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今日から創めますm(__)m

初めて、noteに投稿します。


毎朝、広げている新聞の中に、ヤングケアラーの文字が目に留まって。

その記事の中にあった


メディアプラットホーム「note」

書き進める


この言葉たちに惹かれて、私はその日、登録だけを済ませました。


そして今日から記事を投稿します。


きっかけとなった新聞の見出しには


親へ向く「批判の目」懸念


とありました。そう、私はヤングケアラーの親の立場にあたります。

親の立場からの 言い分 課題…… 諸々あって、今の私の頭の中は

ゴチャゴチャです。何を書き出していくのか皆目わかっていないけど

書くことで何かを見出したく、綴ってみることを決めました。


私は、子供たちが幼い頃に伴侶を亡くしたシングルマザーです。

既に30年近くの歳月が流れていて、今現在子供たちは成人の年齢に達しています。最近になってヤングケアラーという言葉が生まれ、関心が寄せられるようになったことは、少しずつ進歩しているのだな…と喜ばしく思っています。


しかし、これまでには、幼かった我が子たちが抱えていた問題、過去の私が抱えた問題、数々あって、

「助けてーー!」

と、何度も必死に助けを求めていたつもりでしたが


「大変な人は、他にもたくさんいます!」


そんな言葉が返ってくるだけでした。たくさんの涙を流して、

助けを求めてもダメなのだと受け止めました。


苦しかったです。


苦しくて苦しくて……


どうしたらそこから抜け出せるのか?

どうすればよいのか???


自分の頭で考えるしかなくて、たくさんの本を読みました。

たくさんの智慧を拝借しました。

いまは鬼籍に入っておられる方々も含めた様々な人の本。

本を読むことで、いつしか私は、私の苦しみを消すことが出来ました。


ひとつのきっかけになった文章をここに書き記しておきます。

「半分つぶされた虫のように、地面の上をのたうちまわるような打撃をうけた人々には、自分の身に起こったことを表現する言葉がない。
彼らが出会う人々は、多くの苦しみをなめていても本来の意味の不幸に触れたことがなければ、それがどういうものなのか全然わからない。
ほかのどんなものにも還元できない独特のものなのだ。」

(『神を待ちのぞむ』シモーヌ・ヴェーユ著・渡辺秀訳より)


この文章を目にしたとき、私は自分の体験を腑に落とすことが出来ました。

過去の私は、「表現する言葉」=伝える言葉を持っていなかったんだ…

わかってもらえることではなかったんだ…


であるなら、伝える言葉を持とう♪ 


と、それからも私は、様々な機会を見つけてはチャレンジを続けてきましたが、恥ずかしながら未だ実を結んだものはありません。


いい歳なのだから、もう諦めるべきでしょうか…


そうかもしれませんが、私は諦めたくなんかないのです。


どうして実を結ぶことが出来ないの?

どうしたら望む結果を得られるの?


この note へ書き込みながら考え続けていきたいと思いました。


シモーヌ・ヴェイユ(フランスの哲学者・1909年生~1943年没)は、「自分の身に起こったことを表現する言葉がない」と書いていますが、私は言葉を持ち、発信できる自分になりたくて、今日から note を創めます!


☆自分への誓い☆

出来れば毎日!

3日に1記事は必ず更新します!


力まずに、末永く続けていきたい♡♡♡

どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m。


最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。




*2021年11月6日加筆修正しました。

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