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無事社会人5年目を過ごしております

社会人になって

お久ぶりです。と言っても前回書いた記事を読んだ方がまた読んでくださるかはわからないけど…
自分も4年前に書いた記事を見直してみてクソ生意気だなと感じた。多分一番世の中を舐めていた時期かなと。(今もあまり変わらないけど…)
結局、就活のこと書くと言って書いてないし…。三日坊主にすらなっていない。

せっかくなので、今回はその後どうなったか纏めてみる。

フリーターを卒業して

前回の記事を書いた段階では大学生のときからお世話になっていたバイト先でその場を凌いでいた。とは言え、その後すぐに従業員が5人くらいの零細企業でSEモドキをしていた。今思えば大事な新卒のカードを無駄にしたって後悔していないと言えば嘘になるが、後悔のない人生なんてないだろう。
最初の一年は社内のツールをPHPで開発していた。丁度入社したタイミングで会社がコスプレ事業を買収したので、コスプレ用のECサイトやSNSを作った。ECサイトは今でも残って使われているが、SNSの方は影に埋もれた。なんだかんだツイッターは強い。

常駐するようになって

そこから、SES事業としてERPパッケージ企業にテストエンジニアで派遣された。1年位そこでGebとSpockで自動テストのツールを改修していた。このときに学んだプログラミングの考え方が今でもベースである。当時はこのままで良いのかと不安だったが、所属していた会社規模的には恵まれた常駐先に行けたと思う。下手したら開発のできないただのテスターになっていた可能性もあったのでラッキーだった。常駐先の面倒を見てくれていたプロパーには少しばかり感謝している。なんだかんだ今でも通じるスキルも学べたし。

現場を変えて

その後は半年間、通信会社の案件でテスターやらお手伝いをしていた。あんまり開発のスキルは伸びなかったが改めて自発的な行動の重要性について感じさせられた。ただ、バグを見つけて終わりだけでなく、可能であればデバッグしてみて修正箇所に当たりをつけるようにしたら改修のお仕事やDBのチューニングのお仕事を貰えた。自分で仕事を見つけることも大切なスキルである。

常駐をしていた二社とも僕が現場を離れる時は追い出し会? を開いてくれたので自信に繋がった。両方共、その会社の経費だったり奢りだったりしたので活躍できた方だと思う。

開発から離れて

この頃から、SESで派遣されることに飽きたので社長にコスプレを売る仕事もしてみたいとお願いした。開発技能は一切伸びなかったが交渉技能やトラブルに対する耐性は付いた。大手ゲームメーカーのイベントの衣装が間に合わないってなった時のトラブルに比べれば今やっているシステムトラブルなんて大したことないと感じられるようになった。ただ、決してトラブルを軽視するということではなく、起きたものはしょうがないので解決に向けて行動するしかなくない。焦ったりナーバスになったりするよりかは改善案を考えたほうが健全である。

コスプレを売っていた頃はほとんど事務所を一人で切り盛りしていたので、だんだんと寂しさと会社の将来性について不安を感じてきていた。精神的にも嫌になっていたので社会人満3年になる前に一部上場企業にSEとして転職した。

転職活動をしていた最初のころは自分に自信がなかった。当然うまくアピールできるわけがないので一次面接で落ちていたばかりいた。でも、反省し自分のやってきた実績やできることを表現できるようになってからは自然と二次、最終面接に漕ぎ着けるようになった。売り手は自分自身しか居ないのである。

転職をして

先にも書いたとおり、零細企業から一部上場の大手企業に入ったので、きっと凄い人達が集まっているんだろうと震えていたがなんとかなった。仮にレベルの開きが大きかったとしても、努力して追いつけばいい。個人的にはその方が目標が明確なのでやりやすい。入社していた段階は自分のスキルに自信がなかった。でも、引っ込み思案になるのではなく任して貰えそうなことはとにかく引き受けた。やがて大きな案件も任して貰えるようになり、その案件を通して自信持てたので、今では一人で案件を回しても怖くなくなった。

最近は人の輪と年収を増やしたいので、こんな自分に会いたいよって言う人はお気軽にお声がけください。首都圏の方でしたら多分会えます。それ以外の方は機会があれば伺いたいです。あと、割りと広島に立ち寄る機会が多いです。

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