睡眠導入剤からの逃避行

流石に義務のように眠剤を徐に飲んで強制ログアウトで眠りに付くという行動に疑問を持ってしまったため、人間性の回帰の象徴である自然入眠が果たせるかというチャレンジウィークを実施した。結論から言うと無茶苦茶自然に眠れるようになった。というか逆に何かハマりたてのように寝まくりな近況である。何かを断ち切る物語は最早テイルズオブスリープ。

前提として大体半年ぐらい睡眠導入剤と抗うつ剤を飲み続けている。最近は日中のメンタルは凄まじく改善され、あとは睡眠を取り戻せるかという最終段階な投薬治療工程であった。地味に処方される薬の量も減らして様子見る期間に突入しており、お休み大作戦(休職)は長期連載となったが大分回復という実感を得ているそんな時期だ。

しかし、日中は優雅に怠惰に過ごせているものの、「薬を飲まないと寝れない」というファクトは自身がまだ病人であるという烙印を押されたような深い楔となって何か辛かった。最終段階としてここを卒業しないとかつての日常は返却されない。寝たいけど寝れないのが辛いから結局パクっと行っちゃって罪悪感を感じながら明け方眠りに付く、という少し精神依存感のある行動を繰り返しては「次回こそ改善の兆しを期待する」と未来の自分に期待し続けるような無駄な時間である。

流石にこの負のループは何か無理矢理でもこじ開けないと抜け出せそうな気がしなかったので、明確に薬を絶つというのをテーマに生活するのが再開する。基本的には睡眠を誘発するという点で一部にカルト的な人気を誇る運動と入浴を徹底化する事にした。

運動についてはとにかく歩く。ウォーキングはタダだし、知らない街を探索するという変な欲求も満たされる。歩けば歩くほど何か生物的に回帰している感覚になれる。歩行という行為が精神安定剤のようにかつての人間性を取り戻すような感覚を得れる。平日昼間という働き盛りの成人男性に全くエンカウントしない時間帯に徘徊する行為は後ろめたさを超越すれば、大分セルフキュアに貢献してくれる。

とりあえず寝れないまま朝まで過ごすという薬断ちをした狂い切った体内時計に追い打ちをかける感じで無理に街へ出て満開の桜を感じながら都市の公園を川沿いに徘徊するという行為は、ウォーキング終了後の夕方辺りに自宅で疲労と向き合う時間という新たな日常行動を得ることになる。起きるか寝るかという二元論的な生活感覚から派生して、歩く時間と疲れる時間という解像度の高い行動を実感できるようになったのはありがたかった。しかしどんだけ疲れようが、シラフで入眠できるような気配は何故か到来しない。これが不眠症の恐ろしさである。

そうなると次は風呂を重視するというパッチを生活に入れ込む事にした。幸いにも簡易サウナと水風呂という環境を自宅に備えていたので、それを日中の義務的なアトラクションから、修行マシーンの如く活用する事となる。歩き疲れた肉体を修復するかのように、一入浴3セットぐらい交互浴を繰り返しとにかく脳から汁を排出するように執拗に心拍数を乱高下させる。運動した後に綺麗さっぱりサウナで脳のシナプスを縫い合わせるという行動は普通に気持ちいいので、睡眠という課題に有用なアプローチとなる。

風呂上がりの微睡みで流石に寝れるやろと期待値が上昇していたが、1時間半程度寝てるのか寝てないのか中間的なシャットダウンが訪れた。微力ながら大きな進歩である。勝手に寝れたという事実はやっぱり嬉しいし、意識をログアウトするという行為が自発的に達成できたというワクワクは凄まじい自信に繋がる。しかしそれ以降はいつものような不眠タイムがやってきたので、生活リズムを破壊するリスクは取れないためログアウトドラッグを利用する事にした。

アナザーサイドとして薬の減らし方もやっぱりいきなり断薬というのは結構よくない感じになる。自分の場合は昨日2錠飲んだから今日は1錠にセーブするだとか、一昨日飲んで昨日は飲まずに別種類飲んだから今日はこっちだけのような段階を踏んで、大局観を持ちながら薬は減らして行けばいいい。2週間計画ぐらいで少しづつ抜いていければ御の字である。リアル処方箋のパワーというのはやっぱ人体に強い影響を与えるし、日常化するとプラシーボ的に脳状態を支配されているような気概さえある。「薬を飲んだから寝れる」というマスキングは減らしながらも残した方が良い。結局それが「1錠で快眠を果たせた」という新たなプラシーボに繋がっていくのだ。

そんな生活を1週間ぐらいこなすと、自然と夜に意識がログアウトする事が多くなってきた。1時間半〜3時間ぐらいの短期的であるが、そこそこ寝れるという事実は非常に誉れである。そして遂にそこから薬を手放し日常を送ると決心すると、不完全ながらも最低限睡眠として課題的に達成される3時間睡眠を繰り返すようになる。睡眠時間は明らかに不足しているが、自然入眠のみで自らの肉体を運用できているという回復の兆しである。楔から解放されたようなワクワク感が自分の日常にカットインする事になる。

そんな生活を1週間ぐらい繰り返すと、自然と夜に滅茶苦茶勝手に眠くなる仕様になった。しかしその睡眠の質は時間はどんどん長期化するものの、なにかうなされに近いような肉体が弛緩し切らない不器用な眠りという具合で日常なら納得できないレベル感の擬似睡眠クオリティである。しかし自然に寝れるという事実はやはり嬉しい。完全に薬を絶って日常を稼働するという最低限度な生活が戻ってきたのだから。

ここ数日は不思議なものでどんどんと睡眠時間が増えている。あの頃の睡眠を取り戻すかのように12時間近く寝てしまうという副作用的な状況である。そして何故か悪夢が多いという状況でもあり、少し恐ろしい睡眠タイムでもあるが、なんというか今までそういう睡眠をこなせなかった副産物的な取り返しタイムの渦中に居るとなんとなく考察している。寝れるってやっぱ幸せですよ。

あとは睡眠の性質を向上させるのみである。ないものねだりの発想が浮かぶという状況こそ完全に次のフェーズ入った感じで、前作であんだけつまづいていたハードルを無意識に超えているという状況の裏返しである。そしてやっぱ日常が細かい事を気にしないようになり、CPUがハイパワーで起動しているような感覚に変化したのもデカい。こっから振り出しに戻るのか改善するのか見ものですね。

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