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写真を残すことと記憶を残すこと

今6月に亡くなった母親の遺品整理をしていて、今日は箱に詰め込まれたバラバラの写真を1枚1待見て仕分けした。
見覚えのある写真から、全く見たことの無い写真まで色々出てきた。

私は物心着いてからずっと母子家庭で父親の記憶が全くないし、顔も知らないんだけど、どこを探しても見事に1枚も父親の写真は出てこなかった。
痕跡すらなかった。
唯一、へその緒の名前のところの苗字くらいしか父親の気配がない。
その代わり、その後の男の写真とかは残してるのな。
母は昔ちょっとした芸能関係の人と付き合ってたことがあるんだけど、その人の写真と直筆の封書みたいなのは後生大事にもってたらしい。
もっと早く見つけてたら棺桶に入れてやったのにねぇ。捨てにくいし持ってても仕方ないしどうすんだこれ。

あと、母親の子供の頃と若い頃を見比べると、20歳過ぎてから爆裂に綺麗になっててビックリした。
ずっと自分の顔が嫌だと言いながら整形しなかった人だけど、センスと努力で綺麗になった人なんだな。
顔は地味なのに雰囲気が派手。
自分の顔が嫌すぎて、真逆の顔の人と結婚して、父親そっくりの顔の私を産んですぐ離婚してるんだよな。
子供の頃の母親とわたしの顔、全然違う。
エラいもんで、大人になるほどに似てくるんだけどね。

あと、爺ちゃんの昔の写真見たら、謎の外国に行ってるし謎の外国の偉い人と写真撮ってるね。
何してんだこれ。
爺ちゃんは一代で会社作ってそこそこ大きくした人だった。
ずっと一緒に暮らしてて、なんかしょっちゅう出張で海外に行ってた記憶あるけど、あれは何をしに行ってたんだろう。
海外に行くような業種じゃなくない?て思うんだけど。

なんか、写真て撮ったあと何年かはそんなになんとも思わなくても、10年とかそれ以上経って返すそれなりに思うところがあるよね。
こんな服だったんだとか、この年でこの感じかーとかね。

最近はデジタルだから、ほとんどの写真が物として残らないのよね。
写真がなんかいっぱい出てきて、なんか「へー」とか言って見て、てのがどんどん無くなってくるのかもね。
消したら一発で無くなるんだもんね。

修正とか加工した写真しか撮ってない子とか、マジでもったいないと思うんだよな。
たとえ今見てブサイクだろうがなんだろうが、今のそのままの自分や友達を残しとくと後から見た自分や家族がなにか思うのにね。

写真撮っても、今はなかなか出力しないよなー。
今のところはギリギリ遺影になる写真があるけどさ、数年後とか年取った時に他人が見つけ出せる写真残ってるかっていうと、無いかもしれないもんな。
どうすんだ遺影。
遺影の写真ないっていうのがどんどん増えて、逆に何かしらの技術で補えていくのかな。

思い出すために写真があって、記憶との擦り合わせで思い出すこともおおいよね。
写真があるのと無いのとでは記憶の残り方が違うだろうし。

それこそ、私の父親の存在も写真が無いから「無いもの」になってるわけで。
多分、写真を見てたらなにか別の記憶のしかたで残ってたのかもしれない。
まぁ、父親の記憶は別に無くてもいいんだけどさ。
でも、自分の写真を残すことって、自分で思ってるより大事なのかもしれないな。

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