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他者と私のはざま、占い師の言葉

唐突に言うと、星占いがとても好きだ。

なんてさっぱりした言い方だろう。

太陽が射手座に入った日から、まだ出社していない。

こんなことになるのは人生初で、でも家で過ごす時間や体感は、中学に行けなくなったときのような、気づいたら保健室登校をしていたときのそれそのもの。

通い出したカウンセリングの先生が、やっぱり保健室の先生みたいに思える。

ああ、傷を、塞ぐために、生身の自分で生きていくために、保健室に向かうんだなと思う。

昨日その、私の「傷」というものが実際どんなものなのかを、見た。

それでお腹いっぱいで、立ちすくんでいる。

動けないけど、動きたいのかもしれず、指先はこれまで触れたことのない占い師の言葉を探した。

今後を見通すためではない。

現在地を知るため、かもしれない。

傷に触れて感じたことがそのまま私の行き先を決定するのと同じように、そこに納得や安堵が生まれるのと同じ理由で、そうしている。

言葉は血液みたいなものかもしれんな。


身を守れる安全な場所で、輸血されている。

たぶん、それでいい。



この方の記事を読ませてもらいながら。



明日はまた、先生のいる部屋に、行くかもしれん。

時間はたっぷりなので、引き続き、さまざまに文を読む。

血がどくどく流れる、他者の言葉、いや、星を拠り所にしていることが分かっている点において、それは他者に留まらない、宇宙の風リミックス。
そこには私も含まれていい。


傷を、もうすこしの間、こっそり見ていたいのだ。

今は、それがいい。


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