのことだ)。忙しいだろうからと思うことで、失われている機会があるかもしれない。

 人は楽しく働いている、人は忙しくない、そう思い込むところから始めたい。その予言が成就すればすばらしいと思う。

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