真夜中のカーボーイ〜激動の60年代と70年代をつなぐ1969年が生んだ傑作
『真夜中のカーボーイ』(Midnight Cowboy/1969年)
都会と呼ばれる空間は、常に弱者を見つけようとする過酷な性格を併せ持つ。夜になると、歪んだ正義や悪知恵も蔓延する。
金さえあれば何でも許されるような、拝金の風潮や見せかけだけのセレブなムードを醸し出す虚飾は、よほどの強い信念と美学、あるいは都市生活慣れした免疫を持った人間でない限り、そのあまりの眩しさに簡単に誘惑されて堕ちてしまう。
それは世界中の都会に言えることであり、東京都心も例外ではない。
『俺たちに明日はない』『卒業』『イージー・ライダー』『明日に向かって撃て!』などに続いたアメリカン・ニューシネマ、『真夜中のカーボーイ』(Midnight Cowboy/1969年)は、紛れもなく都会への憧憬と現実を描いた物語だった。
主演は、共に舞台俳優出身のジョン・ボイトとダスティン・ホフマン。ジョンはこれが初主演作で、ダスティンは前作『卒業』とは打って変わった役作り。
原作は1965年に出版されたジェームズ・レオ・ハーリヒーの小説で、監督はイギリス人のジョン・シュレシンジャー。映画は1960年代最後のアカデミー賞作品賞受賞作となった。
物語は、テキサスの田舎町のレストランで皿洗いとして働く、長身でハンサムで除隊したばかりの若者ジョーが、大都会ニューヨークを“約束の地”に定めて一旗上げるべく、新調したスーツやテンガロン・ハットやブーツに身を包んで、意気揚々とバスに乗り込むところから始まる。
道中、田舎町での辛い過去がジョーの脳裏を横切るが、それでもラジオの電波がNY局に変わると、期待と希望に満たされるのだった。
「都会には男を買う婦人がたくさんいる」
テレビやラジオや雑誌で仕入れた三文記事を信じ込んで、ただ踊らされているだけのジョーは、次第に男娼や弱者には微笑んでくれないニューヨークの厳しい現実にあっけなく飲み込まれていく。
文無しで安ホテルさえ追い出され、ついには男らしいカウボーイを求める夜の男たちに、身を売ることになる。
そんな時に出逢ったのが廃墟に暮らす浮浪者で、肺を病んだ片足が不自由なリコだった。
彼には、太陽が輝くマイアミに行くというささやかな夢があった。パームツリーとココナッツの匂いに包まれて健康を回復したい。
やがて奇妙な友情で結ばれた二人は、最底辺の生活から抜け出そうと、あらゆる手段を使って金を稼ごうとする。ヒップな人々が集まるパーティで初めて顧客を見つけたジョーは、リコを連れてマイアミ行きのバスに乗り込むのだが……。
オープニングシーンでは、軽快なメロディに乗ったニルソンの「Everybody's Talkin'」がアメリカン・ドリーム賛歌として流れているが、ジョーが都会の現実を知ったあたりからジョン・バリーの孤独感を滲ませたハーモニカ音楽が聴こえてくるのが印象的。
『真夜中のカーボーイ』は、激動の60年代と70年代を繋ぐ、極めて重要な1969年が生んだ不朽の名作だ。
文/中野充浩
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