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怒りのない生活

ここ半年ぐらい怒りという感情から無縁の日常を送っている。主な要因としては他者との交流が一切断絶されたというのが大きいが、意外にもヘイトというのはそうなっても社会へ向けられるようにはならない。ただひたすらに申し訳なさだけが募り、悪い感情を増幅するコンテンツからは抜け出そうとするようにもなっている。(ここ最近のツイッターのオススメはなんか様子がおかし過ぎるし、tiktokを観ている時のような毒タバコ感というかヤニ臭が漂う)

俺は世間からある意味ドロップアウトの片足突っ込んだまま体勢を立て直そうという気配もなく、泥沼に片足スポッと嵌め込み、そのグラつきがいつまで続くかのような度胸試ししている状況である。先日も書いたが生活が完成してしまい、何も現状に恐ろしさを抱かなくなってしまった。多分客観的に観たら「コイツはなんで何もしないんだ」と見捨てられるようなライフなのだろう。

やはり最近は熱狂の渦に飛び込むという経験に憧れが出てきた。俺はニヒルなスノッブだったのでそういった謎の熱を帯びた空間に参加をした事がない。なので強豪校のドキュメンタリーとか、スポーツドキュメンタリーの凄まじいエネルギーの溢れるコンテンツが堪らなく好きだ。しかしそれと同時に自分の人生に自己満足でも良いので狂乱の中にいた事がないのがコンプレックスになっている(シンバルキック)

やはり熱狂の中では怒りが必須科目となり理不尽な仕打ちやそれに文句垂れながら抗うという行動が発生する。メインストリートを離れて思うのは、そういった集団に参加したくなっている自分である。自分に負荷をかけるという行為が自力で高める必要のない昨今、ある種強制的というか宿題みたいのが出されてそれに斬りかかって行くという毎週をそろそろ送りたい。

最早「悔しい」という競争社会のあの感情など全く感じ無くなってしまい、俺は若干アウトサイダーだからさみたいな7話ぐらいで急に消えて行くキャラになってんなと自覚がある(最終話で合流したりする激アツ展開などないし、スピンオフされる価値もない)

一応このnoteが現状唯一の何か発信するモチベーションを保ち易いのだが、完全に自分の「あの当時」を見返すようにしているという予防線を張りつつ、何か凄まじいコンテンツにしていこうという気配もない。しかもその突破口すら触りでも知覚できていないのだ。バズってる人の仕組みとかをなんとなく考察してみるが、やはり彼らはかつて「熱狂の渦」の中の当事者として戦い抜き、それをフィードバックしている気配がある。やはりそこの経験値がない自分は淡々と怒りのないお話を続けていってしまうのだろう。

怒りでも何でも特定の因子を共通として活動を継続できる人々はやっぱり凄い。俺は仕事ですらなんか辛くなって逃げ出した状況で有り、そんな逃げ出した先で特に新たなベクトルを見出す訳でもなく、なにかを待っている。20ぐらいから気付いたが、何かを待っているだけでは日常に流されて何も起きずに30になってしまうというとても恐ろしい事実を身を持って体感してしまっている。これを読んでいる若者はこんな虚無な存在にならないようにダメなモデルケースとして参考にしてほしい。

そしてそろそろ何処か熱狂の中に取り込まれようとしようかなというモチベーションにもなってきているが、いざ目を覚ますと1人で淡々と継続する壁打ち行為を保ち続けるという能力が劣ってきていると思う。誰か俺に宿題を与えてほしい。実績解除こそが人間を豊かに成長させ、そっから意外な方向に転がるのが楽しいのだろう。というか家来てください。部屋余ってるんで4万ぐらいで貸し出します。そこ地方で悶々としている童貞kidsたちよ俺を踏み台にして東京の熱狂に埋もれて行ってくれ。ただやる気ないから来ましたみたいなノリでもいい、そこから他者とスクラム組む事により新たな熱狂が造れれば良いのだ。

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