見出し画像

zoom自習室でかんじたこと。

先日、zoom自習室、というイベントを始めました。

どんなことしたの?っていうのはおともだちのらーさんが素敵な投稿をしてくれたのでこちらで。

私からは、zoom自習室をやって見えたもの、感じたことを。

zoom自習室は、休校期間がのびにのびて、そして、おともだちとのつながりが希薄になってきているから、まず「場」を用意したもの。

だから、「ちいさなおともだちのために」用意した場だった。


だれかのために、はじぶんのためになる?

だけど、開催してみて、結果、休み時間に大人の側から出てきた感想が少しおもしろくて。

たとえば、

●子供が集中して何かに取り組んでいる間、自分の時間が少しできた
もくもくする姿を見て、こんな一面があるんだってわかった
●こういう伝え方でも、今は何をする時間なのか、自然とわかるんだってわかった

この感想、不思議だと思ったんだよね。

こどものために自習時間に参加して、自分のまなびになっている。

不思議じゃない?

絶妙に、入口と出口がズレてるの。

どうしてなんだろう…って考えてたんだよね。


じぶんのために、をもっと追求してもいいんじゃない?

わたしは、わたしのことが割と好きだ。
そして、自分のご機嫌を取るため、自分のやりたいことをやるため、自分が楽しむため、にいつも何かをしている。
そういう自分がやった結果が、まわりまわって誰かのためになればいいな、くらいの気持ちでいる。
だって、「だれかのために」は、時々主語がすり替わって、相手を責めるきっかけに変わることもあるって過去に学んだから。

だれかのために、じゃなくて、じぶんのために、をもっと追求したら、もっとみんなそれぞれがしあわせな世界を掴めるんじゃないかな。

だから、「場」のチカラは、もっと利用していいと思った。

こどものための自立支援、って言うけど、人間そうそうひとりで立てるようにはならないよね。

必要なのは、おとなもこどもも、自律じゃないかな。

じぶんのご機嫌を取ること。
余裕があれば、誰かにちょっとだけ手を差し伸べてみる事。
余裕がないときに、無理をしないこと。

そういう自律の場づくりをしていけるといいなぁ、と思ったよ。

入口と出口が奇妙に違う、不思議な「場」
近いうちに、またやろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?