見出し画像

私の言の葉

この思考をするのは何度目だろう。

自己肯定感の憂い沈みなのか。

はてさて。

思考の堂々巡りを繰り返し、矛盾を孕んだ私の本心は何処へ行こうとしているのだろう。

思考のBGMとして、
「忘れじの言の葉」が脳内リピートしている。
https://youtu.be/lFNWUL9fqG8

私は繋がりを持たさせて頂いている仲間の生きる歩みの言葉を目に、声を耳にした時に、憧れを抱き、歩む力を育ませてもらっている。

私は一体何を歩もうとしている。
貰ってばかりと感じ、空虚な人として生きていると思っている私。


気持ちが下降気味の今の私。
何処にいくつか判らないが、思いつくままに言葉(文字)に綴ってみよう。


私は言葉、言の葉が好きだ。


言の葉が紡ぎ出す物語に、その人の生を感じる。
語彙力とかは関係なく、その人の「今」を生きる言の葉。

葉は多くの種があり、多くの数がある。一つ一つが生きている。

それはアートでもあり、唯一無二なのだろう。

放つ言の葉は一瞬で、淡く、しかし、芯を持ち、関わる人達に意味合いをもたらす。



私が織りなす今の言の葉は何処に行くのだろう。




誰かしらの意味合いを生み出すのだろうか。




・・・。




在るがままに身を委ねよう。


私自身が私の言の葉に意味合いを求めても答えは出ない。


誰かしらに届いてくれたのならいい。


結局のところ、私は「私」のことしか考えていないのだろう。


この「私」と「他者」との往復がまた学びや気づきを教えてくれるのだろう。


プラスもマイナスも。



こうして「私」が「今」感じていることを「言の葉」「文字」に綴れていることが「私」にとって生きる意味を成しているのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?