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【ショート・ストーリー】夏目漱石の花束


ブログの更新通知がぴろんと鳴る。
推しが、結婚したそうだ。


例えばアニメのキャラクター、
アイドル、俳優、モデル、声優、最近だとバーチャルYouTuber、等々。
推しの形はいろいろだが、わたしの場合、推しは「バンドマン」だった。
そして推しの事が好きだった。恋愛的に。
そう、ガチ恋というやつだ。

小さなライブハウスで活動するバンドの中でも六弦を弾いていた推しには、特に強くスポットライトが当たっている気がした。
演奏中の汗すらイルミネーションだ。
こじんまりとしたライブハウスは、アーティストとファンの距離が近い。名前も覚えてくれる。
このフレンドリー加減がガチ恋をより一層加速させる。
推しは、誰かを特別扱いしない。
古参も新参も等しく接してくれる。
みんなの優しいお兄さん、そんなところも好きだった。

そんな推しが、この度結婚した。
推しはプロなので、匂わせなど一切なかったが、なんとなく気付いていた自分がいた。
オンナの勘ってやつは、時折気持ちが悪い。
何故だか涙は出なかった。
根拠は無いが気付いていたとはいえ、目の当たりにすると、まあまあショックである。
わたしは推しに恋をしていたのだから。
なんだかいっその事泣いてしまいたいな、と思った。
腰まである髪の毛を切ってやろうかとも思った。
職場からの帰路、頬に冷たい風が当たる。

結婚報告の記事の下には、次に行うライブの詳細が書いてあった。
弾き語りイベント。バンド編成では無く、推し一人の舞台だ。
勿論わたしは予約していた。
悲しい哉、会いたいけど、会いたくない。そう思ってしまった。
この話題に触れない訳にはいかないし、面と向かって「おめでとうございます」と言えるのだろうか。
だってわたしは、失恋したのだから。
普段はあまり差し入れなどしないが、この日は手ぶらでいけないな、と頭を悩ませた。
わたしにとって特別な日になりかねないし、この恋に区切りを付ける日。
推しに差し入れをするまで、あと7日。
全ては推しの笑顔を見る為である。そうだ、そういう事にしておこう。


* * *

ついにこの日が来てしまった。
ライブの為に1日休みを取っていたので、朝からそわそわしていた。
なんなら昨夜もあまり眠れなかった。

開場19時頃。
訪れたライブハウスは過去に行ったライブハウスの中で一番狭く、喫茶店のように机と椅子が設置してあった。
開演後にフロアを見ると、推しのファンは、残念な事にわたし一人だけだった。
でもこの日に限っては、わたしにとってはチャンスだ。
推しを独り占め出来る。
人の目を気にせず決別できる時間があるのだ。ありがとう、神様。
でも、できれば未婚の時に独り占めしたかったな、と卑しくも思ってしまった。
唇や身体を重ねたいなど、所謂「ワンチャン」など願ってもいないが、既婚者となると、未婚のわたしには指一本すら触れてはいけない気がしたから。
推しは、永遠にわたしのものにならないのだから。

推しはトッパーだったので、その後は他のアーティストを見る事に徹した。
しかし、気持ちはもう終演。推しとの決別で頭がいっぱいだった。
おつまみに頼んだミックスナッツは速攻で無くなり、緊張で喉が渇き三回はドリンクオーダーした。確か、モヒート。
ライブの終わりが近付くにつれ、手から汗が吹き出し、口から心臓が出そうになっていた。
わたし、ここで死ぬのかな。

そしてアンコールが済み、ライブが終わる。
アーティストもお酒を飲み、限られた束の間の物販や雑談タイム。
わたしはリップを塗り直し髪の乱れを直し、小さな白い紙袋を持って、壁に背中を預けてお酒を飲んでいる推しの元へ向かった。
紙袋には、中身が見えないように白いタオルハンカチをかけて、極力手を後ろで組んで、紙袋を目立たせないようにする。
「推しくん!今日もよかったよ」なんて他愛のない話をする。
これだけで後ろで組んだ手がびっしょり。さっき拭いたのに。
「しおちゃん、今日も来てくれてありがとうね」と、今日も優しく、好きな顔がわたしに微笑む。きゅんとした。
この気持ちと決別する為に今日は来たのだ、いつもなら幸せで当たり前のやりとりも今日はちょっとだけ苦しい。
本題に入りたくないので、つまらない身の上話を早口で話した気がする。
推しもわたしもいい感じにお酒が入っていたので楽しい二人だけの時間を過ごせた。
今日ばかりは推しのお客さんがわたしだけでよかった、と改めて思ってしまった。推しくん、ごめんね。

