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掃除の力学

停滞気味なメンタル系の薬の量を増やす治療方針となり、1週間ぐらい経過した。正直ここまで露骨に行動力に変化が生まれるかとビビった。

まず風呂に毎日入れるようになった。1番ひどい時は2週に一回通院時の朝出発ギリギリに社会性アピールのために入水してたぐらいで、顔からホクホクなジャーマンポテトが発生していた状況であった。恐らく古い皮脂が積み上げられて顔面鼻くそみたいな事なのであろう。

まず起きたら風呂に入りシャワーを浴びるという行動が習慣化できたのは本当に進歩である。前の記事にも書いたが、俺は賃貸ユニットバスをDIYサウナとして未だに運用し続けている。やはり朝はサウナに篭り、キンキンに冷えた水風呂で肉体を締め上げることから始まると良い。風呂に入れない気持ちはわかる。しかし風呂に入ってしまえばい損することなど実は一生起こらないのだ。人間は風呂をもっと重視しよう。

そして乱雑に積まれたダンボールやペットボトルの空など意味のないオブジェクトを処理するフェーズまで行けるようになった。やはり部屋を片付けるという行為は成果が見え易い擬似労働でもあるので、そういった快適を追い求めるセルフやりがい搾取みたいのも実は凄い自己肯定感が上昇して行く。

掃除はマジでした方が幸せになるのは間違いない。そんな細かくするのではなく、利用目的もない意図不明なゴミをでっかい袋に詰め込み、ダンボールを2D化して縛り上げるだけである。ただ、我がアパートのゴミステーションはなかなか狭いので夜中コソコソと自分のゴミで占領するのは少し罪悪感があった。とにかく90Lという子供なら3人詰め込めるゴミ袋を使っているので、それが2-3袋急に鎮座するのは周りのコミュニティには驚異であろう。

うちのマンションは築40年ぐらいで自分意外全員当時から分譲した時に住み始めた老夫婦しか住んでいない。なんというかこのアパートでもっと団地みたいなコミュニティ感を求めるのも有りかもしれないと漠然と感じる。とにかく若者が1ミリも住んでないし、自分だけ賃貸契約なのでマンションの自治会なんて参加したことがないのだ。たまにはみんなで地域清掃しておにぎりとお茶貰うみたいな田舎に居た時は参加したくもなかったあのイベントにふと参加してみたくもなる。

掃除と風呂や整理整頓がここ最近いい調子で維持出来てしまいやっぱ薬の脳汁効果すごいと実感するのだが、少しばかり虚無感に足を踏み入れる感覚になってしまった。なんというか端的に言うと「生活が完成してしまったのである」肉体も精神もいい調子を維持出来てるし、料理も炊飯器鍋からオートミールお粥鍋みたいな安くも手軽でクオリティアップも果たせるし、風呂に近所の図書館に散歩に、ハンモックで惰眠しながらyoutubeを観たり、読書に勤しむ。

正直、これがある程度労働から解放された理想な暮らしである。自分の中でもこれでベースメントな生活としては節約というネックはあるものの、そこをゲーム化してしまえばこれ以上求めなくても最低限達成できている完成された生活を実践できてしまっている。そしてちょっと生まれる夕方あたりからの何もすることがないという虚無性。全てをマイナスからゼロに戻したからこそ味わえるあの19時過ぎに眠剤投入して寝ようとしてしまうのは果たして健全な感覚なのだろうか?

ともかく俺は今の休職中の状況を半年超えて完全にハックした。飯を作る楽しみも覚えたし規則正しい生活の気持ちよさも実感している。そして莫大なコンテンツを時間を機にする事なく摂取しまくれるという状況は多分人生で孤独者の中では1番幸せであろう。しかし、何故かたまに黒い影がやってきて、良くなりつつも虚無がチラつくのである。

そろそろ人に会うフェーズで交流などを重視した方がいいかもしれない。この1週間なんて「袋ください」ぐらいしか発生ていないと思う。それでも全然余裕で自己の城を守り悠々自適に生活できるこの国はまだまだ幸せである。労働が悪なのではなく、労働教が良くない社会を作り上げているんだと思う。さあ皆さんも休職してみて一旦労働教からの距離感を見つめ直しましょう。そして単純に生活するという行為ガチ勢を目指しましょう。生活のゲーム性の楽しみ方こそが素敵な未来が待っているでしょう。

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