ライブハウスのスタッフが清掃の準備をはじめたので、いよいよか、と思い、本題に入る。
「推しくん。今日はね、渡したいものがあるの。ちょっとだけ、目を瞑って。」
えー、とにやにやしながらグラスを横のカウンターに置き、推しは自身の両手で目を覆った。
ちゃんと閉じてるかな、と確認したら隙間から見ようとしてたから、だめだめだめ!と推しの手をぎゅっと顔に固定させる。
もう、いい歳してお茶目だなーなんて言った気がする。推しもあははと笑っていた。
あー、幸せだなあ。


「はい、推しくん。目を開けてください!」
事前に買ってきた、小振りの花束を推しの目の前に広げて見せた。
「推しくん、結婚おめでとう〜!」
精一杯の元気な声と、幸せを願う笑顔。これは家を出る前に鏡に向かって練習した。
推しは驚いて、わあ!と喜んでくれた。
ありがとう。嬉しいよ、可愛い。これってしおちゃんが選んだの?
推しの想像以上の喜びに、なにかあたたかいものがわたしの胸に広がった。
きっとこの花束も、同居し始めた奥様との会話の出汁にされる事は分かっている。
でもいいよ、それでも。
オレンジと黄色の花をベースに白い霞草で囲った、甘くなりすぎないブーケは推しだけを思ってお花屋さんのお姉さんに作ってもらったし、
この花束越しから見る推しの笑顔だけは、わたしだけのものだ。
でもごめんね、ずっと気付いていたけれど、左手薬指の金属にはまだ、触れられない。
「お幸せにね。」
と言ったら、
「幸せになるよ。ありがとう」
と両手を差し出され、握手した。
なんだ、指一本なんて言わず、こんなにがっちり触れられるじゃん。
しおちゃんありがとう、と推しは繰り返す。
そしてまたね、とお互いに手を振り、わたしは地上への階段を上る。
外。暗くて少し肌寒い。おまけに小雨が降っている。
現実だなあ、とぼんやり思った。
やっぱり涙は出なかった。


* * *

わたしの懺悔を聞いてくれますか?
もう五年も前の話だから、時効だろう。

一つだけ、わたしはとても狡い事をした。
花束を買う前に、コンビニで油性のネームペンを買った。
そして会場入りする前に、カフェに入った。
小さな花束の中でも、更に小さくて存在感の薄い、奥の方に隠れた子の花弁をちぎらないようにそっと開いて、
ネームペンの極細の方で「今夜は月が綺麗ですね」と、花弁の根本に、見えないように見えないように、書いた。
絶対にばれないアイラブユー。
後に枯れる、わたしのアイラブユー。
でも、きっと、賢い推しくんは、こんな事しなくてもわたしの気持ちは知っていると思う。
しおちゃんは、ほんとにわかりやすいね。って推しにも何度も言われたっけ。
でも、それでいいんだ。むしろ気付いてくれていたのなら、この花束の意味も分かってくれるんじゃないかな。
推しは賢い上に優しいから、気付いたとしても言わない人。
それは長く推しを見てきたわたしだからわかる情報。そういうところまで好きだった。
さよなら、わたしの恋した人。
幸せになってね。


* * *

それからと言うものの、何度も推しに会いに行っている。
なんなら、推しに会いに行く頻度が増えた。
先述しておくべきだったが、「推しくん」という人間は愛していたが、推しの作る曲や雰囲気、そして推しのいるバンドがとても好きなのだ。
ステージに立つ推しは相変わらずかっこいいし、やっぱり見るとときめいてしまう。正直、未だに恋しているな、と感じる。
この様子じゃ、無理矢理気持ちに折り合いをつける必要なんか無かったのではないか、と思うかもしれないが、
わたしの心の整理が出来た結果、推しを愛しているのだから、無駄ではなかった。
キスしたい、セックスしたいだけが、愛じゃないでしょう?

そんなわたしが、推しに言われて一番嬉しかった言葉を最後に綴ります。


「しおちゃん。結婚おめでとう。」

わたしは、ありがとう〜!!!と言いながら、大泣きした。




云寺



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